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2004年8月号 東亜
見え始めた対日関係改善姿勢
慶應義塾大学教授
小島朋之
 
 六月から七月にひきつづき、江沢民離れを暗示するように、胡錦濤政権の独自色を強調する報道がめだっている。胡錦濤が党総書記就任の直後に強調した毛沢東による「両個務必」の指示や、均衡のとれた発展を提起する「科学発展観」の学習が繰り広げられていることが報じられる。江沢民離れを示しているのは、「愛国主義教育」の力点の変化にも見てとれる。江沢民時代には、「愛国主義」の主要な学習対象は抗日愛国戦争であり、したがって反日や対日批判に焦点が絞られるのは当然であった。ところが、最近の「愛国主義教育示範基地」の「先進単位」として表彰されるのは日中戦争関連の施設ではなく、ほとんどが中国革命や内戦、さらには指導者関連である。
 メディアの報道では、反日に傾斜する潮流に対して、意識的に抑制する姿勢が強まっているように思われる。胡錦濤政権が「経熱政冷(経済は熱く、政治は冷たい)」状態の対日関係を修正する意図をもち、メディアがその意向に沿って動いているのであろう。定期的に対日関係の動向を予測する清華大学国際問題研究所の評価も、関係悪化を避けたい政権の意向を反映しているといってよい1
 七月四日段階で作成された清華大学国際問題研究所の予測では、「中日関係は七月はじめには普通レベルの下方水準にある」。これは最近の「中日関係の最低水準」であり、研究所の評価では、「いま中日関係を改善する条件は熟していない」。しかし同時に、「中日双方は普通から不和のレベルに滑落することを憂慮し、したがって両国関係の悪化を防ぐ政策を講じようとしている」とみるのである。
 そして「七月には中日関係は相対的に平穏で、マイナスの事件が発生する可能性は比較的少ない」と予測する。第二次世界大戦終結の記念日である八月十五日にも小泉総理は参拝せず、「したがってマイナスの事件の影響力は比較的に少ない」というのである。九月までについては、「中日関係は低水準の普通の関係が半年近くすでにつづき、双方は下半期のASEAN10+3サミットに向けた条件づくりをする必要があり、したがって中日関係はやや上昇する可能性がある」として、今後三カ月について「両国関係の全般的は趨勢はやや上向きである」と予測するのである。
 本稿は以下において、創立八十三周年を迎えた共産党の党員動向、「愛国主義教育」の現状そして最近の対日関係について検討しておこう。
 

1 閻学復、周方根「二〇〇四年七−九月中日関係走勢預估」『世界知識』二〇〇四年第十四期四十五頁。
共産党は階級政党ではない?
 中国共産党の建党記念日は七月一日で、今年は八十三周年である。党員数は天安門事件の一九八九年以降も増加し、二〇〇三年末で六千八百二十三万二千人である。前年から百二十九万一千人の増加であった。二〇〇三年の入党申請者は一千六百二万三千人(前年比で八十九万五千人増)で、そのうち入党を許可されたのが二百二十四万五千人であった。基層の党組織は三百四十五万一千(党委員会が十六万九千、総支部が十九万一千そして支部が三百九万一千)である1
 女性党員は一千二百三十五万三千人で(全体の一八・一%)、少数民族出身者は四百三十二万二千人(同六・三%)である。党員の職業・職種比率については、農牧漁民が全体の三二・五%(二千二百十七万人)で、公的機関・民間企業幹部は二九・四%(二千万人)、労働者は一一・六%(七百九十四万二千人)である。民間企業を含む非公有制経済組織内に設置された党組織数は十二万七千(前年比二九・六%増)で、九七年の四倍である。それにもかかわらず、労働者と農民の党員比率は五〇%を大きく下回っている。共産党は、もはやかつてのように労農階級の利益を代表する「階級政党」とはいえなくなりつつある。
