日米和親条約締結から今年で一五〇年を迎えます。アメリカ合衆国のペリー艦隊来航によって結ばれたこの条約は、江戸幕府の鎖国政策の放棄のみならず、日本が近代国際社会へ歩み出した第一歩でもありました。この条約の締結を決断したのが、当時老中首座であった福山藩主・阿部正弘でした。
阿部正弘は、国内では天保の改革が失敗に終わり封建体制が行き詰り、対外的には西洋との緊張関係が高まる中で幕政の運営を担い、遂にペリー艦隊の来航によって日本の未来への道筋を決定づける決断を迫られることになりました。
今回の展示では、阿部正弘が歴史的な転換点となった日米和親条約締結を決断するまでの過程を、福山藩をはじめ当時の内外情勢をふまえながら紹介します。
最後に、当展の開催にあたってご協力いただいた皆様に、心より感謝を表します。
平成一六(二〇〇四)年四月
広島県立歴史博物館
凡例
一 この図録は、広島県立歴史博物館において、平成一六(二〇〇四)年四月二三日(金)から五月二三日(日)まで開催する、春の企画展「阿部正弘と日米和親条約」に際して製作した。
一 図版ならびに解説に付した資料番号は、巻末の出品目録と共通する。
一 資料解説中に記した寸法はセンチメートル、原則として縦×横で記述した。
一 資料の名称で、異体字・旧字などが使用されたものは、原則として新字で表した。
一 数字の表記は、一・一〇・一〇〇〇の要領で行った。但し、歴史的日本年号の表記にあたっては十等を用いた。
一 資料解説中の江戸時代の日付は、旧暦で表記した。
一 資料解説中でこの展示に関わる重要人物名はゴシック体で表記した。
一 本展覧会の企画は、主任学芸員・西村直城と主任学芸員・松崎哲が担当した。
一 本文の執筆、人物略伝・年表の作成及び編集は西村が行った。
一 展示資料一覧に写真提供者の明記がない写真原板については、資料所有者から提供を受けた。
一 「老中阿部正弘の肖像」と『福山藩の洋式帆船「順風丸」と「快鷹艦」ー老中阿部正弘と中浜万次郎』は、『福山誠之館同窓会報』第7号(二〇〇〇年発行)・第8号(二〇〇一年発行)に掲載されたものを、執筆者及び発行者の誠之館同窓会の了解を得て、一部修正のうえ掲載した。
表紙写真 阿部正弘肖像(個人蔵)
ペリー来航図(吉備津神社蔵)
1. 阿部正弘肖像 吉田洞谷画
3. 五言対句 阿部正弘書
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