日本財団 図書館


1996年 『ギャンブルフィーバー』中公新書
第七章 世界の動きとギャンブルの未来
谷岡一郎
 
カジノギャンブルの役割の変化
 ヨーロッパのカジノ、特に伝統的なモナコ、フランス、ドイツなどのカジノと、アメリカや東南アジアのそれとは、性質が同じものではない。ヨーロッパのカジノは主として裕福な保養地にあり、豪華で格式張った社交の場であり、服装コードなども厳格に守られているのが常である。入場に際しては一定の要件が必要で、好ましくないと判断される人々や、身分を証明できない人は入場を制限されることがある。
 それに比べ、アメリカや東南アジアのカジノは、一般的なリゾート地区を中心として出現し、誰でも気軽に入れて、服装もこだわる必要はあまりない。そして例えば映画を観るかわりにカジノで「遊ぶ」という感覚でプレーするわけである。つまり、カジノはリゾート地域にある、ゴルフ場や美術館と同様にアミューズメント施設のひとつとして位置づけられているのである。このカジノの役割の変化、すなわち金持ちの社交の場から一般向けのアミューズメントとしての位置づけへの変化、または今までの「賭博」行為から「遊び」行為への変化は、役割の大きな転換であると考えられる。これからの社会は、カジノというものを今までの枠組みの中で考えるのではなく、アミューズメント産業のひとつとして新たな枠組みを構築するという考え方も成立するのである。ヨーロッパの国々にはカジノが多く、またアフリカにも相当数存在するが、日本客を意識しているのは、主としてアジア・太平洋諸国とアメリカのラスヴェガスであろう。この二つを順に説明していくことにする。まず、アジア・太平洋地域の動きから始めよう。
 日本に一番近い合法のカジノは韓国の済州(チェジュ)島である。より簡素化された手続きで入国できることもあって日本人訪問客は多い。韓国には、その他一九六〇年代終盤より、ソウルや慶州など七つの都市にカジノができ、新たな巨大建築計画もソウルで進行中である。香港にほど近いポルトガル領マカオはギャンブルの世界では先輩格で、特に賑やかなマンダリンパレスホテルをはじめ、七ヶ所にカジノがある。最近は、ハイアットリージェンシーホテルのように、日本人客、特にバカラの客をターゲットに絞ったカジノもあるようである。日本の近くという点では中国にも巨大カジノ計画が進行しており、特に北京では、アメリカ資本との共同で具体的プランが進行中である。思い起こせば、日本の麻雀も中国から明治末期に入ってきたものであり、観光客の多いこの国でカジノが成功することは不思議ではない。
 フィリピンやマレーシア、ネパールにも観光地を中心にカジノができている。ほとんどの場所はアメリカドルでプレーされている。特にシンガポールの中国系の富裕な人々で賑わうマレーシアのゲンティンカジノは有名で、床面積、収益とも世界有数の規模である。
 オーストラリア、ニュージーランドといった太平洋諸国も、日本人やアメリカ人観光客をターゲットとした、リゾート地のカジノが増加中である。この地域では、オーストラリア南部のタスマニア島が古く、一九七三年に早くもカジノをオープンしているのであり、その後ゴールドコースト、パース、メルボルン、ブリスベンなどでもオープンした。西暦二〇〇〇年のオリンピックを控えたシドニーでも世界最大ともいわれるカジノが現在建設中で、一九九五年には一部分オープンしている。ここで紹介したカジノはどこももはや社交の場ではなく、気軽に遊ぶためのアミューズメント施設のひとつであり、一般的なツアーコースの都市ばかりであることを確認していただきたい。つまり、これらの都市でのカジノは、楽しみの度合いを深めるための手段にすぎず、リゾート地区のアミューズメントの質の向上を目指した企業努力の結果にすぎないのである。
 とはいいながら、世界中でのギャンブルの総本山といえば、アメリカのラスヴェガスをおいてほかにない。日本人客も一日平均で八五〇人も訪れており、直行便を出す日も近いのではないかと噂されているほどである。かつてのようにアメリカ西海岸ツアーの中の一泊としてや、グランドキャニオンへの足場としてではない。今や純粋にラスヴェガスを目的としたツアー、例えばラスヴェガス・フリー四日間、五日間といったツアーが大盛況になっているのである。
