1997/02/21 読売新聞朝刊
[社説]トウ氏亡き中国とどう向き合うか
中国のトウ小平氏が九十二年余の生涯を閉じた。中国共産党や国家のトップの肩書こそ持ったことはなかったが、現代中国史の時代を画す巨大な存在だった。
文化大革命時代を含め三度失脚し、三度目の復活をとげたトウ氏が、故毛沢東主席の遺した(のこした)中国をイデオロギー優先の革命路線から経済優先の近代化路線に転換させたのは、七八年末。トウ時代の始まりだった。
◆トウ小平時代の光と陰
以来、今日のいわゆる「社会主義市場経済」に至る中国の改革・開放の経済発展は、トウ氏の存在抜きには語れない。まさに「改革・開放の総設計師」だった。
八七年の党大会で、軍権を握る中央軍事委主席を除き、政治局常務委員、中央委員のポストからも離れたが、直後の中央委総会秘密決議で、重要問題の最終決定者とされた最高実力者だった。
中国のこの二重統治構造は、トウ氏が自ら政策決定への不関与を申し入れたとされる九四年九月の中央委総会まで続いた。
「白猫だろうと黒猫だろうと、ネズミをとる猫はよい猫だ」の言葉で知られる徹底した実利主義者だった。改革・開放の加速を号令した九二年の「南方講話」で、トウ氏は「判断の基準は社会主義社会の生産力の発展、総合国力の増強、人民の生活水準の向上に有利かどうかにある」とした。めざしたのは、「富強の中国」だった。
だが、市場経済化と対外開放の過程は、ひずみを生んだし、国民の欲求値を高めて不満を掘り起こす側面を持った。政治的自由への要求を誘い出しもした。
トウ氏が陰の顔を見せたのが、八九年の天安門事件だ。民主化運動を武力で鎮圧する強圧策しかとれなかった。同じことは「北京の春」と呼ばれた七八―七九年の民主化運動を、当初は認め、激化するや弾圧に転じたことにも言える。共産党独裁を足場に安定を最優先する現実主義者だった。
◆トウ氏の死が中国に何をもたらすか。
「もしも改革・開放というものが私個人のものにすぎず、私の生死存亡にかかっているとすれば、この政策は正しいはずがなく、人々がその(路線の)将来を心配するはずもない」
九三年、トウ氏の健康不安が憶測されたころ、香港誌が伝えたトウ氏の言葉である。改革・開放の進展はトウ氏の指導力のたまものではあったが、内外の支持がなければ、今日の中国はなかっただろう。
年率平均九%の経済成長を記録したトウ時代は、中国国民の生活水準を確実に向上させた。改革・開放は中国経済を世界経済に組み込ませて離れがたくもした。
◆トウ路線継承の江沢民体制
この流れを逆行させようとすれば、巨大な力が必要だろうし、内外の強い抵抗と大混乱を覚悟しなくてはなるまい。
外交でもトウ氏は国益本位の路線をとった。富強路線推進に欠かせぬ平和な国際環境と先進国の協力を確保するための柔軟な顔と、「台湾」など主権問題では譲らぬ民族主義者の顔をあわせみせた。そのトウ氏の死を機に外交基調が変わる気配はない。
中国は改革・開放の富強路線と全方位の実利外交を継続するだろう。そして当面は党総書記、国家主席、中央軍事委員会主席の三つの最高ポストを兼ねる江沢民氏を核とする集団指導体制が維持されよう。
毛氏と異なり、トウ氏は後継体制の準備に腐心した。曲折を経て、八九年六月、江氏が党総書記の地位についてから八年近い。九四年九月には、江体制による引き継ぎ完了が宣言され、ここ一、二年の政局運営と外交は江指導部自身の手になる。
トウ氏が生きていること自体が江体制の支えになっていたにしろ、この経緯と江氏への権力ポスト集中の意味は小さくない。
ただし、安定した「江沢民時代」が到来するかは、必ずしも透明でない。さしあたり、七月一日の香港返還、秋の五年に一度の党大会、江氏の訪米をこなして、江体制の基盤強化に成功するか、注視したい。
失業、地域的発展格差、都市と農村の所得格差、国有企業の不振、腐敗、中央と地方の対立、少数民族問題など、江指導部は数々の難問に直面している。天安門事件の再評価、政治体制の問題もある。
香港をめぐって、トウ氏の知恵になる「一国二制度」方式を守り、香港の活力を維持できるか、それ次第で国際問題となる。台湾が注視する問題でもある。トウ氏が統一の悲願を果たせなかった台湾の問題は、国際的にも、依然、敏感な問題として残る。
◆対等・互恵の日中関係に向けて
中長期的には、これら諸問題を制御できず、権力闘争もからみ、中国が分裂・分解の混乱状態に陥るシナリオが最悪だ。
軍事大国化、覇権大国化につながる脅威のシナリオもある。対米関係や日本を含め周辺諸国との関係を悪化させ、結局は中国の国益を損なう道である。
政治的、社会的安定と経済発展の道を歩み、しかも、民主化への軟着陸に成功し、責任ある大国としての役割を果たし、環境など地球規模の問題でも国際協調路線をとる中国の出現が最良のシナリオだ。
いずれのシナリオにも、さまざまな変化があろうが、十二億余の人口と広大な国土から言って、中国の動向自体が世界の安定を左右する重要なかぎとなる。
まして、わが国は地政学的、経済的、歴史的諸条件や環境保全上の理由によって、いや応なく中国とかかわらざるを得ない。最悪のシナリオに備え、脅威のシナリオ抑止の外交努力を重ねつつ、最良のシナリオに向けて、対等、互恵、協力の日中関係を構造化することが重要だ。対中経済協力も、この文脈に沿って進めるべきだ。
曲折はあれ、トウ時代の日中関係は大局良好に推移した。九五年度までの円借款だけでも一兆六千億円余に達し、中国の発展に寄与した。両国は体制の違いもあり、今後も摩擦は避けられまい。日本としては、筋を通し、率直かつ冷静に中国と話し合い、共通の利益を見いだすことが肝要だ。
日中関係の安定化には強固な日米同盟と安定した米中関係が不可欠でもある。
米中関係は今年後半から九八年にかけての相互首脳訪問により、関係改善の軌道に乗ることが期待される。日米との相互依存関係が深まれば深まるほど、脅威のシナリオの可能性も低くなるはずだ。
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