1999年 『公営競技の文化経済学』芙蓉書房
第五章 公営競技と文化経済学
佐々木晃彦
一、文化産業として
スポーツが文化現象になるまでは長い道程があった。ホイジンガが『ホモ・ルーデンス』を著して以来、たくさんの研究家がスポーツの意味付与について発言を繰り返してきた。
かつて文化は、美術、音楽、演劇、映画など“教養”としてのそれであり、教養人と非教養人を区別する物差しであった。近年の造語、「文化住宅」や「文化包丁」すら古いものになって、居酒屋文化、ポップ文化などという言葉も生まれている。言葉の定義や使われ方は、時の流れや地域によっても違ってくるから難しい(1)。この時や地域を越えて、文化にみんなが等しく求めてきたもの、それは品格や品性というものではないだろうか。そうなると、文化とスポーツを結び付けるものは、鍛えた全人格を自らのプレイに示すことにあると考えられる。
ノックアウト・シーンにボクシングの醍醐味を堪能しようとしている人がいる。判定ではつまらないと言うのだ。しかし私たちは、KOシーンだけを期待して会場に行かない。技量を見たいのだ。KOだけを望むのなら、マッチメーカーは咬ませ犬を探し、力量の違う二人を戦わせれば事足りる。そして「何連続KO勝ち」などの人為的記録から、「強い」というイメージをつくりあげる。これはスポーツではなく、暴力である。あらん限りの罵声が会場内を支配したり、応援するチームが不利になったり負けたりすると騒ぐヒステリー集団もまた暴力的だ。ここでは戦う人達や、観客の人間性が愚弄されているから、非文化としてのスポーツと言わねばならない(2)。
余暇生活充実の視点から文化産業としての公営競技を取り上げるなら、文化的欲求(3)を考えなければならない。スポーツがもつ品性ある魅力から、ホーマーが歌を書き、ドガやデュフィ、アンビーユが絵を描き、ボードレールが詩を書いたのだ。競馬などが歌や絵、詩のモチーフになってきたのは、かようなスポーツが「達成の原理」や「公正な競争原理」から社会をつくり、人間をつくってきたからと考えられる。公営競技を職業とする選手は、このような原理を踏まえて観客の前で演じ、感動を与え、そして悪戯っ子(いたずらっこ)のように賭け事に潜んでいる「夢」を与えるのだ。
夢の発信者である選手は管理と窮屈さのなかで時間を過ごし、しかも舞台は危険の伴う生死の境界線上にある。舞台は千葉競輪場だが、九〇人を四日間あずかる部門の人々も緊張のなかにいる。「一人ひとりは個人事業者ですから、我も強くなりがちです。そこで共同生活を強いられ、ベストの成績を求められる。でも立派な精神力をもつ人格者が多く、教えられることも少なくないです」「この六月でしたか、選手の睡眠中に警報機が鳴ってしまいました。機械の正常な作動で起こったことですが、ゼッタイあってはならないことで、選手には迷惑を掛けてしまいました」(4)ということも。
公営競技が余暇生活を充実させる地域の文化産業として発展するには、施設自体が社会的機能を有する都市の顔としての「文化装置」でなければならないし、多目的利用(107頁参照)に見られるような「市民的公共性」をもつ必要もある。発信者、受信者、その双方をインターフェイスさせる施設の運営管理者は、文化がもつ特有の本質と意義を認識することが不可欠になる。「文化をめぐるキーワードは『やすらぎ』と『ゆらぎ』であるが、そのどちらも文化の姿だ」(5)し、文化と言うからには「修練を要し、その修練が享受能力そのものを更に高める大衆への文化教育」(6)も課題になってくる。
二、地域社会との共生
歩道に花屋、衣類屋、リンゴや柿などの果物が並び、老舗の羊羹屋に人の列が並ぶ。そんな大通りから小道に入ると、お年寄りが立ち話をする長閑な光景がある。祭りのテントが張られて提灯が下がり、なかではハッピ姿の四、五人が車座になって仲間と食を楽しんでいる。神輿を担いだ後に楽しむ日本酒の瓶が数本、奥まったところに並んでいる。これは東京・根津で出会った秋の一コマだが、大都市に昔ながらの、このような景観を求めるのは難しくなってきた(7)。景観は、文化経済学が取り扱う大きなテーマの一つだ。
果たして地方はどうであろうか。駐日アメリカ大使をされたエドウィン・ライシャワー博士は、「果てしなく続く山脈、大森林、点在する町や村は住民にとって快適な空間で、日本本来の姿を思い出させる美しい所である。それは三〇〇年前に、松尾芭蕉が、かの有名な旅行で山形を訪ねた時に目にしたものだ」と語り、山形は自然の美だけではなく、人々もまた魅力的であると称賛した。私たちの心が潤うのは、大都市のビルの群や人の群、経済活動だけにあるのではない。公共財としての景観保全も大事だ。それを誰が、どのようなプロセスでつくり、マネージメントしていくのか、そこを避けては経済の足を引っ張ることもあり得る。