 ラスヴェガスと聞けばギャンブルとショーの街というイメージを持つ人が多いであろう。しかし、今日のラスヴェガスは老若男女を問わず、またギャンブル好きであるか否かを問わず、誰でも楽しめる街に発展を遂げているのである。例えば子供たちにはプールやゲームセンターはいうに及ばず、遊園地やテーマパークなども各種そろっていて、何日でも飽きないほどである。またギャンブルをしない家族には、超高級ショッピングセンターやデパート、また、ラスヴェガス以外では観ることのできないショーや有名人のステージなどがある。むろんエステティックやスパ、テニスコート、ゴルフコースなども各所にある。特に一九九三年以降の大建設ブームはすべて、人々をトータルに楽しませることを目的とした方向にあった、といっても過言ではない(詳しくは拙論「ラスベガスの新しい風:建設ブームと新ゲーム革命」を参照のこと)。ラスヴェガスは食事やホテル代は他の大都市に比べてかなり安めに設定されているのも魅力である。これはホテルのカジノで遊んでもらいたいがための施策であるが、この経済性と、ホテル収容能力とが物をいってコンヴェンションシティとしても世界有数である。一九九五年十一月にはコンピュータ関連(コムデック)の会議で二三万人以上(!)集まったそうであるが、これだけの人数を収容できる都市は、まずラスヴェガス以外考えられない。
 要するにラスヴェガスは、他のリゾートのようにリゾート地にカジノを加えたのではなく、カジノエリアに他のアミューズメントを加えて、より高度なリゾートを完成させたわけである。そしてアミューズメントのターゲットをギャンブル好きの人間のみではなく、すべての家族や団体を対象とし、そして各性別、各年齢層の快適さと楽しさを追求した結果としての都市なのである。
 今後のリゾート地がラスヴェガスから学ぶべき点は多い。むろん「規模的に第二第三のラスヴェガスが出現する可能性は少ない。しかし単に温泉が出るというだけや、海水浴場があるというだけで、何の努力もせず、最近は不況で客が減った、と嘆くだけでは根本的な解決とはなりえないのである。
一九八七年からのアメリカのギャンブルブーム
 ラスヴェガスは特異な街で、アメリカ国内でも年齢を問わないアミューズメントという概念でここに比肩しうる所はない。カジノの収益ではニュージャージー州のアトランティックシティも肩を並べようとしているが、アミューズメントやリゾートという基本概念の実践に関してはまだまだとしかいいようがなく、いわば巨大なギャンブル場でしかない。
 それはさておき、ラスヴェガス以外を見渡してみると、アメリカ及びカナダは一九八〇年代の終盤以来、空前のギャンブルブーム(特にカジノ)に見舞われているのである。それを今から紹介しておきたい。
 このブームの火付け役となったのは一九八八年に連邦議会を通過した「インディアン・ゲーミングコントロール法(Indian Gaming Control Act)」という法律で、これによって、自治区に住むインディアンたちは、一定の制限はあるものの、比較的自由にギャンブル場を作って良いことになった。前の表−5にも登場するが、今では計画中のものを含めると一〇〇ヶ所以上のインディアンによるカジノが存在するのである。特にニューヨーク以北の東部アメリカ市場を独占しているコネティカット州のフォックスウッドカジノは、ラスヴェガスを含めた全米でナンバーワンの収益を誇るカジノであり、毎年州政府に一五〇〇万ドルの寄付を行なっているほか、政治家や種々の財団に対しても多額の寄付を続けている。一九八八年という年は史上初めて、一部ではあるが、インディアン自治区の人々が経済的影響力を持ち始めることができた、画期的な年として記憶されることであろう。ただし今後のインディアン部族間の経済的格差を心配する声も聞かれている。
 インディアン自治区のカジノに加えてもうひとつ、ギャンブルブームに大きな力となったのが、船上でのカジノ、すなわち「リヴァーボート」と呼ばれるカジノの台頭である。インディアンカジノ法案の翌年、一九八九年にアイオワ州、続いてイリノイ州で法律が通り、翌九〇年には船上カジノが両州で実際にスタートしている。当初は上限を低く抑えた賭け金のみが許されていたが、競争者が増えた結果、上限は撤廃されてしまった。その後ミシシッピ州、ミズーリ州、ルイジアナ州などでもスタートし、インディアナ州でもスタートにこぎつけていて、今では六〇艘以上のカジノ船が稼働中である。かつて十九世紀終わり頃までは、ミシシッピ、ミズーリ両川にはカジノ船が多数存在していた時代があったが、今回の各州の動きは約一世紀ぶりの復活といえる。その他表−5には載せていないが、公海上でギャンブルを楽しめるクルーズ船もフロリダ、カリフォルニア、アラスカなどで就航している。この外洋クルーズは特にお年寄りたちに人気で、休日以外の日でもその日の小遣いを手にした男女の高齢者たちが列をなしている。少なくともカジノギャンブルで楽しみを得ている人々が存在しているのである。