 党員に占める高学歴者がさらに増加し、高級中学以上が一九九二年の三五%、九七年末の四三・四%から五五・二%(三千七百六十六万一千人)に上昇している。そのうちで、大学以上が二五・七%を占めている。
 入党時期をみれば、改革・開放時期以後がすでに六〇%を超えている。一九四九年の建国以前に入党した者は百九万八千人、建国後から文化大革命前(一九四九年―六六年)までが九百七十一万八千人、文革期(一九六六年―七七年)が一千三百三十五万三千人、「四人組」の逮捕から十四全大会(一九七七年―九二年)までの入党者は二千七十三万人、十四全大会以降が二千三百三十三万三千人である。
 しかし、党員の高年齢化にはなお完全には歯止めがかかっていない。三十五歳以下の党員の割合は二二・四%であり、、三十六歳から五十九歳までが五五・一%を占めるのである。三十五歳以下の二二・四%は一九九七年と同レベルで、九八年の二三・一%から後退している。ちなみに一九五七年の党員平均年齢は三十四歳で、九二年には四十六歳に上昇していたのである。
 

1 「中共党員超過六八〇〇万名」『中国青年報』二〇〇四年七月一日および「七一、我們為党過生日」『人民日報』二〇〇四年七月二日。
歴史宣伝も胡錦濤政権の色彩
 二〇〇四年は共産党創立八十三周年、新中国の建国五十五周年、紅軍の長征七十周年、小平の生誕百周年であり、党中央宣伝部は六月二十七日からさまざまなメディアに「経典中国」を主題とした大型宣伝報道の開始を指示した1。『人民日報』紙の『人民網』、国営新華社通信の『新華網』、英文の『チャイナ・デーリー』紙の『中国日報網』、『中国青年報』紙の『中青網』、『経済日報』紙の『経済日報網』など中央の重点マスコミが開設したネットは、ホームページ上に「経典中国」と題する宣伝欄を設置した。「経典中国」宣伝は、党史や建国史の代表的な事件、地点と人物や現在の発展変化を「主線」に、「愛国主義と時代の特徴を突出させ、革命伝統を発揚し、現代化建設の新しい成果、新しい様相を示し、人々の歴史理解を深めさせ、祖国への熱愛(中国共産党への熱愛をさらに深めさせ、心を一つに団結させ、志を集めて成果をあげ、小康社会を全面的に建設し、中華民族の偉大な復興を実現する」ことをめざしている。
 同様の趣旨から、さまざまな党史や建国史関連の展覧会も開かれている。たとえば、延安解放区の革命精神を伝える「延安精神永放光芒」展が六月二十八日から七月十五日まで、北京の中国人民革命軍事博物館で開催されている2。七月十日までに入場者はすでに三十万人をこえている。そして六月十五日から開かれていた「西柏坡精神巡回展覧」は、七月三日の閉幕までに二十五万人の入場者を数えた。今後さらに天津、済南、太原、上海、杭州、南京、武漢、広州、重慶、鄭州、瀋陽など十一の大都市で開催されることになっている3
 西柏坡は胡錦濤国家主席が党総書記に就任した直後に訪れた革命聖地であり、ここで建国直前の一九四九年三月に第七期二中全会が開かれ、毛沢東が幹部に対しておごらず人民のために奮闘することを要求して、「両個務必」を強調した。「西柏坡精神」として「両個務必」の重要性を胡総書記は再確認し、この展覧会も「両個務必」を「銘記して、政治の面目を永久に保つ」ことが主題とされていたのである。西柏坡の記念館も、五十五周年を理由に新たに拡充整備された4
 また胡錦濤国家主席が強調する「科学発展観」も、しきりに強調されている。
 江沢民が二〇〇二年二月に提起して、党規約や憲法に明記されることになった「“三個代表”重要思想」の学習も相変わらず、「根本指針」として繰り返し確認されてはいる。しかし党創立八十三周年を祝う党理論機関誌の『求是』誌の評論員論文は、「“三個代表”重要思想」を「小平理論」とともに「高く掲げる」「偉大な旗幟」に祭り上げ、「執政興国の歴史的使命をさらに立派に担当するには、科学発展観を確固として樹立し、全面的に固めなければならない」と強調するのである5
