日本財団 図書館


III
中国福建省博物館
体験見学参加報告書
海につどい船に学び、木の文化を知る 2004
 
中国福建省博物館体験見学会 参加報告書
日程:平成16年6月29日(火)〜7月2日(金)
宮城県慶長使節船ミュージアム
企画広報課 企画指導係長 渡邊 直樹
 本年6月29日(火)から7月2日(金)にかけて、(財)日本海事広報協会主催の博物館関係者による中国福建省博物館体験見学会(日本財団助成事業)に参加し、研修を行った。
 
 今回の見学会においては、様々な博物館、旧跡の訪問のみならず、博物館関係者、福州市及び長楽市の幹部等多くの方々と幅広い交流を行うことができた。
 
 研修日程初日、厦門(アモイ)市域に所在する鼓浪嶼(コロンス)に渡り、鄭成功記念館と日光岩の見学研修を行った。厦門港沖に浮かぶ鼓浪嶼は、近世に入り西欧列強の共同租界地となり、各国領事館が設けられ、1942年以降は旧日本軍の占領下に置かれたことから、西洋建築の町並みが多数残されており、異国情緒豊かな観光・別荘地となっている。
 
 島内に所在する鄭成功記念館は、明の再興を目指して清朝に抵抗を続け、後に当時オランダ東インド会社の統治下にあった台湾を奪回し拠点とした鄭成功(1624〜62)の事績や同時代の船(中国船)の模型を展示する小規模博物館であった。館内の展示に関しては、来館者の視点に立った「わかりやすさ」への配慮や来館者のアメニティ及びバリアフリーの意識は感じられなかった。記念館の見学後、島の最高峰にあたる日光岩(標高93mの岩山)へ登った。かつて鄭成功の司令本部がおかれたことがあるその頂上からは、鼓浪嶼の町並み、水道を挟んで厦門の近代的な町並みが眺望できた。水道を交通する船舶は、大型の鉄鋼船(貨物船・軍用船)もさることながら、色鮮やかに文様が施された中小の木造船(漁船・生活船)が数多く見られた。鄭成功の事績を考えながら、その風景に対峙すると、歴史的景観として印象深く思われた。
 
 研修2日目、開元寺、泉州湾古船陳列館、泉州海外交通史博物館、媽祖(マソ)関係遺跡(賢良港天后祖祠・媽祖故居)の見学研修を行った。まず最初に訪れた開元寺は、日本の古代寺院になれた私にとって、ある種の衝撃に似た感慨を抱いた。地域的な特色なのか、寺院建築にあまり木材が使用されておらず、屋根瓦も屋根全体の意匠にも関係するのか一枚一枚が薄く、量的にも単位面積あたりの使用量が多いように思われた。また、日本の寺院に見られる伽藍の自己完結的な閉鎖性はなく、どこからどこまでが、伽藍としてのユニットなのかわからないほど広大で、これがいわゆる「大陸的」と形容される状況なのかと思われた。さらに、寺院建築の装飾においても、日本における寺院建築装飾の盛期である江戸期も足元に及ばないほどの、色鮮やかな彫刻群に目を奪われた。中でも、大雄宝殿(本堂?)裏手の石製軒柱に施されたバラモン教的なレリーフには、中国における仏教寺院の、あるいは当寺院の所在する泉州の国際性が看取された。
 