 地上カジノも増加中である。規模は小さいが、モンタナ州ではインディアンカジノの法律より三年早い一九八五年に、すでに一定の要件を備えたバーやマーケットでのブラックジャック(上限五ドル)やスロットマシンが許可され、サウスダコタ州(一九八九年)、コロラド州(一九九〇年)がそれに続いた。ネヴァダ州でもラスヴェガス、リノ、タホといった有名な場所以外の土地に新興のカジノが増加中である。
 一九八七年に始まる一連のカジノブームを私はアメリカにおけるギャンブルブームの「第四の波」と呼んでいる。これはネルソン・ローズが一九六四年に始まる全米の宝くじブームを「第三の波」と呼んだこと(一九八六年)に対応しているのであるが、今回の波は歴史上最も高く、しかも急激なものであろう。
 ギャンブルがブームを迎える理由はよく分かっていない。いろいろな原因が複雑に絡み合っているはずであるが、それを分析するほど大規模の研究はまだなされていないからである。
 ギャンブルブームの原因の一つは前に述べたとおり、「不況」とそれに伴う他の遊興手段の制限であろうかと考えられる。一九三一年のネヴァダ州の合法化の前には、大恐慌による税収の落ち込みが存在したこと、今回のアイオワ州やその他の州での船上カジノ法案の前提も同様であったことは、州による「税収の増加」という目的、すなわちその前提である「不況」が原因であることの一つの証左でもある。日本でも公営競技が認められた(または議論された)のは、朝鮮戦争の始まる前の戦後の貧困生活の時であったし、逆に公営ギャンブルの廃止が東京都などで議論され実施されたのは、最も景気の良い時代であった。平成に入り、ギャンブル関連の売り上げが急進したのも、バブル経済の崩壊との関係が考えられる。
 アメリカのギャンブル合法化の対応は、カナダや、バハマなどの外圧もひとつの要因であろう。なにも外国の税収を増やさずとも、自国で合法化すれば良いからである。特に船上カジノの口火を切ったアイオワ州とイリノイ州はカナダへの週末旅行客の多くを吸収できたようだ。ギャンブルに関しては厳格なメキシコでも、外貨獲得の目玉としてカジノ導入が議論されており(『Mexico Business』一九九五年十一月号、四〇―四五ページ)いくつかの観光地が名乗りをあげているそうである。
カジノ船構想 in KOBE
 何かを変えようとすると必ず各論反対でつぶされ、たとえ変わるにしても牛歩のような国においては、よほどの求心力がなければ新しい法案の実現は困難を極める。私は、その求心力の可能性のひとつが、災害復興を目指す神戸市の財源の必要性であると考えた。ここでは著者が神戸市に提案し、一九九五年十一月に芸術工学会でも発表された、著者による論文「災害復興に向けての新産業デザイン in KOBE:船上カジノと人工島スポーツブックセンター」の一部を紹介していきたいと思う。そもそもこの論文を神戸市に提案する気持ちになったのは、ひとえに著者が神戸市に対し恩義を感じていること、そして神戸市の真の復興は、同情からではなく、神戸市に魅力を感じて訪れる観光客が戻らない限りありえない、と考えているからである。
 提案したのは神戸市の持つクルーズ船を利用した二種類の船上カジノである。一つ目は現在も就航中の船による二、三時間のクルーズを一日に三回行なうカジノ船プランで、主として家族連れをターゲットとしている。仮に神戸市の持つシルフィード号を改造した場合、スロットマシンを三〇〇台、テーブルゲームを三五台設置し、他に三つのレストランやカフェ、ラウンジバーが一ヶ所、子供用ゲームセンターが一ヶ所、そしてギフトショップなどを含めての具体的フロアープランも作成した。詳しくは拙論にあるので省略するが、かなり控えめな予想ながら、年間二七億円の粗利益が見込まれている。
 もうひとつの船は実際に湾内を航行することのない、実際には動かない船で、ドックサイト船と呼ばれているものである。こちらはクルーズ船とは異なり、純粋のギャンブラーのみをダーゲットとしており、余分なレストランや動力系などが不要な上、天候にも左右されず、二十四時間出入りが自由なため、より多くの収益が見込まれる。同じく控えめな試算で、年間七一億円余りの粗利益が生ずるものと予想されている。