 「執政興国の歴史的使命をさらに立派に担当するには、科学発展観を確固として樹立し、全面的に固めなければならない。人を根本にし、全面的、協調的で持続可能な発展観は、わが党が小平理論と“三個代表”重要思想を導き手として、新世紀の新段階の党と国家の事業全体から出発して提出した重大な戦略思想である。全党同志は科学発展観を確立する重大な意義を深刻に認識し、科学発展観を揺るぎなく樹立し、固めて、経済建設を中心とすることを堅持し、都市と農村の発展、区域の発展、経済社会の発展、人間と自然の睦ましい発展、国内発展と対外開放の均衡をはかり、経済、政治や文化建設を全面的に推進し、生産が発展し、生活が富裕になり、生態が良好な文明的な発展の道を歩み、経済発展と社会の全面的進歩を実現しなければならない」。
 七月三日からは宣伝部、中央精神文明建設委員会弁公室と中国科学技術協会の共催で、「科学発展観」をテーマとした「人と自然の睦まじい発展」の大型展覧会が北京で開催される。「科学発展観」の樹立と浸透は、七月六日に招集された政治協商会議全国委員会の第六回常務委員会の主要議題にもとりあげられ、委員たちはグループに分かれて議論したのである6
 

1 「『経典中国』宣伝報道在網上引起強烈反響」『人民日報』二〇〇四年七月十三日。
2 「『紅領巾革命聖地延安行』在京啓動」『人民日報』二〇〇四年七月十一日。
3 「西柏坡精神巡回展覧北京首展円満結束」『人民日報』二〇〇四年七月四日。
4 「西柏坡紀念館完成整修拡建」『人民日報』二〇〇四年六月二十一日。
5 本刊評論員「更好地担当起執政興国的歴史使命」『求是』二〇〇四年第十三期三−四頁。
6 「我們人類応該怎麼辧」『人民日報』二〇〇四年七月五日、「科学発展観離百姓併不遥遠」『人民日報』二〇〇四年七月八日「政協十届第六次会議在京開幕」『人民日報』二〇〇四年七月六日および「協調・持続・発展」『人民日報』二〇〇四年七月八日。
反日だけでない愛国主義教育
 「科学発展観」にせよ、「西柏坡精神」であれ、胡錦濤政権の独自性追求の姿勢がうかがわれる。江沢民離れともいえる独自性追求は、また「愛国主義教育」にもみられる。
 江沢民時代の「愛国主義教育」は、一九九四年八月二十三日に発表された党中央による「愛国主義教育実施綱要」に沿って実施された1
 「実施綱要」によれば、「愛国主義教育」の「目的」は、「民族精神を振興することであり、民族の凝集力を増強することであり、民族の自尊心と誇りを樹立すること」である。「新しい時代の愛国主義教育の基本的な指導思想」として強調されるのが、「社会主義現代化建設の促進」、「改革・開放の促進」、「国家と民族の名声・尊厳・団結の擁護」と「祖国統一の促進」にとって「必ず利益とならなければならない」ことであった。そして「愛国主義教育の主要な内容」として、「中国共産党が全国人民を指導して新中国を建設するために勇敢に戦った崇高な精神と栄光ある業績をとくに理解させる」ことが強調されるのである。
 愛国主義教育を実施する重要な地点として、博物館、記念館、烈士記念建造物、革命戦争の重要な戦役・記念施設、歴史遺産や景勝地などが「愛国主義教育基地」に指定された。一九九七年と二〇〇一年に、合わせて二百の「愛国主義教育示範基地」が選定された。天安門広場、中国歴史博物館、中国革命博物館、中国人民革命軍事博物館などともに、西柏坡記念館もその一つである。全国レベルではさらに、「全国中小愛国主義教育基地」や「優秀愛国主義教育基地」が指定され、地方でも省レベル、市レベルさらにそれ以下の「愛国主義教育基地」が独自に指定された。
 党の「栄光ある業績」をもっとも象徴するのが日中戦争における勝利であり、北京郊外の盧溝橋付近に設立された「中国人民抗日戦争記念館」や「南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)」など、日中戦争に関連した施設も当然ながら、「愛国主義教育示範基地」のなかに含まれていた。
