コミュニケーション能力を養う場
話し合いで知る自分の存在
若人の集い(北海道・八雲町)
グローバル化・IT化の産業構造のもとでは、社会や企業では高い専門的知識のほかにコミュニケーションの能力が問われるという。コミュニケーション能力を培うのに最適な場所は学校でも家庭でもない。若者が社会との接点を見出し訓練する場、それは地域における集団活動と言えるだろう。以下の事例はそのことを立証している。
会の誕生から26年
八雲町で若人の集いが誕生して26年。地域に自慢できるものがほしいと始めた「八雲山車行列」は、今では北海道3大あんどん祭りの一つとして、7月初旬の夜に30数台の山車が踊りと共に町を練り歩くまでになっています。町の自然や行事の写真で構成された「ふるさと八雲カレンダー」(カラー印刷で月めくり)は赤字にはなりますが町内外から好評です。また、チケット売りが伴う舞台芸術鑑賞事業や太鼓グループの創設、ミニコミ誌の発行協力など、地域にねざした文化活動を大切にし、幅広い活動に取り組んでいます。
会員一人ひとりを見たとき、のんびりとして頼りなく、生き方の面で不器用な者もいますが、真面目で正直者が多いこともあり、学校生活など競争社会の中でコンプレックスを持ったり、自信をなくした若者でも、安心できる場になっています。しかし、口の悪い町民から、一般社会(?)では相手にされない若者の集まりだと言われることもあります。
よさを見い出し生かす
会員には失業中の者、家庭的に恵まれず育った者、病弱で心が痛んでいる者など、弱い立場にたたされている若者も少なくありません。
S君は、生まれてすぐに母がなくなり、まもなく父も彼を祖母に預けて失踪し、今は天涯孤独の身。金銭感覚にルーズで、定職がないままアルバイトでその日暮らしの生活です。生い立ちのせいか、老若問わず女性には強い関心を持っています。性格は温厚で、誰にでも優しく親切なのですが、優柔不断なため対人関係では要領が悪く、若人の集いの活動の中では存在感も薄く、若い会員からはあまり信用もされていません。
しかし、普段の例会には顔を出さない年長メンバーは、彼の良い面を発見し、それを生かすことを考えました。彼は、アウトドア活動が得意で、キャンプや魚とりはもちろん、虫にも詳しく、北海道では珍しい「かまきり」のいる場所も知っています。そんな訳で子どもたちからは大人気で、そういうときの彼は生き生きとしています。
組織がしっかりしていれば、彼のような若者を生かすことができますが、今の若人の集いは、団体として歴史的に蓄積してきたものをベースに活動することが精一杯で、OBクラスの支援をもらわなかったら、個人の成長を助けることが困難な状況になっています。
それでも彼は、様々な団体や活動とつながりを持っている若人の集いに入り、人の温かさや自分も必要とされている人間だということに、少しは気付いたのですが、定職がないことや、女性との付き合いが不器用なため変なうわさがたち誤解されることもありました。
周りは就職のことを心配したのですが、自分に適した仕事を見つけられず、結局、東京の会社に決まり、そのことを会員が知ったのは出発2日前でした。急遽、開かれた壮行会で、高校卒業までは隣町で育ち、帰る家もない彼は、「皆に言うと寂しくなって行けなくなるから黙って行こうと思った。本当はこの町に住みたかった。」と、八雲を去りました。
▼山車の出発前に踊りを披露
問われる行政職員の力量
若人の集いでは、仲間ときちんと向き合い本音で語り合う、毎月1回のミニ青研(青年問題研究集会の略称)と年1回の青研集会を開きます。ここでは、個人の考え方を尊重しながら、互いの共通点や違いを知り、自分の生き方を探る場にもなります。語り合いの中では若者の就職難が深刻な状況であり、個人の努力や意欲だけでは限界があり、社会全体が良くならなければ、個人の幸せもないということなどが出され、自分の足元だけではなく広い視点で物事を見ていくことの必要性も確認されていきます。