 実施にあたっては、第三セクター方式による運営を前提とした組織が良いと思われる。そして厳格なチェック体制と、ガラス張りの会計基準とが不可欠の要素となるのである。
 収益金は主として教育(災害家庭奨学金、災害関連研究費)、福祉(仮設住宅維持・修理費など)、医療(ギャンブルホーリック用施設)などに使われることを提案しているが、これは市が考えるべき問題であって、単に示唆したにすぎない。いずれにせよカジノ解禁というものの持つ、ポジティヴな可能性を考える一助となって欲しかったのである。
 ちなみに競馬や競艇などの各公営競技団体は、震災復興資金調達を目的とした特別レースを開催し、少なからぬ金額を寄付している。しかしながら神戸やその他被災に遭った地域のことを真剣に考えているとは思えない。例えばJRA(一九八七年、中央競馬会を改称)を例にとると、中山競馬場など三ヶ所で復興支援を謳った(うたった)特別レースを一年間で三四レース開催し、合計三〇億円の寄付をした。しかしこの三四レースの売り上げ総額は五八〇億円、つまり粗利益は一四五億円あったはずである。これでは「負けても被災地のためだ」と思って余分に馬券を買った人々の気持ちが浮かばれないではないか。
ハイテク時代のギャンブル
 前に一度触れたが、インターネットなどのマルチメディアを利用したギャンブルは増加しつつある。カリブ海にあるアンティグァ・バーブーダの主催するインターネットカジノ(グローバルカジノと呼ばれている)はブラックジャックやクラップスまでプレーすることができ、すでに海外の会員が六〇〇〇名も存在する。一九九五年九、十月号の『Casino Magazine』の記事によると、このようなインターネットを利用したカジノ(スポーツブッキングを含む)はすでに一〇ヶ所を超え、レッスンや情報のみに限定すれば、そのまた何倍もの数になるという(一九九六年一月十五日号の『U.S. News & World Report』によると三〇〇ヶ所)。スポーツブッキングで日本でもお馴染みの英国のSSP杜は、日本向けのインターネットサーヴィスを開始し、スポーツの賭け率(オッズ)をいつでも知ることができるようにしている。また、リヒテンシュタインでも政府発行の宝くじをインターネットで発売するサーヴィス(「インターロット」と呼ばれる)を開始したそうである(『朝日新聞』一九九五年十二月一日、『日本経済新聞』一九九五年十月四日)。このようにハイテクを利用したギャンブルのうねりは世界中に広まりつつある。
 こうしたマルチメディア時代のギャンブルを最初に行なったのはアメリカのサウスダコタ州で、宝くじ(ナンバーズ)をヴィデオスクリーンで購入できる端末(Video Lottery Terminal 略して「VLT」と呼ばれる)をバーやマーケットに設置したのは一九八九年のことである。その後一九九一年末までにオレゴン州、ロードアイランド州、ウェストヴァージニア州、ルイジアナ州がそれに続いた。現在においては、全米で五万台以上のVLTが設けられている。
 VLT以外にも、俎上にのぼったハイテク利用のギャンブルはいくつか存在する。例えば、ミネソタ州のミネアポリスでは、任天堂のゲームマシンをそのまま宝くじ購入に使えるシステムの法案化が進められていた。結局法案は取り下げられたものの、将来復活する可能性は残されている。また、試作段階ではあるものの、NTNコミュニケーションズという会社は、自宅の有線放送画面を利用して競馬に参加することを可能にするソフトを発表して、現在注目を集めているそうである。
 
 宝くじといえど中毒性のあるギャンブルである。例えば最初に始めたサウスダコタ州には現在一万台以上のVLTがあり、これは大人七五人に一台の割合である。そして人口一人あたりの収益(すなわち、一人平均で負けた額)は一五〇ドルにものぼる。実際には少数の中毒者が集中して、大きな額を負けているわけであり、この「ギャンブルホーリックの誘因」ということはVLTの持つ問題点のひとつと考えられている。
 VLTのもうひとつの問題点は、「低年齢化」である。親の身分証明を使えば、子供でもVLTを通じてナンバーズゲームを楽しむことができるし、そもそも若年層の方が、この種の機械には詳しいのである。この中毒と低年齢化との問題とによって、最近カナダのノヴァスコシアでは住民投票によってVLTを撤去することが決定されている。また、オランダでも一度合法化されたにもかかわらず、また禁止されたのである。