 抗日戦争勝利五十周年を控えた一九九五年八月十五日に江沢民国家主席は「中国人民抗日戦争記念館」を訪れ、「抗日戦争記念館と盧溝橋の抗戦遺跡の役割を十分に発揮させ、それらを愛国主義教育基地として、とくに青少年に対して日常的な歴史教育を進めなければならない」と強調していたのである2。江沢民主席の歴史問題に拘る反日姿勢の背後には、こうしたねらいが潜んでいたのである。
 しかしながら、二〇〇四年七月に進められる「愛国主義教育」では、江沢民時代のような強烈な反日姿勢がみられないのである。党中央宣伝部が表彰する基地の「先進単位」三十四のうちで、日中戦争関連は南京の「大虐殺記念館」や瀋陽の「“九一八”歴史博物館」の二つにすぎない。「先進工作者」も五十人のうちで三人にすぎなかったのである3。日中関係関連では、甲午(日清)戦争博物館も「先進単位」として表彰されている。
 「先進単位」のほとんどは、党の「栄光ある業績」を伝える上海の一全大会会場跡、井崗山革命記念地など中国革命関連、国共内戦関連、あるいは毛沢東、周恩来や小平などの指導者関連である。「愛国主義教育」を通じて、党の「栄光ある業績」を浸透させるとともに、「わが中華を愛し、中華を振興する」ことで「小康社会を全面的に建設し、中華民族の偉大な復興を実現するために強大な精神的動力を提供する」ことがめざされるのである。日本を標的とした「愛国主義教育」の色彩は、かなり後退しているといってよい4
 

1 「愛国主義教育実施綱要」『人民日報』一九九四年九月六日。
2 「江沢民参拝中国人民抗日戦争紀念館」『人民日報』一九九五年八月十六日および「培育愛国情」『人民日報』二〇〇四年七月十二日。
3 「中宣部等表彰全国愛国主義教育示範基地」『人民日報』二〇〇四年七月十六日。
4 「為全面建設小康社会提供精神動力」『人民日報』二〇〇四年七月十三日。
大相撲の中国場所も歓迎報道
 現実の対日政策についても、江沢民時代とは異なって、胡錦濤政権の抑制された姿勢がめだっているのである。たとえば日中両国間で意見が対立している排他的経済水域の境界問題、そしてそれに関連した石油や天然ガスなど海底資源の採掘問題に対する中国側の対日姿勢がそれだ。
 五月二十八日付の『東京新聞』の報道をきっかけに、日本側が東シナ海上の排他的経済水域の境界と主張する日中中間線ぎりぎりの中国側海域で、中国側が天然ガス採掘施設を建設していることに対して、日本側の世論が強く反発した。世論の圧力を背景に、日本政府は七月七日に日中中間線の日本側海域で海底資源の調査に着手した。これに対して、中国側は外交部の王毅副部長が日本側の阿南大使を「緊急召見」し、「厳しい抗議」を伝えた。王副部長は、「日本側が国際法の準則を遵守し、双方が争点としている海域において中国側の主権と権益を侵害する行為をただちに停止することを強烈に要求した」のである1
 排他的経済水域の境界について、日本側は中間線を主張し、中国側は大陸棚自然延長線の原則を主張している。当然ながら、中国側は自国の主張を正しいとして、日本側の主張を「公認された国際法の準則に違反している」と批判する。しかし、この問題への対応について、中国側は「交渉、協議を通じて係争問題を解決する」ことを主張し、「争点の棚上げ、共同開発」を提案してきた。外交部の章啓月報道官は日本側による調査船派遣が迫った六月三十日にも、「中国側は一貫して、双方が交渉を通じて関係問題を解決すべきだと主張している。中国側は、日本が両国関係の大局の維持と東中国海地域の安定から出発して慎重に事を運び、中国の利益や事態の複雑化に繋がるいかなる行動をも取らないよう希望する」と抑制的な姿勢を示していたのである2