学校や地域の中で自分の存在感を確かめられず過ごしてきた若者は、自分を認めてくれる場、自分の可能性を試せる場をもとめていますが、残念ながら、それを受け止める行政の弱さがあります。財政悪化などに伴う社会教育事業の減少により若者の学びの場を保障することが困難となったばかりか、若者の要求と行政の必要性を取り入れて事業展開していく力量をもった職員が不足しています。そして、何よりも若者の気持ちを理解し、寄り添っていくことが出来る熱心な職員が少なくなってきたという現実があります。
若人の集いは、学校とは違った学びの場として、先が見えない不安な社会の中で、弱い者同士が支えあうことを確認できるため、続けることが非常に大切だと改めて思います。
(八雲町社会教育主事)
赤井 義範
▼山車行列に幼稚園児も参加
動けば答えは見つかる
「“いのち”の輝きを見たことがありますか?生きていることの美しさに胸が震えたことがありますか?同じ足利の、こんな近くに住んでいて、生まれて初めて会う人々。普段、何気なく前を通る家に、それぞれの生活があって、心の通う時間が流れていること。私はそれまで知りませんでした―。」
ホームヘルパーさんに同行する初めてのボランティア体験を通じて、足利というまちの隅々で、細くとも懸命に輝く“いのち”にふれた感動を、“風”の、ある女子高校生が書いている。そこには、みんな“いのち”の根源でつながっている、そして、答えは動かないと見つからない、という新鮮な気づきがある。
「“いのち”は、足利のまちで、いろいろな輝きを放っています。それを知ると、まちに出ても、いつもとは違ったまちに見える。人を大切に思える。―足利に生まれ育って今まで何人の人と出会ってきただろう。私は足利の何を知っているのだろう。もっとたくさんの人に出会いたい。もっとたくさんの足利を知りたい。―足利はすてきなまち。私はいつでも足利を抱きしめていたい―。」
▼“風”のメンバーたち
シティズンシップの芽生え
山と川のあるまち・栃木県足利市。ボランティアグループ“風”のふるさとだ。1991年、中高生ボランティアスクール10周年の集いから生まれた。自然なかたちで、まちづくりに参加している姿勢が市民の共感を呼んでいる。「他人のためにやるんじゃない、自分がキラキラしていたいからやるんだ」と、気負いはない。20名ほどのスタートが、現在では250名を超える。大学生・社会人もいるが、毎日のように足利市民活動センターに集まって来るのは、市外を含めた十数校の高校生。「できる人が、できる時に、できることを、責任をもって」がモットー。高齢者や障害者の施設訪問などのボランティア活動をはじめ、地域イベントへも積極的に参加する。“風”の活動は、ボランティアを行なうことそれ自体が目的ではなく、それはひとつの手段。ボランティア活動は、あくまでも普通の生活の一場面。遊び、学び、働くことと同じ地平にある。地域で、生きる力を育むことを日々実践している。
“風”のテーマは、「ひとりと地域」。その出会いの場、青少年の地域での居場所、それが“風”。足利という地域のさまざまな場面に、高校生たちが当たり前のように参加や参画をしている。また、大人たちも、高校生との協働を通して、意識が変わってゆく。地域と向き合うことにより、青少年が変わり、大人が変わる。自分の心の中の声に従い、一つひとつの小さな行為にどれだけ心を込めるかを日々実践している“風”。新しいシティズンシップ(市民性)の芽生えを感じる。
開かれたつながりを創る
せまい私を超えて、広い公の世界へ、半歩踏み出したばかりの“風”の女子大生からの手紙がある―「“風”は、活動とかそんな目に見えるものばかりじゃなくて、精神であって、生き方に密着したココロだから、私が生きて、人間やっている限り消えないのだと思います。いのちに対する心構えが、“風”の精神だから、私が人と出会うかぎり、“風”の見えない力は、そこに働きつづけるのだと思います―。」