 開元寺の見学後、境内にある泉州海外交通史博物館の別館である泉州湾古船陳列館を見学した。1974年、泉州湾内で発見・発掘された巨大な宋代の商船(残長:24.2m・残幅:9.15m)を中心に、出土船から検出された各種の遺物、中国船の模型や、鄭成功の時代の中国における航海術などに関する展示がなされていた。私は、木造船の造船技術について普段調査している事もあり、発掘された宋代の商船を中心に研修を行った。外板を3〜4層の板ではぎ合わせられ、肋骨の代わりに約1m間隔で水密隔壁状の板が「表」から「友」まで取り付けられている、その構造が興味深かった。西洋式の竜骨・肋骨作りの船、日本の数枚の板をはぎ合わせ、「まつら」と呼ぶ曲材で強度を持たせる構造とは異なっているため、「肋骨代わりと思われる水密隔壁状の板で本当に強度的に問題がなかったのか」、「肋骨という構造上の発想や技術、肋骨材に使用する木材資源の有無」、「和船に見られる外板等の内部に埋め込む釘打ちの技術の有無」など、さまざまな疑問をいだいた。もしこれらの技術的な問題について詳しく質問できたらよかったと思う。しかしながら、全体の船の造作に関する印象は、「時代による稚拙さ」というよりもむしろ、「雑な造り」という印象を受けた。それ以外の展示については、前日の鄭成功記念館と同様に、「資料があり、ガラスケースの中に並べてある」だけという印象を受けた。展示等に関する学芸員の存在が、伝わってこなかった。中国と日本における博物館の資料の取り扱いの違いや展示方法、さらには博物館の地域における存在意義に大きな違いがあるように思われ、非常に勉強になった。まったく環境の異なる博物館を見学することで、自分の所属する博物館をあらためて見つめなおす良い契機になった。
 次に中国国内で唯一とされる海上交通をテーマとした泉州海外交通史博物館を訪問した。同館は1991年に新館が建設され、非常に新しく、展示の手法についても、前2館とは比較できないほど「進化(?)」している印象を受けた。また、個人的には復元長34m・喫水4m・200tの大型船を、博物館前に係留展示されている部分が興味深く、係留展示してある復元船の日常的な補修管理について副館長に質問したが、特に何も行っていないという回答で、博物館資料の取り扱いに関する違いを歴然と感じた。博物館内部は、丸木舟から竹の筏、動物の皮を膨らませた筏など、船の発達史がわかりやすく展示され、さらに中国歴代の大小の船の模型が所狭しと、しかし系統だって展示されていた。当館で秋に予定している特別展「航海の技術」の参考になり、あわせて中国に来て初めて、「博物館」に来たという印象を受けた。この印象は、「日本流の展示」がされていたからだと思う。中国の人々にとっては、鄭成功記念館や泉州湾古船陳列館のような日本人から見て「雑然」と感じる展示がスタンダードなのか、この海外交通史博物館の展示がスタンダードなのか、興味深かった。
 昼食後、当初予定では、福建省甫田県の眉洲(ビシュウ)島にある媽祖廟に行く予定になっていたが、台風の影響で、高速艇など一切の船が出港見合わせの状況で島に渡ることが出来ず、関係遺跡を回るにとどまった。媽祖を祭る祠や媽祖の生家なるものを見学したが、いずれも後世の推定復元であり信憑性の薄いものであることは、一見して推察できるものであった。媽祖の生家「媽祖故居」に展示してある媽祖像は、ブロンズ像のようにも見えたが、触れてみるとFRP製であった。残念ながら、これらの施設は史跡と呼べるものではないように感じたが、この近くの海辺から、遠く眉洲島の媽祖廟を見ることができ、また、同地の漁村の人々の暮らし(現地の子どもや豆打ちする農婦、天秤棒で物売りをする人など)が非常に興味深かった。
 移動中のバスから見える浜辺の風景のなかで、おそらく近海・沿岸漁業用と見られる船はすべて現役の木造船であり、中には干潮のため船底をみせた船を手入れしている光景も見ることが出来た。何か30〜40年前の日本の浜辺を見るような感覚になった(何かの本の写真でしか見たことは無いが)。なかでもそれらの船に使用されている錨が、大きさや素材を別として形状が、泉州湾古船陳列館に展示してあった数百年前の錨と同様で、技術伝統の根強さを感じた。
 