 歴史問題をめぐる対日批判も厳しいが、しかし抑制されたトーンもみられる。ノルマンディ上陸作戦六十周年記念式典に敵国であったドイツの首脳として、はじめてシュレーダー首相が「喜んで招待を受諾して」出席したことに関連して、日本側の歴史問題に対する姿勢が批判される。ドイツがかつて敵対したフランスとの緊密な協力を通じて、EUなど「欧州一体化プロセス」の「発動機」となり、「中堅力量」となったことを賞賛しつつ、小泉総理の靖国神社参拝に象徴される日本政府の歴史問題に対する態度が「右翼勢力の膨張を助長している」ことが批判されるのである3
 しかし、過度の反日感情の高まりに対しては抑制する姿勢を強めているようである。日中戦争のはじまりとなった盧溝橋事件の六十七周年となる七月七日に盧溝橋付近で記念集会が開かれたが、事前にいったんは実施が取り消されたようだ4。黒龍江省斉斉吟爾(チチハル)市で見つかった旧日本軍遺棄化学兵器の処理作業についても、中国側の要請に早急に対応して日本側が専門家グループを派遣したことが報道されるのである5
 大相撲の北京と上海での公演についても、異例ともいえる大歓迎の報道を繰り返すのである6。大相撲は六月五日と六日に北京で、九日と十日に上海で開催された。一九七三年四月以来、二度目の中国場所であったが、曾慶紅国家副主席は「歓迎の意」を表明し、「円満な成功」を祈ってみせた。『人民日報』紙は、「大相撲の海外公演は単なるスポーツ活動ではなく、力士たちは日本と他の国々の友好と交流を進める重要な使者だ。中国の日本の長年にわたる友好と交流の中で、スポーツは重要な促進作用を果たしている。選手たちはスポーツによって切磋琢磨し、気持ちを交わせ、友情を深め、民間における友好の使者としての役割を演じている」と賞賛してみせたのである。
 

1 「中方就日方在東海海洋資源調査提出厳正交渉」『人民日報』二〇〇四年七月八日。
2 子君「日本“抗議”中国開発東海資源」『世界知識』二〇〇四年第十三期三十四−三十五頁および「中国、日本が争いのある海域で一方的に海底資源の調査に重大な関心を示す」『北京週報』二〇〇四年二十七号。
3 「徳国対日本的啓示」『人民日報(海外版)』二〇〇四年六月八日。
4 『産経新聞』二〇〇四年七月八日および七月九日。
5 「日本政府将派団赴斉斉哈爾」『人民日報』二〇〇四年六月十日。
6 「相撲魅力動京城」『人民日報』二〇〇四年六月七日および「民間友好使者北京行」『人民日報』。二〇〇四年六月八日。
中日関係にかんする意見募集
 「日本の対中世論は、底流で好転に向かっている」といった意見も、登場するようになっている。福井県立大学の凌星光教授は『世界知識』誌に掲載された論評において、「経済は熱く、政治は冷たい」という表現が、「すでに当面の中日関係を描写する一般的な言い方になっている」という。しかし同時に、「日本の世論は過去数年とは異なって、冷静で理性的な声がかなり目立つようになっている」とも指摘するのである1
 日本社会における対中世論の「積極的な変化」に寄与した中国側のいくつかの要因として、凌星光教授は第一に「中国の新指導者の政治的風貌が親近感をもたらしている」こと、第二に「歴史と領土の問題に理性的に対応できている」こと、第三に「政治的な対立を実際の交流に影響をあたえないようにしている」こと、第四に北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議で「中国が日本に対して公正に対処している」ことなどを指適している。
 こうした点を踏まえて、凌教授は一方で「中日関係はまさに戦略調整の時期にあり、一定期間の”相対的冷却”は免れがたい」ことを認めながら、他方で同時に「わが国の対日積極外交は効果をまさにあげ、中日両国には良好な相互依存関係が形成される可能性がある」というのである。
 「意見募集中!:中日関係アンケート」という告知が、六月九日付の『人民網日本語版』に掲載された2。告知によれば、『人民日報』が週に一回掲載される「国際特集」欄に「中日関係に関する討論のコーナーを設置」する。「読者が大きな関心を寄せるいくつかのテーマについて、中日の政府関係者、著名な研究者、記者、読者の意見を掲載し、中日関係に関する理性的な思考を多く引き出すことが設置の目的」であるとして、「当サイトでも、ネット利用者からの意見を募集します」というのである。
