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2003年11月号 問題と研究
二十一世紀アジアの新たな課題と米中台日関係
井尻秀憲
(東京外国語大学教授)
はじめに
 アジア太平洋地域の国際情勢は、二〇〇一年九月十一日の米同時多発テロ事件以来、アメリカの対テロ「報復」行動としてのアフガン戦争、大量破壊兵器不拡散を標榜する米英のイラク戦争を経て、わが国の隣国である北朝鮮問題において先行きの不透明感を増大させている。
 この間アメリカは、イラク戦争に見られたように、その「単独主義」を顕著なものとし、内外の批判を浴びているが、こと北朝鮮問題においては、北朝鮮による「体制の保証」をかけた核開発の揺さぶりに対して、「多国間協議」で対応し、本年八月二十七日から北朝鮮に米中日韓露を加えた「六者協議」も実現した。
 アジア太平洋地域での課題はそれだけにとどまらない。「イスラム原理主義の台頭」という新たな課題は、「世界的なテロ」への懸念のなかで、アフガンやイラクのみならず、インドネシア、マレーシア、フィリピンといった東南アジアでの「報復テロ」をも激化させている(注1)。これに、「中国の台頭」、アジアの「核関連問題」などを加えると、今日の国際政治の舞台においては、その課題の焦点が「冷戦時代のヨーロッパから二十一世紀のアジアヘ」と移行しつつあるかに見える。
 もとよりアメリカや日本は、朝鮮半島の多国間協議にいたる過程で中国の仲介を必要とし、これによって米中、日中関係の協調的側面が重視されている。その中国では、昨年十一月の第十六回党大会、本年三月の全国人民代表大会を経て、胡錦濤・温家宝体制による新指導部が、新型肺炎SARS、香港問題などで江沢民軍事委主席グループとの軋轢を生じながらも、対米、対日、対台湾政策などで、新たな方向性を模索し始めた。
 一方台湾では、昨年八月三日、東京で開かれた「世界台湾同郷連合会」の年次総会で、台湾の陳水扁総統がインターネット演説において、中台関係を「一辺一国(中国・台湾それぞれ一つの国)」と定義したうえで、台湾の進路に関する住民投票の必要性に初めて言及した(注2)。この演説は、中台関係のさらなる悪化には至らなかったが、米国、日本への事前の根回しのない発言であったため、イラク問題に精力を注ぐ米国の大きな怒りをかった。陳水扁総統はさらに本年六月二十七日、来年三月の総統選挙当日もしくはそれまでの時点で、国会改革、WHO加盟、第四原子力発電所建設問題などで住民投票を実施すると表明し、内外の注目を浴びることとなった(注3)
 本稿は、以上のようなアジア太平洋地域の新情勢の展開を踏まえ、米中台日関係の新たな課題について吟味することを目的とする。ここでは、(1)米中関係、(2)中国の「新」対外政策、(3)中台関係、(4)日中関係、(5)日台関係――の新たな展開をそれぞれ見据えながら、米中台日関係における「協力と競争」という両面の「併存」と「同時進行」状況を検討し、そこで留意しておくべきことなどについて述べてみたい。
一 米中関係における「協力と競争」
 周知のように、ブッシュ大統領は、二〇〇〇年にホワイトハウス入りして以来、クリントン前政権とは大きく異なるアジア政策のプランを次々に打ち出した。日本、欧州の同盟国重視、経済より安全保障重視などがそれであり、とりわけ政権発足当初は、ミサイル防衛(MD)政策で、かつてのレーガン時代の対ソ強硬政策、SDI構想などを想起させるものがあった。それは、アメリカの保守派の意見を代弁し、「中国を潜在的ライバル」と見なすものとされた。
 ところが二〇〇一年九月十一日の米同時多発テロの発生によって、ブッシュ政権は国際的な反テロ闘争を進める上で、中国の協力を必要とすることとなった。ブッシュ大統領は同年十月、上海APEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)の非公式首脳会談に出席するために訪中した。ブッシュ大統領はまた、翌二〇〇二年二月二十一、二十二日に再び北京を訪れ、中国との「建設的な協力関係」で合意したのである。
 そうしたなかで、冒頭でも述べたように、アジア太平洋地域の当面の国際情勢は、アフガン戦争、イラク戦争を経て、北朝鮮問題という焦眉の難題を抱えている。アメリカのパウエル国務長官によれば、北朝鮮の核開発再開を受けて中国との協力が始まったのは昨年十月の江沢民訪米でのブッシュ大統領との会談からであったという。