 研修3日目、琉球墓園、福州市対外友好関係史館「琉球館」、福州市博物館、鄭和史迹陳列館の見学研修を行った。今から600年以上も前、当時、中国と琉球との間では活発な貿易が行われ、以前は中国で亡くなった琉球人の墓が多数存在した。現在、そのうちの一つが福州市により保存、管理されており、別の場所にあったものもここに移転され、一括して保護されているという。墓は、沖縄では「亀甲墓」と呼ばれている形式のもので、遺体埋葬部と墓前儀礼の場、そしてその間に地上部分が50cm四方の石製墓碑が置かれているものであった。大部分に後世の補修がみられ大切に管理、保存されている印象を受けた。
 次に、福州市対外友好関係史館「琉球館」を訪れた。この場所は、中国と琉球地方の交易の起点として成立した施設を復元し資料館としたものであるが、博物館あるいは展示館という印象は薄く、管理人のような人がいるばかりで、やはり、戸惑いを感じざるを得なかった。
 次に訪れた福州市博物館は、泉州海外交通史博物館と同様に、非常に新しい歴史・民俗系の大規模な博物館だった。実物大の物を含め各種のジオラマや、歴史上の人物の蝋人形、映像とジオラマを複合させた立体的な展示、古代墳墓の発掘資料、地域の民俗資料など、見所の多い博物館であり、海外交通史博物館以上に、系統的・網羅的・動的な展示であった。ただし、やはり、中国では博物館というものが展示及び教育的施設というよりはむしろ研究施設としての役割が大きいのか、展示室内での学芸員や解説員などが見当たらず、せっかくの展示が、言葉は悪いが、単なる「観光的見世物小屋」の感が否めなかった。ともかくも日本と中国の博物館事情の違いに戸惑いを感じた。
 昼食後、福建省長楽市人民政府の副市長 林建秀氏の案内で鄭和史迹陳列館を見学した。鄭和は明代の永楽帝の積極外交政策によって、永楽2年(1405年)から宣徳8年(1433年)まで前後7回にわたり、1回の航海に大船62隻、乗組員は総勢2万8千人を率いて東南アジア・インド、そして一部の者はメッカやアフリカのマリンディまで南海遠征を行った人物である。当地では英雄的存在として理解されている。鄭和艦隊の船は、南京の宝船廠でつくられ、長さ44丈(150メートル)、幅18丈(62メートル)あったと記録されている。1957年南京の北西にある明代の造船所「宝船廠」跡から、1本の舵軸が発見された。これは長さ11メートルのもので、これを基に中国の学者の1人が現代の河船と舵軸の比率から全長48〜53丈(154〜170メートルほど)の船を推定し、「宝船の記録は正しい」、「科学的に証明された」と、論じたらしい。そしてこの船の模型が、陳列館には展示してあったが、今回の研修に参加した日本の各博物館員の見解では、当時の木造船建造技術水準、構造上の耐久性などから見て、150メートルもの大船が存在したとは考えられず、例え存在したとしても、構造上、船体の長さと幅がおよそ2対1の、まるで「巨大な卵」のような船が、長期の航海に耐えられるものではないだろうとのことであった。
 
 今回の各地の博物館を見ての感想ではあるが、全体として、中国、及びその英雄の偉大さを陳列し、各博物館の正面に掲げてある「青少年徳育基地」や「愛国主義教育基地」などという認定証が暗に示すように、博物館というものが国威発揚・国民文化発揚と醸成を目的とした施設であるという印象を強く感じた。
 