 ハイテクやマルチメディアを利用したギャンブルには、もうひとつ、他のカジノギャンブルにはない問題点が存在する。それは「公正さの担保」ということである。日本をはじめ、世界の国々はマルチメディア時代に対し、少しでもリードしようと熾烈な競争を繰り返し、どちらかといえば、その安全性に対しては万全というわけにはいかないのが実情であろう。最近指摘されるようになった「公正さの担保」などの声は、要約すると「ハッカーによる犯罪の可能性」「プライヴァシーの保護」「イカサマの危険性」の三つである(『USA TODAY』一九九五年十一月十七日、『Casino Player』一九九五年十月号など参照のこと)。以下、簡単に説明しておこう。
 まず、「ハッカー」とはコンピュータプログラムやオンラインに勝手に侵入してくる者たちのことで、高度な技術的素養を持ち、自在にコンピュータなどを扱うことができるのが特徴である。ハリソン・フォード主演の映画「今そこにある危機」でもアメリカ政府の機密ファイルに、何重もの暗号によるガードを通り抜けてアクセスする話が登場するが、優秀なハッカーにとっては、それほど難しいことではない。そもそもセキュリティシステムのプログラムを作ったのも自分たちであるからである。なかには警戒の厳重なファイルに到達することにのみ悦びを感ずる者もいるかもしれないが、ハッカーたちの目的は主として、情報やオンライン化されたキャッシュを盗んだり、相手のプログラムを使用不能にしたりする犯罪行為である。インターネット上のカジノにしても、他人の口座から、他人の暗号を使用して金を盗んだり、盗んだ金で賭を行なったりすることは充分考えられる。
 同時に「プライヴァシーの保護」も危機に瀕しているようだ。たとえ口座からの現金を盗まれなくとも、知られたくないことをハッカーたちに知られるということは、個々の尊厳に対する侮辱であろう。顔の見えない誰かが、勝手に自分の給料の額やローンの残りの状況を探っても、本人には知りようがないし、追いかけることもできないのである。
 しかし、何といっても、インターネット上のギャンブルで、たぶん一番問題となるのは「イカサマの危険性」である。所詮はコンピュータのプログラムであるから、胴元が必ず儲かるように細工することは不可能ではない。特に海外に本拠地を置くカジノに対してのチェックやコントロールは法律的に不可能であるがゆえに、不正直な胴元がイカサマをする可能性は充分すぎるほどある。宝くじや馬券を購入するならまだしも、サイコロを転がすことまでコンピュータに委ねることは、少なくとも私には、お勧めできないことである。
 以上のように、スタート時より過熱気味のインターネットやマルチメディアを利用したギャンブルには、一般のカジノギャンブルに較べて、解決されるべき多くの問題点がある。今のところ手を出さない方が無難だといえるだろう。特にイカサマの可能性を残さないような法律の整備ができるまでは、禁止されるべきものと思われる。
 テレビやヴィデオスクリーンの技術革新の恩恵を被っているもうひとつのギャンブルの分野は、スポーツブックコーナーであろう。古くは一九四〇年代のアメリカ西海岸のギャングのボス、映画でもお馴染みのベンジャミン(バグジー)・シーゲルが当時としては画期的な「電話線を利用した競馬情報の集約」によって各地のレースの胴元を始めたのが、ラスヴェガスにおける情報集約型、つまり近代的スポーツブックの起源であるとされる。現在ラスヴェガスのスポーツブックコーナーでは三〇―五〇面ほどのマルチスクリーンが並び、全米や世界の各スポーツ情報が映し出されている。また別の画面には賭け率などの数字が表示され、新たな情報によって刻々と変化している。客たちはそれを観ていろいろな賭を行なうのである。
 ルーレットやブラックジャックといった伝統的なテーブルゲームも、技術革新から無縁ではない。例えばブラックジャックに関し、ここ数年で採用されたテクノロジーとして挙げうるのは、八組までのトランプをシャッフルする「自動シャッフルマシーン」「ディーラーの伏せ札をめくらずに(二一点であるか否かを)認識するテーブル上の新しい工夫」「客のプレーを評価し、上客であるか否かを判断するソフトウェア」「タバコの煙を拡散する工夫」などであるが、すべて客とカジノ側双方にとって時間的、経済的な利点と考えうる工夫ばかりである。これらは特許や実用新案の対象であり、仮にギャンブルが解禁されたとしてもほとんどのパテントがアメリカの企業に占められていることもありえよう。