 その後アメリカは、本年二月のパウエル訪中で、中国にたいして「より直接的に関与してほしい」と強く要請し、その後何回かのやりとりの末、中国が北朝鮮の説得に乗り出し、取りあえず米中朝の三者協議開催にこぎつけた。この時点でアメリカはさらに、三者協議よりもっと広い枠組みでの多国間協議を構想していたといわれるが、七月三十日のブッシュ・胡錦濤電話会談において、北朝鮮が「米朝中韓ロ日」の「六者協議」を受諾したとの連絡を受けたという。これによってアメリカは、「中国のシャトル外交」に取りあえずの「謝意」を示すことになった(注4)
 しかしながらその中国は、二〇二〇年には石油の輸入量が現在の二倍に達し、輸送ルート確保のために、東シナ海、南シナ海を実行支配できる「より外向きの海軍力増強」に向かいつつあるという。江畑謙介氏によれば、中国の潜水艦増強によって台湾の軍事封鎖がなされた場合、世界経済への影響は大きく、北朝鮮の弾道ミサイル問題では、日米台の早期警戒衛星の情報共有が必要となる。ただし、この問題は、究極的には日本の「集団的自衛権」、「台湾との国交」問題に関るだけに事態の打開は容易ではない(注5)
 また、報道によれば、米国防総省の議会への「中国の軍事力の年次報告書」が七月三十日に発表され、「台湾海峡沿岸(南京軍区)に配備した短距離弾道ミサイルが約四百五十基に達し、年間七十五基以上のぺースで増えている」という。「報告書」はさらに、アメリカの対中警戒姿勢を強調し、沖縄駐留米軍基地を射程に入れた短距離ミサイルの配備・改良が進んでいること、ロシアからの兵器輸入、米国を仮想敵とした軍事演習が増加し、軍の近代化を目指した中国国防予算の急増傾向――などについても注意を喚起している。
 加えて「報告書」は、台湾海峡沿岸のミサイル増強の理由として、中国による台湾への急襲作戦などの先制攻撃戦略の可能性を排除できず、外交交渉を有利に進めるための「軍事力の誇示」という側面もあるとしている。「報告書」はまた、中国の米国観について、米国が「長期にわたる中国の強力な対戦相手」とされていることを指摘し、同「報告書」は、中国が米国に次ぐ国防費の規模に達し、世界最速の経済成長が軍事大国化につながっているとの米国防総省の見解を反映しているかに見える(注6)
 米中関係には現在、「協力と競争」が表裏一体となって併存し、その政策は硬軟両用とならざるを得ないのが現状であろう。
二 中国の「新」対外政策
 いっぽう中国は最近、その高度経済成長を意識しながら、自らを「大国」と認識し、アメリカを含めたロシア、日本、EUとの「多極世界」での協力関係を主張するとともに、日本にたいしては、アメリカ一辺倒の外交・安全保障政策を取り続けることにたいして批判的である。アメリカから「自立した」日本は、中国が東アジアにおける「多極世界」において地域内関係強化を進める上で望ましい対象なのである。
 そうしたなかで中国国内では、前記のように昨年十一月の第十六回党大会で党人事が一新され、本年三月の全国人民代表大会において国家レベルの人事にも大きな若返りが生じた。ただし、中国新指導部の当面の対外政策は、党と国家の中央軍事委員会主席に留任した江沢民「院政」が存在するため、江沢民路線から大きく逸脱することは難しい。
 昨年の党大会での江沢民国家主席(当時)の「政治報告」は、対外政策では、以下の六点を主なものとしていた。
(1)「平和と発展」がメインテーマであるが、覇権主義と強権政治の新しい現れ方としてのテロリズム、民族、宗教矛盾、国境・領土紛争による局地紛争による不安定が生じやすい。中国のこうした現状認識は、われわれの状況認識と大きく異なるものではない。
(2)「独立自主の平和外交政策を実行」する。これは、胡耀邦の第十二回党大会での政治報告で強調され、当時は、対米・対ソバランスと自主路線が内実であったが、現状では米、ロ、日、ASEAN、インド、EUとの全方位バランス外交と解釈できる。
(3)「公正で合理的な国際政治経済の新秩序」の確立を主張する。ここでの「合理的」とは、自国の「国益に不利な言動を慎み」、「がむしゃらなナショナリズム」から「合理的な国益追求主義」への転換の必要性を示唆しているかに見える。
(4)「国際関係の民主化と発展様式の多様化を提唱する」。
(5)「反テロ」と国際協力の強化を重視する。
(6)先進諸国との関係改善、周辺国との善隣友好、第三世界との連帯と協力強化、国連の役割重視を主張する(注7)
 江沢民「政治報告」でいう「国際政治経済新秩序」の構築は、世界の「多極化」、国際社会での「民主化」、世界平和の「維持と共同発展」を目指すものとされる。唐家・外交部長(当時)によれば、それが「公正で合理的な国際政治経済新秩序の確立」ということになる(『人民日報』二〇〇二年十二月十六日)。とはいえ、中国新指導部の当面の対外政策の特徴は、アメリカのイラク攻撃にいたる強硬姿勢を批判したが、にも拘わらずアメリカとの決定的対立は避けたいという「慎重さ」を特徴としている。
 そうしたなかで、中国の対外政策、とりわけ対米、対日、対台湾政策に硬軟両用の「新たな」側面が見え始めている。その理由として、既述のように、対米政策においては、昨年三月のフロリダでの「米台防衛サミット」にたいする中国の批判の抑制があげられる。また、昨年十月の江沢民訪米の際に、江沢民主席が「アメリカの台湾向け武器供与の抑制を条件に、中国側が福建省沿岸の短距離弾道ミサイルの一部を撤去する」と述べた点も中国外交の「新しさ」の一つとしてしばしば言及される。加えて中国外交の「新たな」側面は、本年二月の米台ビジネス・カウンシルでのアメリカのパトリオットPAC-3の対台湾売却の議論にたいする中国側の批判の弱さ、中国の大量破壊兵器不拡散問題への本格的な取り組みなどにも見て取れる(注8)
 また、対台湾政策の面でも、後述するような中国の「柔軟」姿勢は、台湾側でもある程度の「注目」を引いた。ただ、問題は、中国のこうした政策が、一時的な「戦術」に過ぎないのか、より本質的な「意義」を持つのかについては、現時点で結論を出すことは時期尚早である。とくに胡錦濤新指導部の対外政策の路線と陣容は、現時点ではまだ、江沢民時代とは異なる独自性を主張できるほどに固まったものがあるとは言えないようである。
三 「競争的共存」としての中台関係
 一方新指導部成立時点での中国の台湾政策については、第十六回党大会において江沢民主席(当時)がその政治報告のなかで語った「『一国二制度』と祖国の完全統一の実現」と題する部分に見て取れる。そしてそこでは、以下の点が注目される。
(1)江沢民主席は、台湾問題に関して、「一つの中国という原則を踏まえ、あれこれの政治的争点をひとまず棚上げして、海峡両岸の対話と交渉をできるだけ早く回復するよう重ねて呼びかける」とした。
 中台対話についてこれまで、十四回党大会「報告」では「『一つの中国』のもとで、両岸の敵対状態終結を話し合うことができる」、十五回党大会「報告」では、「『一つの中国』の前提のもとでは何でも話し合うことができる」とされていたが、今回の江沢民「報告」では、「一つの中国」の前提のもとで「話し合う」具体的内容として、「世界における台湾地区の身分に相応する経済的、文化的、社会的活動の空間の問題」と「台湾当局の政治的地位などの問題」の二つが新たに付け加えられた。
 また「一つの中国」の解釈については、十五回党大会では「台湾は中国の一部分」としていたが、今回は、「大陸も台湾も共に一つの中国に属する」とされ、大陸と台湾が「対等」であるかのような表現が党の文献で初めて言明された。こうした主張と「政治的争点棚上げ論」で、台湾が両岸対話のテーブルにつくのかどうかであるが、来年三月の総統選挙の以前では、その可能性は高くない。
(2)江沢民「報告」ではまた、「台湾問題は無期限に引き延ばすことはできない」とされ、「台湾問題の『早期』解決」「祖国の完全統一の『早期』実現」というように、「早期」という言葉が初めて用いられた。「台湾統一」に期限をつけたのは、以前の党大会の政治報告にはなく、今回が初めてであった。
 もとより、一九九八年十月の第十五期三中全会の閉会演説で江沢民主席は、「統一完成には、『時間表』が必要である」と述べており、前年(二〇〇一年)四月の全国人民代表大会の軍関連の分科会で、「台湾は、ほって置けば離れていくばかりであり、統一への期限をつけるべきだ(例えば、辛亥革命百周年の二〇一一年まで)という意見があったといわれるが、これらは、「台湾統一」に向けた中国側の「緊迫感」の表れであるとともに、中国が台湾統一の現実的なプランを検討し始めたことの表れと見る向きもある。
(3)中国の台湾政策では、党の非公式最高決定機関である「対台湾工作指導小組」の存在が知られる。そして、その新メンバーは、胡錦濤総書記が「組長」を兼務し、「副組長」に賈慶林・政治協商会議主席、民間から汪道涵・海峡両岸関係協会会長、軍を代表する熊光楷・副参謀長らに加え、劉延東・統戦部長、許永躍・国家安全部長、陳雲林・国務院台湾事務弁公室主任らが名を連ねている模様である。ただ、胡錦濤総書記は中国の台湾政策でこれまで目立った関与をしておらず、その点では曽慶紅・国家副主席の方が経験豊かであり、対台湾政策では彼もまた重要な関与を行うものと思われる。
 また、中国の台湾政策で長期的戦略のもとに政策に関ってきた銭其の後任については、温家宝首相が本年四月二十九日、バンコクで開かれたSARS問題にかんする中国・ASEAN特別首脳会議に出席した際に、台湾政策における「銭其の後任は誰か」との記者質問に対し、「唐家だろう」と語ったと伝えられる。その銭其は、本年四月二十六日の『人民日報』に汪・辜会談十周年を記念する論文を汪道涵、陳雲林らとともに寄稿している(注9)
 中国の第十六回党大会開催に際して、陳水扁総統は十一月八日、前期の江沢民「政治報告」にある「政治的争点の棚上げ」表明に着目したが、ただしそれが「一つの中国」を原則とするのであれば、「台湾は主権独立国家であり、一国二制度の統一提案を受け入れることはできない」と主張した。
 そうしたなかで、台湾では、「三通」が時間の問題といわれ、本年春節期間中の両岸チャーター便が話題を呼んだ。だが、台湾の大陸政策決定機関である大陸委員会の蔡英文主任は、「チャーター便と直航との分離」を主張し、台湾では、「三通」の実現は、来年三月の総統選挙以後という見方が強い。また、両岸対話の機関である台湾の海峡交流基金会以外の新しいチャネルが必要ではないかとの意見も聞かれるが、辜振甫理事長がその地位から離れることは当面ないとの意見も聞かれる。
 台湾ではまた、来年三月の総統選挙に向けて住民投票問題が重要な争点となりつつある。台湾行政院は、住民投票問題を内閣主導のもとで行うことについて、それが憲法に違反しないことを力説している(注10)。ただ、報道によれば、第四原発建設所に絡む住民投票は、基層の村レベルを含む地元の原発反対派住民のなかでも不評であり、台湾の野党・国民党や親民党は「(与党の住民投票案を)総統選に向けた人気取り戦術、大衆迎合だ」との批判を強めるなど、国会審議でも膠着状態が続いている(注11)
 そうしたなかで、最近の中国の台湾政策に関して、中国がアメリカを通じて台湾に圧力をかける方式が顕著になってきたといわれる。陳水扁総統の、「住民投票」発言後、台湾の邱義仁・総統府秘書長は、国家安全会議メンバーとともに訪米したが、他方において中国は国務院台湾事務弁公室の陳雲林主任、周明偉副主任をアメリカに派遣し、両名はアーミテージ国務副長官、ケリー国務次官補と会談した。中台両岸のワシントン・ポリティクス増大の表れといえよう(注12)
 一方中国外交筋は、六月一日にフランスのエビアンで開催された米中首脳会談でブッシュ大統領が胡錦濤主席に「台湾独立に反対する」と述べたと明らかにしたが、米政府当局は、「台湾独立を支持しない」といったと主張しており、そこに意見の食い違いが存在する(注13)
 また、既述の米国防総省による議会への「中国の軍事力の年次報告書」(七月三十日発表)では、台湾海峡沿岸(南京軍区)に配備した短距離弾道ミサイルが約四百五十基に達し、年間七十五基以上のぺースで増えているとされる。すでにふれたように、同「報告書」はさらに、台湾海峡沿岸のミサイル増強は、中国が台湾への急襲作戦などの先制攻撃戦略を有していることや、外交交渉を有利に進めるための「軍事力の誇示」との見方を示している(注14)
 中台関係は、そうした海峡沿岸のミサイル増強などを見るとき、中国からみれば常に「アメとムチ」の関係として捉えられている。また、中国は来年三月の台湾の総統選挙を前にして、与党と野党のどちらが勝利したとしても対応できる姿勢を堅持しているという(注15)。従って台湾の与党・民進党および陳水扁政権としてみれば、中国の「アメ」の部分にのみ対応することは危険であり、むしろ台湾内部の住民の意志を尊重する「主権在民」を主張し、選挙を前にした住民投票実現に向けて駒を進めざるを得ない。
四 日中関係――「柔軟戦術」としての中国の「対日接近」
 他方、日本の小泉総理は昨年(二〇〇二年)四月二十一日、突如として靖国参拝を行った。前年(二〇〇一年)八月十三日の参拝に次ぐものであったが、中国はこれに強く反発し、国交三十年に合わせた総理の訪中は困難なものとなった。続いて小泉総理は本年一月十四日、再び靖国参拝を行った。中国側はこれにたいして強い抗議を行ったが、ただしその後の両国関係に強い悪影響のでるような行動を取ってはいない。
 そうしたなかで、中国の対日姿勢の「柔軟さ」を示す論文として、『人民日報」の馬立誠評論員による『戦略と管理』誌掲載論文「対日関係の新しい思考」が日中両国で話題を呼んだ。日本ではこの論文を『中央公論』『文藝春秋』『世界週報』が邦訳し、日本での関心の強さを示すこととなった。
 馬立誠評論員は、昨年の「中国共産党第十六回大会では、新局面の開拓が強調された。対日関係についてもこうあるべきだと思う」と述べ、日中関係に「合理的国益に基づき捉え直す新思考」が必要であるとしている。彼はまた、第二次大戦からすでに六十年が経過し「(中国は)日本に対して過酷すぎてはならない」、日本の指導者は「侵略戦争に対する反省を表明し」、重要なことは、「過去より前向き」であるとした。「対日関係の新思考」を主張する馬立誠論文はさらに、「アジアの枢軸、中国と日本」が、「自己の民族主義を反省し、狭隘な観念を克服して・・・邁進すべき」というある種の「日中提携論」を提起している(注16)
 もとよりこの論文については、中国内部で批判も多く、インターネットなどで彼を「売国奴」とする非難もある(注17)。しかしながら、この論文が中国の歴史認識などでの「日本たたき」の「常套手段からの脱却」を意図し、「過度の対日批判」は「非合理的」であり中国自身の「国益」にとっても「マイナス」だと主張していることは、やはり注目に値する。
 そうしたなかで、先の『戦略と管理』誌(二〇〇三年二号、本年四月発行)は、今度は中国人民大学の時殷弘教授による「日中接近と『外交革命』」と題する論文を掲載し、馬立誠評論員に次ぐ「日中接近論」を展開している。時殷弘教授の主張は以下の通りである。
 「中国がいまなすべきことは、まず関係する戦略と態勢を改良し、自国の最重要な利益のために、中日関係の大幅改善を促進することである」「中日両国民の多数の間の相互嫌悪と敵意が増長していけば、中国の中長期的未来にとって相当危険である。反中、排外の民族主義や政治・軍事拡張主義の極右勢力が日本の政治と対外政策をコントロールする可能性があるからだ。さらに東アジアにおける中国の安全環境の厳しさを考えれば、中日接近を進めることが重要である」。
 時殷弘教授が「中国の外交革命」と名づける以下の主張はとくに興味深い。「中国は外交路線を部分調整し、米国に対する受動的立場を緩和、対米レバーを増強することが必要だ。・・・それには、中日接近は一つの(見通しうる限り可能性の大きい唯一の)重要な外交行動になる」「中日接近が実現すれば、中国の対米外交と戦略的地位の顕著な改善も、必然的ないし自動的『副産物』になる。・・・極めて重要なことは、中国にとって中日接近は、決して代価の高くない『外交革命』であることだ」「第十六回党大会以降の中国共産党と中国政府指導部は、前任者の全方位善隣外交を引き継ぐだけでなく、時代とともに前進し、新機軸を打ち出すべきである」(注18)
 時殷弘教授の論文は、中国新指導部の「対日接近策」を示唆する力作である。しかしながら彼は別のところで、「日本は、自国にとっての日米関係の重要性を理解するがゆえに、日中両国が協力して米国を牽制するという『外交革命』を受け入れず、警戒感さえ抱くだろう」と述べ、「しかし中国との接近を望むように日本を変わらせる重要な要素もあり」、こうした「日中接近」を、中国の対日「外交革命」と位置付けている(注19)
 もとよりこうした主張は、米中の狭間にある日本の地政学的位置や今日のアメリカ「一極主義」のなかでの「日中提携」と「日米離間」戦略を想起させるもので、それは日米関係や日本とASEANとの関係を悪化させる危うさを有している。また、こうした意見は中国の対日論調面での「柔軟さ」を鼓吹することによって日本の対中政策の「変化」を促す「起爆剤」であるかに見える。しかしながら、中国の「日中接近・日中提携論」と「日米離間」戦略は、日本がこれまで懸念してきたものであり、それによって今日ある日米同盟関係を損ねることには慎重であらねばならない。
 とはいえ、本年八月九日、福田康夫官房長官の訪中が実現した。福田官房長官との会談で胡錦濤主席は、「(日中関係での)三つの文献(七二年共同声明、七八年平和条約、九八年共同宣言)の原則の精神にのっとり努力すれば、日中関係はさらに発展するだろう。これに背けば曲折が生じる」と述べた。福田官房長官は、「未来志向で日中友好関係を強化したい」との小泉親書を紹介し、北朝鮮問題で「中国が努力して六者協議が実現しつつあることに、日本政府として感謝している」と述べ、拉致問題への理解と支持を求めた。
 これにたいして胡主席は、「中国は一貫して朝鮮半島の非核化と対話を通じた平和的解決を望んでいる。まもなく開催される六カ国協議は重要な一歩だが、道のりは長い。中国は、日朝関係の改善と、その延長線上としての正常化を望む。対話を通じた拉致問題の解決を支持する」と回答した。ただしこの発言は、五月のロシア・サンクトペテルブルクでの日中首脳会談での発言と同じであり、双方とも靖国問題に言及していない。訪日予定の呉邦国全人代常務委員長は、「中国の新指導部は日本との関係を重視している」とし、九日夜に人民大会堂で開かれた日中平和友好条約二十五周年記念レセプションにも出席した(注20)
 ところが翌八月十日に行われた福田長官と温家宝首相との会談で、福田長官は温家宝首相の訪日を要請したが、温首相は「日本の指導者が引き続き靖国に参拝するという問題がある」として靖国問題に言及した。同じ頃、日本を訪れていた李肇星外相は八月十一日から十二日にかけて一連の「政党外交」を展開したが、自民党の山崎幹事長との会談では、中国政府が九月から日本人への入国ビザを免除する方針であることを伝え、中国・黒竜江省で発生した旧日本軍の遺棄化学兵器を原因とする中毒事故に日本側の治療協力を求めた。李肇星外相はまた、都内の記者会見で「日本の指導者が(靖国神社)に行くべきではない」と明言し、日中両国首脳の相互訪問の前提として、小泉首相の靖国参拝問題があることを印象づけた(注21)
 報道によれば、中国共産党中央宣伝部は、前期の馬立誠、時殷弘氏らを招いて座談会を開催し、先の『戦略と管理』誌(八月五日発売)は「日中関係特集」をくんで社会科学院研究員など四人の論文を掲載して、「対日新思考は共産党十六回党大会にも基づいている」と繰り返し指摘したという。社会科学院日本研究所の馮昭奎は、「(対日関係は)国家の利益を最高原則とし、感情をもって政策に変えない」よう呼びかけ、中国の対日姿勢については、「日本側の対応次第。中国側の前向きなサインにたいして日本からはまだ反応がない。・・・小泉首相は靖国参拝しても、『日中友好』を主張し、『中国脅威論に反対』しており評価できる」と述べている(注22)
 ただし八月八日の『環球時報』は、鎧に身を固めた小泉首相のイラストを一面で掲載し、「日本の軍事力拡大を警戒すべきだ」との大見出しを付している。新幹線採用問題では、インターネットでの対日批判の嵐が続いている(注23)
 こうしてみると、中国の研究者がいう「中国外交の新思考」や「中国の対日接近と外交革命」が、靖国参拝問題を踏絵とする小泉訪中への戦術的論調という側面を有していることも否定できない。
五 事務レベルで交流が進展する日台関係
 一方、日台関係に眼を転じると、李登輝政権時代の日台関係は、「国交なき交流」が深化したものの、陳水扁政権下の現在は、日台間の「チャネルの多元化」が特徴的である。加えて、陳政権が希望する日本とのFTA(自由貿易協定)交渉は、経団連主導の民間レベルのものであって、日本政府は、中国との関係を考慮していかなる条約を調印することもないとの姿勢を崩していない。
 日本と台湾双方の対中「自立」という「主体性とアイデンティティ」を求める声は強まっているが、何か事が起こると「中国」の存在を過度に意識する日本側の「自粛」に陥り、日台関係を改善するブレークスルー(突破)には至らない。
 とはいえ、アジア太平洋地域での新情勢が展開する中で、日台関係にもゆっくりとした進展が見られる。たとえば、昨年十一月十日から十四日まで、王金平・立法院長が日本を訪問、綿貫、倉田衆参両議長の議長公邸を訪問した。これは断交後初めてのことであった(注24)。中国は訪日阻止を要請したが、日本側は、「行政府が立法府をコントロールすることはできない」と説明した。これは、日本側の常識的かつ理性的説明であり、こうした点で日本が過度に「自粛」する必要はない。
 また、日本の外務省は、国家公務員の台湾出張に関する内規を改定し、「課長級未満」から「課長級以下」へとし、「課長級以上」でも、日台双方が正式メンバーとして加盟する国際機関に関る場合は柔軟に対応するとした(注25)。これは、課長級の台湾訪問、台湾での国際会議開催の場合での閣僚級の台湾訪問に道を開くものである。
 さらに、交流協会台北事務所に陸上自衛隊の退職幹部が、「主任」の肩書きで着任した(注26)。「防衛武官」の役割は、まだ限られたものではあるが、しかしこれも日台関係の進展だといえよう。
 加えて、国交なき日台関係では、前期のような事務レベルでの関係のレベル・アップに加え、安全面・人道面においても、日本と東南アジア諸国とで有しているような戦闘機のスクランブルの際の相互通報のあり方や、海上で各国が他国の船を臨検する枠組に台湾を参加させ、「救難援助」を目的とした合同演習を行うことなど、対話と協力を進める必要があり、それはまた可能であろう。