 研修最終日、厦門市内にある南普陀(ナンフダ)寺と故里山(コリサン)砲台の見学研修を行った。南普陀寺は、厦門大学の隣にある五老峰という山の麓に位置し、唐の時代に創建され、千年余りの歴史を誇る古寺である。当初は普照寺と呼ばれたが、清の時代に再建された際に霊場として名高い浙江省の普陀山の南にあることから、南普陀寺と名付けられたという。寺内には天王殿、大雄宝殿、大悲殿、蔵経閣、左右廂房、鐘鼓楼などの建物が堂々たる建築群を形成し、寺の威厳を感じさせるものであった。大雄宝殿には、日本では通常一体ずつ安置される阿弥陀如来・薬師如来・釈迦如来の主要三仏が、並列安置されている特殊な三尊像安置で、日本と中国の仏教観の違いを強く感じた。また、平日の昼間という時間帯にもかかわらず、境内溢れんばかりの老若男女が熱心に参詣していたのが印象的であった。最後の訪問施設である故里山砲台は、一部観光施設的な様相も否めなかったが、当時の清軍の兵舎がそのまま展示室となっており、また錆に覆われているものの、海を臨んで数多くの大砲が露出展示している光景、また砲身の長さ14メートル、重量60トンという巨大な現存するドイツ製大砲(1896年完成)を目の前にすると、清仏戦争後、厦門港を固める要塞として設置された砲台であることがまざまざと思い起こされ、砲台全体が、軍事博物館としての様相を強く感じた。
 
 今回の見学研修を振りかえったとき、前述したとおり中国と日本における「博物館」というものの存在意義、社会への役割、博物館資料というものの概念、展示という概念の違いを歴然と感じた。このことは日本が進み、中国が遅れているという意味ではなく、「博物館」が持つ情報発信機能の方向性の違いのように感じる。今回中国で見てきた博物館の様相は、日本の博物館を考える意味でも非常に大きな契機となるものと考える。なぜなら、日本の博物館の中でも、国立や独立法人立の博物館の中には少ないかもしれないが、設立が地域の文化振興や文化創成を目的とした館、埋もれた歴史や文化などの啓蒙を目的とした館などの中に、当然学問的検証のもとに作成されているものとは思われるが、「お国自慢」的な展示や館が、私の管見ではあるが若干見られるような気がするからである。元来広く一般の来館者に対して、公序良俗に反することなく不偏不党の立場に立ち、学校教育や生涯学習の資源として情報の発信を役割とする「博物館」という施設の、本来的な存在意義をあらためて強く考えさせられたという点で、中国の博物館事情を見学研修できたことは、大きな収穫であった。やはり、自分が所属する博物館、博物館が所在する地域のなかで物事を考える以上の、開かれた視野で考えられるようになったことは、自分自身としても大変良かったと思われる。また、今回の見学研修は、長距離移動が伴うもので、参加者の中には、そのことについて不都合を感じられた方もいたかもわからないが、車窓を流れる風景も私としては、訪問先の「施設とその立地する地域環境」という視点で見ることができ、やはり有意義だったと思った。中でも、鼓浪嶼内で見た漁船の外板修復風景(ハダ打ち)、眉州島への道のりで見た現役の木造船群は記憶に強く残っている。
以上
 
日程(2004年6月29日〜7月2日:3泊4日)
6月29日(火) 07:40 成田空港集合(結団式)
09:30 成田空港発(JL607)
12:40 厦門空港着 入国手続き
13:10 専用バスで同空港発
13:30 厦門市内コロンス島渡船場着、乗船
13:50 コロンス島着、鄭成功記念館及び日光岩見学
16:40 コロンス島発、厦門市内をへて泉州市へ
19:50 泉州市着、夕食会へ(泉州海外交通史博物館主催)
2日目
6月30日(水) 08:40 開元寺、泉州湾古船陳列館見学
10:00 海外交通史博物館見学
11:30 昼食
12:30 市内発
15:30
16:15 媽祖誕生の地発
18:40 福州市着、晩餐会へ(福州市主催)
3日目
7月1日(木) 08:30 琉球墓、琉球館見学
10:00 福州市博物館見学
12:20 長楽市着、昼食会へ(長楽市主催)
13:30 鄭和史迹記念館見学
14:20 長楽市発
18:30 厦門市着泊
4日目
7月2日(金) 09:00 南普陀寺、胡里山砲台見学
11:30 昼食(解団式)
12:45 厦門空港着 出国手続き
14:30 厦門空港発(JL608)
19:00 成田空港着 入国後解散
 
 
 
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