 新しいゲームも続々と誕生している。一九九〇年代に入り、急激に伸びている新ゲームは、「カリビアン・スタッド」「パイガオ・ポーカー」「レット・イット・ライド」などのテーブルゲームであるが、ここでは詳しくは紹介するスペースがないので、これ以上の説明はやめておく。
 
表−8 日本人のギャンブル統計値および10年前との比較*
  1984年(単位:億円) 1994年(単位:億円) 10年間の増減(%)
パチンコ(貸玉料) 97,080 256,000 164
中央競馬 15,090 38,070 152
地方競馬 6,020 7,520 25
競輪 10,950 16,910 54
競誕 13,920 18,850 35
オートレース 2,010 2,940 46
宝くじ 2,980 7,330 146
麻雀(ゲーム料) 3,180 2,610 ▽18
ゲームセンター 4,790 5,710 19
(参考:「外食」) 74,940 122,170 63
* 『レジャー白書'96』(1996年)p.82、図表23−(ハ)を谷岡が作り直したもの。金額は「売り上げ」であって「収益」ではない。
日本のギャンブルの現状と未来
 日本人は賭け事の好きな国民なのだろうか。一般的には農耕系民族よりも狩猟系民族の方が「一発当てる」ことに人生を委ねているとする論もあるが実態はどうであろうか。
 表−8は『レジャー白書'96』による平成六年度に日本人が行なったギャンブルの統計値で、十年前の数値と比較してみたものである。むろん物価の変動も勘案すべきであるし、一九八六―八七年をピークとするバブル景気がこの期間に存在するので、お金の価値は同じではない。一応比較の指標として外食産業の売り上げを記載しておいたが、この十年間で六三パーセントの増加となっている。
 まず目を引くのは中央競馬と宝くじ、それにパチンコの伸びである。少し説明を加えておこう。
 中央競馬が地方競馬や他の公営競技に決定的な差をもたらしたのは、一九八七年の、従来の「中央競馬会」から「JRA」への名称変更を含む一連のコーポレート・アイデンティティーの動きであった。これによってダーティなイメージを減少させ、若者や女性ファンの拡大に成功したのである。ハード面でも設備を新しく、クリーンに変えたりしたが、私のみる限り、一番大きな改革は「情報化」の戦略である。マルチメディア時代にふさわしく、リアルタイムの映像と情報とを駆使した場外馬券売場を充実させた結果、場外馬券の売り上げが全体の八割を超えるに至ったのである。ちなみに地方競馬の場外売上率は一七パーセント、競輪が一六パーセント、競艇に至っては五パーセントに過ぎない(山田紘祥『よくわかるレジャー産業』一九九四年、一七〇ページ)。中央競馬全体の一九九五年の売り上げは、震災などの影響もあり、初めてわずかながら前年比マイナスであったものの、しっかりと新しいマーケットを手中にした感がある。
 宝くじは年々順調に成長している。むろん何もせず、自然にそうなったわけではない。賞金額の上昇や「ナンバーズ」などの新ゲームといった努力によってである。宝くじの場合、主催者による控除率が五三パーセントもあるので、一年間の売り上げ七三〇〇億円のうち粗利益は約三九〇〇億円もある。これはアトランティックシティの全カジノの一年間の粗利益(一九九四年で三四〇〇億円)を上回る額である。広報努力も盛んで、売り上げ上位の週刊誌には、当選した人のエピソードが漫画などで紹介されたりもしている。一九九五年の年末ジャンボ宝くじも「一等当選の確率が五〇パーセントもアップ」というコピーで購買意欲をあおっていたが、その実、一〇〇〇万枚あたりの一等本数が四本から六本に二本増えただけであるとか、前回は存在した「ドリーム賞」などの賞金が削られたため、賞金の総額はダウンしていること(注四)などは無視されているようである。