また、ある女子高校生キャプテンは、“風”と地域社会とのかかわりについて語ってくれた―「私たちは、ボランティア活動を通して、自分で考え、行動し、広い視野を持つことができました。私たちは、ココロの壁を取り払って、風通しの良いまちづくりを願っています。地域のさまざまな大人の方々とご一緒に企画を練り、実施する中で、貴重な体験やお話をお聞きすることができ、私たちは大きく成長してきたと思います。学校や世代をこえた出会いやつながりを通して、“風”という場が、自分のことだけを考えるのではなく、まちづくりを担える市民になるための土台となることを願っています。―」“風”という地域の居場所は、青少年たちの中にある大いなるものの力を引き出し、働かせる場なのだ。
“風”の組織の中で、一人ひとりの高校生たちは、一人一役の仕事を通じて、たえず自分なりの課題と向き合うことになる。定例会や役割分担グループごとのミーティングやイベントの実行委員会など、カンファレンスの機会が多いことは、話し合いの中で、一人よがりを少なくして、ミッション(使命)を共有する契機ともなっている。
自治を育む出会いの場
“風”のリーダーが、多数のメンバーを束ねるために、時には涙し、眠れぬ夜を過ごしたことを、その笑顔に隠して、「“風”と出会って、前よりも自分のことが好きになった」と語った時に、“風”の神髄に触れたと感じた。青少年は、情報の提供や体験の積み重ねだけでは育たない。仲間の中で、責任を持ち、役割を担う自治の中で、ほんものの自分に出会うことができる。稚拙ではあっても、信頼のマネジメントやミッション・マネジメントの実践がここには在る。
他の人、異なる人との血の通った結び合いを経験し、私たちは大きないのちの流れの中で生かされている、という開かれたいのちへの感受性が、地域での優れた出会いの場である“風”の中で育まれている、と感じられるのである。
(NPOコンソーシアム足利会長)
鈴木 光尚
NPO法人「育て上げネット」(東京)
意欲あるが踏み出せない人に
多様な請負業務を用意
「出会いフェスタ2005」 (日本青年館)で事例発表 する工藤啓氏
働く意欲のない若者として解釈されてしまったニートの若者たち。彼らは本当に「働く意欲のない若者」なのであろうか。
社会的・家庭的孤立
ニートの若者の多くは二つの孤立状態にある。高校や大学を卒業後、しばらくの間は同級生や地元の友人と話をしたり、どこかへでかけたりすることも頻繁であるが、そのうちに転勤する者、会社で重要な仕事を任され多忙になる者、家庭を持つ者など、自然と友人同士が集まる機会は減少していく。これを「社会的孤立」と呼ぶ。もう一方は「家庭的孤立」で、ニートの状態が長期化する間に、弟や妹が就労し始める。そうなると保護者を含めた家族からの"見えないプレッシャー"を感じるようになり、家族との会話が減少していく。ある者は自室に閉じこもりがちになり、社会との接点を失っていく。
二つの孤立状態に陥ってしまった若者は心の拠り所をなくし、何に対しても積極的に一歩を踏み出すことが難しくなってしまう。この状態が長期化すると、自分という存在を「恥ずかしい」ものと捉えてしまい、対人不安や他者とのコミュニケーションに恐怖すら感じるようになる。
すべての人が陥る可能性
社会に参加することができなくなる原因は他にもある。中学校時代の劣悪ないじめ環境の中、担任の教員からの助けもなく苦しんだり、在学中の就職活動で数十の企業からはじかれてしまい、「自分は社会から必要とされていない」と思い込み、立ち止まってしまったりする。また、企業就職をしたものの連日の泊り込みと、過酷な競争社会の中で体を壊してしまい、職業社会に再度踏み出すことに跨躇してしまうこともある。彼らは真面目で正義感が強く、「人は働かなければならない」という価値観を人一倍抱えている。その価値観に縛られ、現実社会と自分自身の置かれた状態とのギャップに苦しんでいる。このような背景を考えると、ニート問題は決して特別な人間だけが陥るものではなく、すべての人間が陥る可能性を持っているということが理解できる。
