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2000/02/27 読売新聞朝刊
[社説]活仏の出国は何を物語るか
 
 チベット問題は、中国にとって、台湾問題と並ぶ頭の痛い問題である。
 ひそかにチベットから抜け出し、インドに亡命しているダライ・ラマ十四世のもとに身を寄せていたカルマパ十七世が、公の場に姿を見せ、「チベット文化は存亡の危機に直面している」などと語った。インドへ向かう途中に書いたとされる、チベットが「赤い中国によって破壊された」とうたった詩も披露されたという。
 カルマパ十七世は、チベット仏教四大宗派の一つカギュー派の最高位活仏で、チベット仏教界全体では、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマに次ぐ第三位の権威を有している。しかも、中国政府だけでなく、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマも、活仏としての正統性を認めている。
 パンチェン・ラマについては、一九八九年に急死した十世の「転生活仏」、つまり生まれ変わりの生き仏である十一世は、中国政府とダライ・ラマがそれぞれ別の少年を選定したため、二人並立という異常事態が生じている。
 それだけに中国は、カルマパ十七世がそのチベット政策に理解と支持を与えることで、チベット統治に好ましい影響を及ぼすことを期待していた。中国人民政治協商会議の李瑞環主席は昨年、十七世と会った際「十七世の成長と進歩は、チベットの発展と安定に重要な影響を持っている」と語っている。
 中国のチベット政策の基本は、共産党支配の枠内での信仰の自由を保障する一方、経済発展による生活レベルの向上で、民族融和を促進し、分離・独立運動を封じ込めようとするものだ。
 カルマパ十七世も中国政府の期待にこたえて、「チベット人民の幸福、民族の団結のために、引き続き貢献したい」と述べていた。突然の出国は、中国にとって大きな衝撃で、チベット政策の挫折でもある。
 中国は、出国にあたって、ダライ・ラマ側の関与があったと見ているが、公の非難は避けている。十七世に対する批判もしておらず、当面戻る可能性がないことを承知しつつも、いつの日かチベットに戻ることへの期待までは捨てていない。
 十七世の出国以降、中国はその埋め合わせをするかのように、チベット仏教最大宗派ゲルク派の高位活仏で、ダライ・ラマの名代や幼少時の摂政を務めるレティン七世の即位式を挙行したほか、政府公認のパンチェン・ラマをこれまで以上にもり立てようとしている。ただ、ダライ・ラマ側は、このレティン七世を認めていない。
 中国政府とダライ・ラマの和解に向けての対話は、クリントン米大統領が一昨年の訪中時に、中国側に働きかけたこともあって、機運が盛り上がった。だが、中国側は「祖国分裂活動の停止や、台湾が中国の一部であることの承認などが前提条件」としており、その後、進展していない。
 カルマパ十七世の出国は、宗教を政治に奉仕させようとする中国の政策の矛盾を示すものである。チベット問題解決への道もより複雑になったと言えよう。
 
 
 
 
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