 パチンコは、その伸びもさることながら、玉の売り上げ(貸し出し)金額の大きさに驚かされる。日本の国家予算が一般会計で七〇兆円余りであることからすると、二五兆六〇〇〇億円という額はとてつもないものである。パチンコの貸玉総額は一九八四年には外食産業より三割程度多かった。それだけでもすごいことであるが、今やその差は一三兆円以上に拡がり、外食産業の二倍以上の金額に達しているのである。原因としては、フィーバー機や連チャン機の導入によるギャンブル性の増加や、パチンコ業界の努力もあるだろうが、たぶん一番大きなものは、他に手近なギャンブルがほとんどないことによるものと思われる。ちなみに『レジャー白書'96』の定義では、パチンコはギャンブルとされておらず、警察もパチンコを「ギャンブル」と呼ぶことに低抗を示す(注五)。笑止である。
 玉の貸し出しのうち、粗利益率は一〇パーセント前後であるといわれる(大橋厚雄『銀玉世界』一九九五年)ので、約二兆五六〇〇億円と計算できる。これに公営競技の粗利益二兆一〇〇〇億円と宝くじの三九〇〇億円を加えると、合計五兆五〇〇億円となり、これが、「一応合法」とされるギャンブルで、日本国民が一年間(一九九四年)に負けた金額の総額となる。「一応合法」と書いたのは、パチンコの換金はあくまで捜査当局の強引な解釈に過ぎず、法解釈上は違法とされるからである。この総額をパチンコをしてもよい年齢の十八歳以上の人口で割ると、平均で一人あたり約五万二六〇〇円負けた、ということになる。
 表−9はアメリカと日本、それにカジノ先進国であるオーストラリアの、競馬や宝くじなど合法のギャンブルすべてを含めた統計表である。それぞれ、「可処分所得」「合法ギャンブルの粗利益(すなわち国民が負けた額)総額」「大人一人あたりの平均負け金額」そして「可処分所得のうちギャンブル負け額の占める割合」を示している。一応成人人口で単純に比較されてはいるが、日本以外、特にアメリカでは、海外からの観光客が負けた金額も少なからぬ額が含まれていることに留意されたい。
 これを見る限り、平均的日本人はギャンブルホーリックが社会問題として注目されているアメリカの、二・五倍の金額をギャンブルで負けており、オーストラリア人とほぼ同じである。また可処分所得に占める割合もオーストラリアとほぼ同じである。日本人はギャンブル好きといえるのかもしれない、ということが、数字の上からは観察しうるのである。ただし何回も繰り返すように、日本のギャンブル控除率の方がはるかに高いため、同じ金額を同じ回数賭けたとしても負ける額は自然に多くなるはずであるので、そこを割り引いて考えたとすれば、アメリカとオーストラリアの中間ぐらいではないかと思われる。
 以上はむろん合法なものに限った話であって、いわゆるノミ行為やカジノバーなどによる非合法なものをはじめ、仲間どうしの麻雀やその他の賭け事は含まれていない。これは日本のみならず、他の国についても同じことで、例えばアメリカでは、州外からの電話によるスポーツブックの投票(競馬やフットボールなど)が禁止されているので、各州、各地域に日本でいう「ノミ屋」の胴元が存在する。一九九六年四月の『Casino Journal』の評価によると、全米で年間約一二兆円もの、スポーツを対象とした非合法ベットが行なわれているとのことである。また、仲間どうしでのポーカーなども盛んである。結局非合法な部分で賭けられている額は日本でもそれ以外でも判らないわけである。
 
表−9 1994年の合法ギャンブル市場比較:アメリカ・オーストラリア・日本
  アメリカ オーストラリア 日本
可処分所得
(単位:100億円)
416兆97 27兆50 194兆06
合法ギャンブルの粗利益トータル
(単位:100億円)
3兆99 71 5兆05
大人1人あたり平均負け金額
(単位:円)
20,764 53,605 52,600
可処分所得に占めるギャンブル負け額
(%)
0.96 2.58 2.60
 1$=\100として計算。
 アメリカ・オーストラリアに関してはベア・スターン社による『ゲーミングインダストリー』1995年、p.12の数値。日本は(財)余暇開発センター『レジャー白書'96」1996年、および総務庁統計局『家計調査報告』1995年による。
 「大人」の定義は国により異なる。
 ギャンブルの未来
 今後ギャンブルは、人々の生活上どのような位置を占め、またそれによってギャンブル産業はどのように変化してゆくのだろうか。
 まずアメリカにおける一九八〇年代後半から現在に至る大きなギャンブルブームの波は、衰退してゆくのか、それとも継続してゆくのか、という問題について、二つの意見があるので紹介しておこう。