「育て上げ」ネットでは、働く意欲がありながらも「働けない若者」、「働くことに希望が持てない若者」が、さまざまな研修プログラムや仲間作りのイベントを通じて社会参加を獲得し、就労できるよう支援を続けている。昼夜逆転の生活を改善する、他者とのコミュニケーションが取れるようになる、職業社会に一歩が踏み出せるよう、知識の獲得やスキルの向上、就労への準備をしていく。
農業、ビル清掃業など
研修プログラムは老人ホームや作業所、地域活動などのボランティアから、農業やビル・ホテルの清掃管理、パソコンでのデータ入力、地域からの多様な請負業務などから構成されている。最近では、近隣の花屋や自転車屋にインターンシップに通う者もいる。個別プログラムの作成は相談員と参加者本人によって決定され、対人不安が強かったり、他者とコミュニケーションを取ることが苦手だったりする場合には、内部でできる作業やボランティア活動を中心にしていく。
就労への具体的な研修プログラムに移行できるようになれば、再度、相談員と本人の問で話し合いの場を作り、具体的なプログラムの策定を行なう。
働き始めると若者は活力を取り戻す。これまで働く意志を持ちながらも、個々人が抱える理由から働けず、周囲からのプレッシャーに押しつぶされそうになりながら生活してきた若者にとって、働けることは何よりの喜びとなる。自分の労働により賃金を稼ぎ、自立した生活を始める。そんな彼らは働き始めることで「自由」を感じるという。保護者に依存する以外に生活していく方法がなかったため、金銭的にも心的にも「不自由さ」を抱えていた若者が、働くことによって自立をしていくのだ。
自らの力で歩き始める
「育て上げ」ネットでは、若者が自由を獲得し、自らの力で歩き始める姿を見られることに喜びを感じ、支援を継続している。
今後、日本では非労働力人口が増加し、国内産業を支えるべき若者の人材育成が不可欠となっていくであろう。自らの力で未来を切り開き、自己実現を果たし得る若者を支援していくことは費用対効果の面でも、即効性の面でも取り組みやすいことかもしれない。しかしながら、働く意欲を持ちながらも一歩が踏み出せない若者の自立は、若者本人が幸せな人生を歩むことができるだけでなく、社会不安や社会治安、そして社会コストの側面から考えても、目をそむけてはならない。
社会がニートの若者に対して理解を示し、積極的に支援をしていこうとしたとき、現在「育て上げ」ネットが取り組んでいる活動に蓄積された情報やノウハウが少しでも活かされるのであれば、喜んでそれを提供していきたいと考えている。
繰り返しになるが、ニートの若者は決して怠けているわけでも、働かない存在でもない。彼らは働く意志を持ち、働きたいと思っている。社会はその想いを理解し、広く支援の受け皿を構築していかなければならない。彼らはそれを待ち望んでいる。
(NPO法人 「育て上げ」ネット理事長)
工藤啓
カウンセリングや社会的つながりの自覚
従来担ったシステムを取り戻せ
次々とやってくるバスとワゴン車、中からは少し不安げな顔つきの若者達とダンボールに入った緊急物資。名簿に名前を書いた後、現地のボランティアコーディネーターの指示で、とりあえずの資材を抱えた若者達はグループごとに現場への匂いと軽トラックの排気臭が混ざり合っている。
一過性だった感動体験
「何かできることはないですか?」と、すぐ背後から声をかけられ、ちょっとしたデジャビュに感じたのは、私だけではないはず。今は台風23号の洪水被害の真っ只中の兵庫県但馬地方。でも、同じ風景、同じ匂い、同じ感覚は、10年前の阪神・淡路大震災の直後の神戸に確かに存在していた。あの平成7年(1995年)は、ボランティア元年と呼ばれ、悲惨な災害の中にも『人間って、まだまだ捨てたものじゃない!』という曙光さえ見えたような年だった。重油回収や地雷除去にも、多くの若者が関わっているというニュースも多く流れた。