 募集するテーマは五つで、第一が「二十一世紀の国際戦略における中日関係の位置づけ」で、質問は「日本は中国にとってどの程度重要だと思いますか」、「中国は日本にとってどの程度重要だと思いますか」、「中国と日本の間に共通の利益はあるか」などである。第二が「歴史問題に関する展望」で、「中日両国が『歴史問題』という大きな重荷を降ろす道はあるでしょうか」、「中日両国が、仏独両国のような本当の和解を実現することはできるでしょうか」が問われる。第三が「普通の国」についてで、「日本が軍隊を持つ『普通の国家』になることをどのように考えていますか」、「平和憲法の象徴である第九条に対し、日本国内では改正を求める意見があります。これについてどう思いますか」が質問内容である。第四が「中国・日本の互いに対するイメージ」についてであり、質問は「マイナスイメージは、中日関係にどのような影響を与えるでしょうか」、「中日双方のメディアがこうした問題を助長していると思いますか」、「中日双方のメディアに、互いを客観的、全面的に報道しないという問題が存在すると思いますか」である。そして第五が「中日関係を改善するため」の「具体的な提案」の募集である。
 こうした意見募集の約束通りに、『人民日報』は七月二日の「国際周刊」欄において、「中日関係にかんする問題提起」を特集した。ほぼ二面を使って、「中日の著名な学者」の見解、『人民網』を通じて寄せられた両国の「網友」の意見について「主要な観点」を掲載した3。掲載された第一の問題は「中日関係の位置づけ」で、第二は「歴史問題」で、第三は「釣魚島(尖閣)問題」や「台湾問題」で、第四は「普通の国」問題で、第五は「中日国民のマイナスの相互イメージの増加」問題で、そして第六は「現在の中日間の”政冷”がつづけば、“経熱”に影響を及ぼすのか」である。
 

1 凌星光「日本対華輿論底流趨向好転」『世界知識』二〇〇四年第十一期四十九頁。
2 『人民網日文版』二〇〇四年六月九日。
3 「提問中日関係」『人民日報』二〇〇四年七月二日。
歴史の可能性を未来に活かす
 筆者も第五の問題について意見を求められ、「歴史の可能性を未来に活かそう」との題名で中国語の原稿を送った。題名が削除されただけで、原稿そのままが『人民日報』に掲載された。原稿は下記の通りであった。
 「日中両国にはすでに相互補完の関係が構造化している。経済面はもちろん、急速に進展する東アジア地域の協力・統合においても、両国の協力は不可欠になっている。ところが、中国とEUやASEANとの関係の基本方向は『戦略パートナーシップ(夥伴関係)』に格上げされたが、日本とはなお『友好協力パートナーシップ』のままである。『戦略パートナーシップ』に引き上げられない最大の理由は、国民レベルにまで広がった相互不信感の深まりがあるからだ。相互不信感を助長したのは歴史問題であり、問題の核心の一つは日中交流史の多面性が正しく伝えられてこなかったことにありそうだ。相互不信感をできるだけ解きほぐし、今後の日中関係をできるだけ損なわないようにするためには、少なくとも近代百六十年の日中交流史に見られる多面性を伝える努力が必要だ。一九三七年から四五年の日中戦争を中心とした日本による対中侵略が中国国民に苦難をもたらしたのであり、この『歴史の教訓』がまず認められなければならない。しかし同時に、十九世紀後半から二十世紀初頭には結果として挫折したが、民国革命に貢献した宮崎滔天に象徴されるような日中共生を模索する「歴史の可能性」があったことも知られなければならない。そして一九四五年以後には日本が軽武装による平和的発展の道を歩み、中国を含めた東アジアの発展に貢献した『歴史の事実』も伝えられるべきであろう。こうした努力は日本と韓国の間で政府支援の下で進められている。日中間でもはじめられるべきであろう」。
 『人民日報』の同じ欄に掲載された社会科学院日本研究所日本政治研究室の王屏副主任は、「中日の相互認識には誤解がある」と提起する1。日本側の「中国観に存在する誤解」としては、「中華文明は“宋代停止”論」や「“興亜”と“侵亜”との曖昧な境界」などを指摘し、中国側についても日本を小国と蔑視する「東夷」論、対中侵略ゆえに侵略性を日本民族の特徴とみなしてしまう日本に対する「全体的記憶の悪化」などを抽出する。そして「アジアの二つの大国として、中日両国政府と人民は理性的に過去と未来に向き合い、勇気をもって歴史がわれわれに残した二種類の遺産を受け入れなければならない」と主張するのである。
 当然のことながら、ネット上では『人民日報』に「提問中日開係」が掲載された直後から、『人民網』の「中日論壇」サイトなどには日本側識者の見解に対して過激な反論が寄せられた。筆者の見解に対しても、批判的な意見の書き込みがあった2。筆者があげた「事例は彼の観点を支持するには不足している」と批判し、対中侵略が「中日関係の中の主流である」と確認し、「個別の事例を主流に引き上げるのは、歴史の本質を安易に曖昧なものにしかねない」と非難する。しかし同時に、「中日関係史について全面的に精確に、そして客観的に両国の国民につたえるべき」という筆者の見解については、「同意」を表明するのである。
 

1 王屏「回顧与反思:中日相互認識的軌跡」『人民日報』二〇〇四年七月二日。
2 「王選女士与林暁光博士做客中日論壇訪談録」『人民網・・・中日論壇』二〇〇四年七月七日。
●6月の動向日誌
6月3日
*米議会、台湾への超高周波早期警戒レーダー二基売却計画を承認。弾道ミサイル防衛(BMD)に使用。
4日
*「六・四天安門事件」から十五周年。香港・ビクトリア公園で犠牲者追悼集会。約八万二千人が参加。
5日
*大相撲北京公演。二日間で二万一千人見学。9日からは上海でも公演。
8日
*胡錦濤国家主席、ルーマニア、ポーランド等四カ国訪問へ出発。17日、上海協力機構タシケントサミットに出席。18日、帰国。
11日
*中国税関総署、1〜5月の貿易統計を発表。日本を抜いて、EUが最大の貿易相手国に。
12日
*SARSウイルス抗原検査試薬、国家食品薬品監督管理局から新薬証書と生産許可書を取得。*人権団体「中国人権」(本部・ニューヨーク)、中国の軍医、彦永氏が行方不明と発表。蒋氏は昨年、SARS患者隠匿を告発、今年3月、全人代等に対し、一九八九年の民主化運動再評価を求める意見書を送る。
17日
*ウズベキスタン・タシケントで上海協力機構首脳会議開催。
20日
*青島で日中外相会談。中国が日本の排他的経済水域(EEZ)付近で進めている天然ガス田開発問題について協議。
21日
*北京で六カ国協議第二回作業部会。22日閉幕。議論は平行線。*日中韓外相三者委員会、青島で開催。「三国間協力に関する行動戦略」を策定。今秋開催予定の日中韓首脳会談に提出で合意。
22日
*第3回アジア協力対話(ACD)外相会議開催。アジア・中東諸国から二十二カ国が参加。エネルギー安全保障に関する「青島イニシアチブ」を採択し、閉幕。
23日
*第三回六カ国協議、北京で開幕。26日閉幕。最終日に議長声明発表。次回協議は9月末までに開催。
28日
*中国広西チワン族自治区崇左市中級人民法院、脱北者支援のNGOメンバー野口孝行氏に対し、懲役八カ月の判決。
小島朋之(こじま ともゆき)
1943年生まれ。
慶応義塾大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院修了。
京都産業大学教授を経て現在、慶應義塾大学教授。同大学総合政策学部長。
 
 
 
 
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