 一つ目は『ギャンブルと法』(一九八六年)の著者で、アメリカのギャンブルの歴史を三つの大きな波に分類したネルソン・ローズ教授である。ローズは、波というのは必ず栄枯盛衰を繰り返すものであり、今回のギャンブルブームも例外ではなく、例えば今から四十年後にはカジノのギャンブルがすべて禁止されている状態になるだろうと述べている(『第三の波の栄枯盛衰』一九九一年)。同じ論に立つのが『運まかせのビジネス』(一九九五年)を著したグッドマン教授である。彼によると現在のカジノ産業の繁栄は、他の産業を犠牲にした上に立つ虚構にすぎず、崩壊を迎えるのは時間の問題であるとしている。つまり、今はまだ物珍しさで成長しているように見えるが、いずれ人々がカジノ産業が他の犠牲の上に成り立つという実態を知り、衰退するであろうとするのである。
 これら二人の意見とは逆に楽観的な未来を予言するのはネヴァダ州立大学ラスヴェガス校のトンプソン教授である。彼によるとカジノギャンブリングはアミューズメントの一部として定着しつつあり、過去の衰退の時のように、反対運動が連邦政府による禁止令にまで盛り上がることはありえないとしている。また、アミューズメントの一部として認知されたカジノギャンブリングは、各州の法律の整備をも含めて健全な発展を遂げるだろう。むろん競争に負けて倒産するカジノもあるかもしれないが、それは発展プロセスにおける淘汰にすぎないのである、と述べている。同様の論旨は最近のギャンブル情勢調査を行なったグループ(ワトキンス&フォード、一九九六年)や機を見るに敏な株式アナリストたちの見解でもある。
 どちらが正しいかは時が解答してくれる問題であろう。私に関していえば、個人的な望みをも含めて、ギャンブルが健全な方向に発展し、アミューズメントとして定着していくだろうと考えている。つまり後者の意見である。むろん終わりのない波は存在しないという意見は正しい。がしかし、大きな波が引いた後も過去にない量と質のカジノギャンブルが人々の間に普及している可能性は高い。そういった意味での楽観的立場なのである。
 といってもこれはアメリカでの話であって、日本はどうかといえばよく判らない。カジノ合法化が近い将来可能か否かが判らないからである。仮にカジノ合法化がなされたとして考えると、まず、既存の公営ギャンブルが様変わりをすることは間違いない。今のままの二五パーセントの控除率では客が来ないからである。また、パチンコ店も経営効率の良いガラス張りの会計のものを残して淘汰される時代が来るであろう。そして何より、「ギャンブル」という行為のもつ暗いイメージが徐々に健全なものへと変化するスタートとなるであろう。
 反対にカジノおよびギャンブルが今のまま解禁されないとすると、どうであろうか。ほとんど何も変わらないであろう。ギャンブルが市民権を得ることはなく、今までどおり胡散臭いイメージでとらえられ、そして既存の公営ギャンブルやパチンコ業界は何ら変化せず、また、役人は関連団体へ天下りを続けることであろう。そして日本は、アミューズメント後進国のまま残ることであろう。健全な娯楽が提供されない社会における「ひずみ」の大きさは、今のところ予想がつかないが、決して小さなものではないことに関しては確信している。
 ギャンブルが解禁されないという前提でのわずかな望みは、最近のパチンコ業界若手経営者による株式上場の動きである。この動きによって不透明や不健全なパチンコパーラーが淘汰され、カジノバーも含めて、ガラス張り会計化することが可能なら、徐々にでもギャンブルの健全化が進むかもしれない。進んでもらいたいものである。
 世界中のその他の地域では、特にリゾート地を中心としてカジノ建設が進むだろうと思われる。すでにカジノはアミューズメントの一部であることを察知しているからである。また、すでにカジノを持つ地域では、他のアミューズメントが付加されていくであろう。また、目的地に向かう船や航空機内でのギャンブルも盛んになってゆくことだろう。こうして家族単位で老若男女が楽しめる形のリゾートエリアが増加していくだろうと考えられる。カジノギャンブルは世界中で新時代を迎えているのである。
谷岡一郎(たにおか いちろう)
1956年生まれ。
慶應義塾大学法学部卒業。
南カリフォルニア大学社会学部大学院博士課程修了。
大阪商業大学助教授、教授を経て、現在、同大学学長。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION