1992/10/20 読売新聞朝刊
[社説]トウ小平氏が描いた「トウ小平以後」
中国を支配する中国共産党の五年に一度の党大会が終わった。
この五年の間に、冷戦は終結し、ソ連・東欧の社会主義は消滅した。社会主義国は中国を含め数か国を残すのみとなった。同時に、中国は最高実力者、トウ小平氏が八十八歳のよわいを数えるに至り、後継体制固めが急がれる局面に入っていた。
二つの意味で注目された党大会だったが、結果はまさに歴史的な大会となった。
党の基本路線として「社会主義市場経済の確立」が公式に打ち出された。「社会主義」の名がかぶせてあり、一党独裁は変わらないものの、経済は限り無く資本主義に近づく道を歩み出したと言ってよい。
トウ氏によれば「中国の特色ある社会主義」ということになろうが、そのトウ氏の「理論」が党の指針として新たに党規約に盛り込まれもした。
当然のことながら、新中央委員会と政治局などの指導部人事は全体として、トウ路線推進の布陣となった。
中央委員の六一%が五十五歳以下と若返った。目立つのは、改革派の進出と保守派の退潮だ。高狄・人民日報社長など、宣伝部門の保守派も退いた。
ほぼ同じことが政治局についても言えるだろう。政治局常務委員は六人から七人に増えたが、江沢民・総書記、李鵬・首相ら四人が留任、保守派とされる二人が退任、新たに改革派の朱鎔基・副首相、劉華清・中央軍事委副主席、胡錦涛・チベット自治区書記が入った。
朱氏は日本型通産省をめざす経済貿易弁公室主任であり、市場経済化の中心的担い手となろう。胡氏は四十九歳の若さだ。
政治局委員も顔ぶれを一新、地方など改革・開放の現場で活躍する改革派が大量に進出した。保守派長老の拠点とされた中央顧問委員会は廃止された。
要するに、トウ氏が後継体制として描いたのは、生産力の発展と安定を優先させる党路線の設定とそれを担う、江氏を中心とする実務型集団指導体制だろうし、その狙いはほぼ実現したと言えるのではないか。
だが、この体制がトウ以後の中国の長期にわたる安定を約束するか、なお不透明と言わざるを得まい。市場経済化は逆戻りすることはないだろう。実態の反映であるし、世界的流れでもある。逆戻りさせようとすれば、混乱は必至だ。しかし、トウ氏のような指導者を欠いた時、権力闘争が起きないとの保証はない。民主化の問題も残る。
中国の安定はわが国の望むところであり、引き続き、改革・開放を側面から支援すべきだ。それを中国が民主化への軟着陸につなげるよう改めて促したい。
新中央委員の二割は軍関係者である。軍の発言力が増すだろう。劉・新政治局常務委員はトウ氏直系の海軍指導者だ。トウ氏には、改革・開放、安定確保の支えとしての軍部と軍の近代化が念頭にあるのだろう。
だが、仮にも、海空軍力の増強を含め軍の「近代化」が近隣諸国に脅威感を与えるものになってはなるまい。中国の発展には平和な国際環境が必要なはずである。
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