しかし、その後の社会構造の変化と『復興』の枠組みの中で、ボランティアが組織化されるわけでもなく、また制度化されるわけでもなく、流れ解散的に若者は漂流していった。確かに、そのボランティアの現場で培った技能と経験を生かし、ベンチャー企業を立ち上げたり、NPOを設立したり、また別の分野でバリバリと働き始めた若者もいた。しかし、それはニュースソースになった一部の若者であって、ボランティアが若者の意識改革の特効薬になったわけではない。
何をしましょう?では・・・
なぜなら、災害ボランティアの経験は得がたいものであり、そこへ踏み出す一歩は崇高なものであるけれど、大半の若者にとってそれは職業訓練でもなく、技能習得でもなく、一過性の感動体験に他ならないからである。また本来、そこでのキャリアアップを求める場ではあり得ず、それが証拠に、10年後の兵庫県でタイムトラベルしたかのような若者が、自前の食料も水も機材も持たず、『何をしましょう?』とやって来るのが現実。
まあ、それを若者だけの責任にするのは酷なのは分かっている。大人が、行政組織が、地域社会が、ノドもと過ぎれば・・・で放置した結果なのだ。しかし、社会全体に漠然とした不安を成し始めたフリーターやニート。これまた、社会変容の中で必然的に現れてきたものではあるけれど、地域社会の怠惰がその一因となっていることは否めない。子ども会や町内会、婦人会やPTA、どれも大人たちのエゴで弱体化している。そう、自分だけは『楽』をしたいから。青年団も同様。過去の手法や組織形態にしがみつき、時代の流れの転換点で上手くハンドルを切れなければ、あっという間に姿を消し去るだろう。
フリーターやニートは、仕事や将来に対する不安を抱え、目標を持てないでいると言われている。しかし、その構成メンバーは一様なわけではない。就職したがなじめなかった者や就職活動で挫折した者、対人恐怖などの疾病や単なる甘えまで含まれる。そんな若者達が災害地でのボランティアとしてやってくる。そして、そこでもいろいろな事件(?)を起こしてくれるのだ。
きれい事では進まない
『あんたみたいな役に立たへん奴、いらんわ!』
『ボーっとしとったら邪魔や!』
『あんた、どっちの味方なん?』
ボランティアの最前線はきれい事では済まされない。まさにエゴのせめぎあい。ケガまではしなくても、人間不信になった若者や、不本意な活動を指示され泣いている者、責任を追及されたとたん故郷へ帰った者も多く見た。でも、その中で若者は学んだはず。コミュニケーション能力の必要性と、自分自身の能力に対する過剰な期待を。それが、社会全体の変革にまではつながらないとしても、フリーターやニートが持っている(というか、それが足を引っ張っている)その弱点を、かさぶたを剥がすように痛みを伴いつつ顕在化させることが、彼らの初めの第一歩となるはず。
それを地域で従来担ってきたのが青年団だったのではないだろうか。社会で必要なコミュニケーション能力の養成と職業カウンセリング。自然に行われてきたこのシステムの崩壊をかろうじて一部で担っているのが災害ボランティアの現場だというのは、皮肉な結果である。
青年団の新たな拠点とは
NPOや企業、行政までが切羽詰って動き始めている。とりあえず、地域の青年の経験値を高めるためにも、青年団は率先して被災地の情報を流し、災害ボランティアに若者を送り出し、帰ってきた若者に対しては必ず『振り返り』を通じて、社会とのつながりを意識させたステップアップを用意すべきであろう。そして、地元のヤングジョブスポットやジョブカフェなどの運営にも積極的に参加し、ひきこもり支援のNPOと協働して、その場を新たな『青年団』の拠点とすべきではないだろうか?
まず青年団からミッションを起こし脱皮しなければ、青年はいつまでたっても青年団に振り向こうとはしない。
(兵庫県野外レクリエーション指導者協議会事務局長)
栗木 剛
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