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84 川路聖謨肖像(かわじとしあきらしょうぞう) モジャイスキー画 【写真パネル】
江戸時代後期 原資料:東京大学史料編纂所
 川路聖謨(かわじとしあきら)は、ペリー来航以前から阿部政権の海防政策を担った、勘定所系の海防掛の代表的人物で、ロシア・プチャーチンとの交渉以後、外交面でその実力を発揮した。この肖像は、プチャーチン艦隊に同行し、絵や写真で多くの記録を残した海軍士官・アレクサンドル・モジャイスキーによるもの。
 
85 岩瀬忠震肖像(いわせただなりしょうぞう) 【写真パネル】
江戸時代後期 原資料:新城市設楽原歴史資料館
 岩瀬忠震(いわせただなり)は、安政の改革において阿部正弘に抜擢された、目付系海防掛の代表的人物である。開明派の幕臣としても知られ、安政期の幕府外交を実質的に担った。
 
86 七言絶句(ひちごんぜっく) 江木鰐水(えぎがくすい)書 一幅
安政五年(一九五八) 軸装 紙本墨書 一三八・〇×三三・〇
福山誠之館同窓会
 福山藩儒者・江木鰐水(えぎがくすい)が、越中島(えっちゅうじま)調練場(東京都江東区)で砲練を見学した印象を詠んだ漢詩。鰐水は「安政五年三月旬ニ」と記しているが、彼の日記には四月一二日に記載されている。
 越中島調練場は、安政の改革の一環として、安政二年に幕府が築造した。
 
矍鑠此翁技絶奇 砲聲震地墨江黌
一丸驚得萬人目 捲起塵煙倒表旗
安政五年三月旬二江都越中洲教場内藤翁距長十町巨命中
此場也良徳先公所営築 故令我藩開操之首而翁丸又為其首
者喜賦之 江木晋戈
 
87 江木鰐水肖像(えぎがくすいしょうぞう) 【写真パネル】
現代 原資料:福山誠之館同窓会
 
88 諸国寺院釣鐘供出の図(しょこくじいんつりがねきょうしゅつのず)
(「菅波信道一代記(すがなみのぶみちいちだいき)」前編巻之三一) 一冊
江戸時代後期 冊子 紙本淡彩 二七・三×一九・七
個人 広島県重要文化財
 安政二年(一八五五)一一月、福山藩が出した寺院梵鐘を大砲・小銃に改鋳するための供出命令により、各村から梵鐘が供出される様子を描いている。この供出は、徳川斉昭の働きかけで前年一二月に出された太政官符を受けて、幕府が布告したものだが、形式的なものにとどまった。しかし、福山藩では斉昭に対する阿部正弘の配慮から実際に行われた。
 
89 福山藩軍艦(ふくやまはんぐんかん)・順風丸(じゅんぷうまる)
(「幕末維新幕府諸藩艦船図(ばくまついしんばくふしょはんかんせんず)」) 【写真パネル】
江戸時代後期 原資料:東京大学教養学部
 阿部正弘は嘉永六年(一八五三)九月一五日に大船建造を解禁、浦賀奉行所や雄藩が軍艦建造に着手した。正弘は自藩でも西洋式帆船の建造を計画、徳川斉昭が推薦した中浜万次郎(なかはままんじろう)に雛形を造らせた。建造計画は正弘の没後も引き継がれ、文久二年(一八六二)に順風丸が完成した。
 中浜万次郎と順風丸については、阿部正道氏『福山藩の洋式帆船「順風丸」と「快鷹艦」―老中阿部正弘と中浜万次郎』を参照されたい。
 
90 誠之館御諭書(せいしかんおんさとしがき) 阿部正弘書 一額
嘉永七年(一八五四) 額装 紙本墨書 二六・〇×二一六
福山誠之館同窓会
 嘉永七年一月、江戸丸山の福山藩邸内に設置された学問・「誠之館(せいしかん)」の発会式(開校式)が挙行された。阿部正弘の直書であるこの諭書は、「文武一致」という誠之館の教育目的を端的に示している。この諭書は、江戸・福山の両誠之館の発会式で読み上げられ、その後、毎年一月の発会式(始業式)の際に必ず読み上げられるのが恒例となっていた。
 
91 誠之館絵図面(せいしかんえずめん) 一枚
江戸時代後期 一紙 紙本墨書
当館(黄葉夕陽文庫)
 福山誠之館は福山西町字霞町道三口(福山市霞町)に建設され、安政元年(一八五四)十二月竣工、この図に記された学堂・講武堂の他、武芸流派ごとの稽古場、馬場、厩舎などが建設され、翌二年一月一六日に開校した。学堂には儒学、軍学、礼法の他、算術、蘭学、医学の名が見える。長沼流とあるのは、阿部正弘が従来の甲州流兵法に加え採用した長沼流兵法である。
 藩士の子弟は誠之館に八才で入学し、一〇歳で武術を始めた。役職への登用は、一七歳で行う文武の考試の結果に基づいた。藩士・子弟以外の聴講も制限付きだが認められていた。
 
92 誠之館玄関(せいしかんげんかん) 【写真パネル】
安政元年(一八五四) 登録有形文化財
 現存する福山誠之館開校当時の唯一の建物で、旧制福山誠之館中学及び福山誠之館高等学校が移転する度に移築され、現在は福山市木之庄町の同高校敷地内に所在する。
 
93 扁額(へんがく)「誠之館(せいしかん)」(複製) 【写真パネル】
江戸時代後期 原資料:福山誠之館同窓会
 藩校名は『中庸』の「誠者天之道也、誠之者人道也」からとったもの。この扁額は揮毫を徳川斉昭に依頼したもので、「嘉永七年甲寅正月十一日辛亥書之 権中納言従三位源朝臣斉昭」とある。扁額は現在、福山誠之館高等学校講堂正面の欄間に掲げられている。
 
94 六分儀(ろくぶんぎ) 一基
金属製 径三〇・五 福山誠之館同窓会
 阿部家から寄贈されたもので、ドイツ・ベルリン製。六分儀は天球上の角距離を計り、現在地の緯度・経度を知る器械である。円に対する儀枠の中心角によって、四分儀・六分儀・八分儀に分類される。誠之館へはこのほか、天体運球儀、地球儀、顕微鏡が寄贈されており、ペリーが阿部正弘に贈った品とも伝えられている。
 
95 蝦夷探査図絵(えぞたんさずえ) 関藤藤陰(せきとうとういん)書 一巻
安政四年(一八五七) 巻子 紙本著色 二〇・〇×一五四・〇
福山誠之館同窓会
 安政三年と翌年に行われた、福山藩士による蝦夷地(北海道)調査の記録。阿部正弘の命を受けた藩儒者・関藤藤陰(せきとうとういん)らが、安政三年にクナシリ・エトロフ、翌年に松前地、西蝦夷地、樺太の調査を実施した。第二次調査中の安政四年七月二一日、調査隊は正弘死去の報に接した。この調査は、正弘以下の老中が蝦夷地開発を前提に個別に家臣を派遣したものである。正弘以外の老中もこの後辞職したため、調査の成果が生かされることはなかった。
 
96 関藤藤陰肖像(せきとうとういんしょうぞう) 【写真パネル】
現代 原資料:福山誠之館同窓会
 
97 犬塚正陽宛井伊直弼書状(いぬづかまさはるあていいなおすけしょじょう) 【写真パネル】
弘化四年(一八四七)
原資料:彦根城博物館(重要文化財 彦根藩井伊家文書)
 彦根藩世子当時の井伊直弼が国許の家臣に送った書状で、阿部正弘に会った印象を記している。彦根藩にとって不本意な異国船警備を命じられた背景もあってか、「天下ノ執政大器物トハ不被存」と評価は厳しい。一方で、「当時評判之一人」と世間での評判が良いと述べている。
 
98 福山御城に向い御仁政を仰ぎ奉る之図(ふくやまおしろにむかいごじんせいをあおぎたてまつるのず)
(「菅波信道一代記(すがなみのぶみちいちだいき)」前巻之終) 一冊
江戸時代後期 冊子 二七・三×一九・七
個人 広島県重要文化財
 天保の大飢饉における阿部正弘の仁政に対して、領内の農民が福山城に向って手を合わせている図。「菅波信道一代記」の記述は、一貫して阿部正弘を名君と評しており、当時の富農層の正弘に対する一つの見方がわかる。
 
99 ペリー提督日本遠征記(ていとくにほんえんせいき) ホークス編 三冊
一八五六年 冊子版本 二九・八×二四・五
神奈川県立歴史博物館
Narrative of Expedition of An American Squadron to the China and Japan, in the year of 1852, 53 and 1854. 1856.
 ペリーが海軍省を経由して上院に提出した報告書で、三巻で構成されている。第一巻はアメリカ出発から条約締結までの記録で、歴史家のフランシス・L・ホークスが編纂した。挿画には、ハイネや写真家による絵や写真をもとにした石版画が多数含まれる。日本側の資料を利用できなかった点で、アメリカ人の視点に立ちアメリカ人へ向けた記述であることを留意する必要がある。
 第二巻は航海で得た各地の農業や動植物などの記録と考察、第三巻は黄道光と呼ばれる天文現象の観測記録で、ペリーが学術的にもこの遠征を重視していたことがわかる。
 
100 福山藩国事関係録(ふくやまはんこくじかんけいろく) 一冊
近代 冊子原本 二四・七×一六・四
個人蔵
 本書は、嘉永六年(一八五三)〜安政五年(一八五八)の阿部正弘が幕政に関わった記録をまとめたもので、関藤藤陰が記述している。内容はペリーが来航した六月三日から始まっており、この事件が近代への転換点と意識されていたことがわかる。なおこの資料は、宮内庁蔵の「阿部正桓家記『近事抄』」の原本とみられる。
 
101 米船渡来旧諸藩士固之図(べいせんとらいきゅうしょはんしかためのず) 東洲勝月画 【写真パネル】
明治二二年(一八八九)
原資料:神奈川県立歴史博物館(丹波コレクション)
 葵紋の旗を翻し黒船の警固にあたる諸藩の武士。勇壮な錦絵だが、刊行されたのは大日本帝国憲法が発布された年であることを考えると、西洋文明の象徴である黒船に対する武士の姿が、時代錯誤とも映る。明治政府は幕府の外交政策を「失政」と位置づけ、「万国対峙」を国是として出発したため、幕府は外交において無能であったという評価が定着していった。
 
102 阿部伊勢守正弘公伝(あべいせのかみまさひろこうでん) 浜野章吉(はまのしょうきち)著 一冊
明治三十六年(一九〇三) 冊子版本 二二・二×一五・二
当館(黄葉夕陽文庫)
 元福山藩士・浜野章吉(はまのしょうきち)が明治三十六年に出版した阿部正弘の伝記で、非売品。
 浜野は明治三十二年に刊行された「懐旧紀事・阿部正弘事蹟」の著者で、同書執筆の意図を「世人幕府ノ方針閣老ノ計画ヲ評論スル者多クハ姑息摸稜ノ処置トナセリ」であるのに対して、「一ハ幕府待外ノ本領ヲ表白シ一ハ公(正弘)ノ邦家ニ尽サレタル薀底ヲ証明」することであると述べている。







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