 一方、ミサイル防衛などに関する日台の戦略対話の必要性を主張する論者も多いが、これについては、国交なき日台関係においてはアメリカの仲介による日米台の非公式交流という形を取らざるを得ない。ただし、その場合においても、情報面など交流のありようによってはそれを進めていくことは可能であり、そうした認識と環境も生まれつつある。
 筆者はかつて、台湾問題や日台関係を日中関係のなかの枠組みに封じ込めるという思考の惰性を指摘し、「日中関係」と「日台関係」の相対的「自立」と「主体性」が必要であり、「日中関係のなかの台湾」から「日中台関係へ」という思考の転換の必要性を説いてきた(注27)。「日台関係で日中関係を刺激し悪化させないこと」――こうした発想は、日本政府のなかで依然として根強く存在する。すなわち、日本は「中華の呪縛」からまだまだ精神的に解放されていないのである(注28)。だが、国交なき「日台関係」の交流とその進展が「日中関係」を悪化させるケースはそう多くはなく、日台関係の進展やレベルアップを拘束しているのは、中国に対する日本側の過度の「自粛」によるものである。
 その意味で日本は、「日中、日台関係」をある程度「自立」させ、そのうえに立って「日中台関係から日中台米関係へ」といった枠組みで日台関係を考えていく必要があろう。台湾問題は、米中といった大国関係のみならず、東アジア、ASEANなどの影響力が重層的に交錯する国際政治の「場」であり、「中国問題の核心」(ドゴール)なのである。
おわりに
 以上のようにみてくると、二十一世紀の新たな時代を迎えたアジア太平洋地域における米中台日関係では、冒頭で述べたように、「協力と競争」の併存といった二つの姿勢がそれぞれの二国関係において進行している。そこで注意しておかねばならないことは、以下の点である。
 第一に、イラク戦争において顕著となったアメリカの「単独主義」外交は、ウォルフォウィッツ国防副長官に代表される「新保守主義者」(ネオコン)の発想が、国際協調主義や国際政治のルール、慣行、規範によって世界秩序の安定化を計るという考えから逸脱しているために、大いなる「危うさ」を潜ませている(注29)
 第二に、そうしたアメリカの「単独主義」は、一見するとアメリカの絶対的な強さを前提にして論じられているが、それは「軍事力」の面に限られており、そのことがJ・ナイのいう「ソフト・パワー」(外交能力)の後退をもたらす危険性について無自覚であってはならない。
 第三に、二十一世紀初頭の国際政治の特徴は、そうした国家の強さではなく「国家の弱さ」、グローバルな「統治能力」が弱いことによる世界情勢の「混沌」である。S・ホフマンの言葉を借りれば、それは「世界的無秩序」(world disorder)であり、アジア太平洋地域の今日の課題として、冒頭でも述べたような「世界的テロ」のみならず「報復テロのアジア化」現象も見られ、状況は楽観できない(注30)
 第四に、そうしたなかで、本稿で扱ってきた米中台日関係における「協力と競争の併存」状況は、ある意味では自然な現象であるが、小泉総理の私的諮間機関である「対外関係タスクフォース」が主張する「東アジア経済共同体」や「東アジア共同体」を模索する場合に、十分理解しておかねばならない点である(注31)。とりわけ中国の「硬軟両用」戦術は、一見するとそれが「信頼醸成」につながるかのような錯覚を与えてしまいがちであり、その点に関しては、十分な注意が必要である。
 とくに「経済の相互依存」が「安全保障上の信頼醸成」に,たやすくつながるかのような楽観主義は、中長期的将来の問題を考える場合とは異なり、短期的には国際関係の「危うさ」を増幅させる。「協力と競争」が併存する米中台日関係は、ある意味では、各国の不安定な内部事情と国際秩序の不安定性を反映している。だとすれば、新たな時代の情勢認識を行う場合、本稿で見てきたような冷厳な現実の直視と物事の本質的理解から始めなければならない。日本外交やわれわれに求められることは、もしかするとこうした常識的な判断と立場なのではなかろうか。
井尻秀憲(いじり ひでのり)
1951年生まれ。
東京外国語大学中国語科卒業。米カリフォルニア大バークレー校大学院修了。政治学博士。
筑波大学助教授を経て現在、東京外国語大学教授。
 

〈注釈〉
(1)Eric Teo Chu Cheow, "The Changing Face of Terrorism in Southeast Asia, "Facific Forum CSIS (PacNet 34, August 14, 2003.)
(2)『自由時報』『中国時報』二〇〇二年八月四日。
(3)『自由時報』『中国時報』二〇〇三年六月二十八日。Tipet Times (June 28, 2003).
(4)『産経新聞』二〇〇三年七月二十七日。
(5)同右。
(6)『産経新聞』二〇〇三年八月一日。Tipei Times, The Japan Times (August 1, 2003)
(7)『人民日報』二〇〇二年十二月十六日。
(8)Thomas Christensen, "The Party Transition: Will It Bring a New Matuarity in Chinese Security Policy?," China Leadership Monitor, No.5 阿部純一 「躍動アジア」『世界週報』(二〇〇三年四月二十九日号)、五〇〜五一頁。
(9)唐家「両岸同胞団結起来、共同推進中華民族的偉大復興」『人民日報』二〇〇三年四月二十六日。
(10)『台北週報』第二一〇七、二一〇八号、二〇〇三年八月。
(11)『読売新聞』二〇〇三年八月十四日。
(12)『読売新聞』二〇〇三年七月四日。
(13)二〇〇三年七月二十八日、新華社電、『産経新聞』二〇〇三年七月二十九日。
(14)『産経新聞』二〇〇三年八月一日。
(15)許世詮・中国社会科学院台湾研究所前所長、談話。
(16)馬立誠「対日関係新思惟」『戦略と管理』、邦訳「対日関係の新思考」『世界週報』二〇〇三年二月十八日号、三二頁。
(17)高橋博「転機を迎える中国外交と政治の民主化」『東亜』二〇〇三年三月号、八三〜八八頁。
(18)時殷弘「中日接近と『外交革命』」、邦訳『産経新聞』二〇〇三年六月十三日。
(19)「『日中接近』は中国外交の新任務」『世界週報』二〇〇三年五月六〜一三日号、四六〜四九頁。
(20)以上の胡主席、福田官房長官、呉邦国全人代委員長の発言については、『朝日新聞』『産経新聞』二〇〇三年八月十日参照。
(21)『読売新聞』二〇〇三年八月十二、十三日。
(22)『毎日新聞』二〇〇三年八月六日、『朝日新聞』二〇〇三年八月十日。
(23)『朝日新聞』『産経新聞』二〇〇三年八月十日。
(24)『産経新聞』二〇〇二年十一月十六日。
(25)『産経新聞』二〇〇二年十一月二十六日。
(26)『産経新聞』二〇〇三年一月二十一日。
(27)拙稿「日中台関係への新視角」『中国21』二〇〇一年一月号、六十一〜七十四頁。
(28)李登輝(聞き手・井尻秀憲)「『華夷秩序』に陥ちた日本よ!」『諸君!』二〇〇二年十二月号、一七二〜一七九頁。
(29)Joseph S. Nye, "American Power and Strategy After Iraq," Foreign affairs (July/August 2003), pp.60-73. G. John Iken berry, "America's Imperial Ambition, "Foreign Affairs (September/October 2002), pp.44-60. 滝田賢治「アメリカ帝国論」『状況』第三期第四巻第三号、三十二〜五十三頁。
(30)Stanley Hoffmann, "Delusions of World Order," in World Disorders: Troubled Peace in the Post-Cold War Era(Rowman & Littlefield Publishers: New York, 1998), pp.123-261
(31)対外関係タスクフォース『二十一世紀日本外交の基本戦略――新たな時代、新たなビジョン、新たな外交――』平成十四年十一月二十八日。
 
 
 
 
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