経済活動の目的が私たちを豊かにすることにあるのなら、むしろ地域の固有性や多様性を積極的に引き出し、そこに住む人々の生きがいを充足させる経済学の枠組みが必要だ。池上惇・福井県立大学教授はその開発者として、「進化経済学」を提唱したケネス・E・ボールディングをあげている(8)。経済活動が真の発展をみるには、その行われる場所と生活者が「共生」し合える環境保全を行っているかどうかが重要になってくる。
前書きが長くなったが、例えば公営競技では、交通公害、騒音公害、周辺対策などの問題が開催地域でつきまとう。公営の娯楽施設であるなら、場内にあって国民に等しく楽しませる配慮を施すのと同様に、施設場外にある周辺住民を考えた一層の環境改善が大切になる(9)。
これは公営競技に限ったことではないが、人を集めるのに四苦八苦する一方で「車での来場はご遠慮下さい」との注文がつく。マイカー普及時代のマイカー締め出しである。マイカーに慣れた人は、なかなか電車やバスを使わない。このようにして公営競技自体とは無関係な交通混雑で、地域の人々からギャンブル公害の反感を買う場合もある。最初はこのようなトラブルがなかったのに、住宅地が開発されて競技場の方に押し寄せてきたケースもある。社会を潤してきた公営競技である。ファンの苦情と周辺住民の苦情、その双方のどちらか一方が他方を圧したり、無視したりすることがあってはならない。
三、社会貢献の公営競技
中央競馬、地方競馬、競輪、競艇、オートレースの公営競技がもたらした施行者収益金の一部は、第一国庫納付金、第二国庫納付金、あるいは特別国庫納付金として、または一般会計への繰出し金として、地方財政の重要な財源などに充てられてきた。その内容は多岐にわたるが一部をあげると、小学校や中学校などの校舎や、公民館・図書館、保健衛生施設、消防警察施設の建設、都市計画事業、社会福祉事業、上下水道の整備、道路改良・街路灯などの土木関係、清掃事業、中小企業金融対策、災害復興、公害対策、産業経済振興などで、その累計額は公営競技が始まった一九四八年度から一九九六年度までの四八年間で、十七兆円になる(10)。
ちなみに北九州市には、小倉競輪場、門司競輪場、それに若松競艇場の三場がある。グラフはそれぞれの発売額と入場者数、そして一般会計への繰出し金を示している。二競輪場を合計した入場者数が最も多かったのは一九七三年度で一二三万一〇八六人、それに対して一九七七年度は四六万八五六八人であったから、ピーク時の38%に過ぎない。競艇もまた、最も入場者数が多かったのは一九七七年度で、一九九七年の七九万五八八四人はピーク時の67%である。しかし一人平均の購入額が増え、入場者数の落ち込み分をカバーしてきた。いずれにせよ、公営競技にあってはその生い立ちの性質上、以上のような社会貢献活動をしてきた実績をもつ。社会に果たしてきたこのような役割は、もっと声を大にしても良いと思う(14)。
しかし公営競技の今後の発展を考えるなら、これは公営競技だけに限られたことではないが、金銭的関わりだけに終わらず人と人との触れ合いが欲しい。施設を公営競技以外の、多目的利用にする方法もあるし、最近では競輪場の敷地や施設等を利用した防災拠点づくりも進みつつあるようである。理想を言うなら地域に密着したヴォランティア活動など、公営競技場で働く人々から競技場の在る地域に働きかけることも考えられる。地域に貢献するとは地域社会の生活の向上に寄与することであるから、人々からは好意をもって受け入れられるだろう。
公営競技にあっても「ビジネスの成功を左右するのは社会の繁栄と安定にある」(15)し、この経験を通して従業員が「自信、コミュニケーション術、集団作業を行う能力、分析能力、幅広い視野」などを培う(16)ことができるとしたら、それが公営競技のさらなる発展に結び付く相乗効果が期待できる。
「Socially responsible company(社会的責任を果たす企業)」という言葉がある。社会に貢献することを目指す企業のことで、今までの、よい製品を安く消費者に提供し、利益を得て株主に配当し、雇用の安定を図り、政府に法人税を払う、いわば最低のなすべきボトムラインをクリアーすれば良いとする企業責任、そこから一歩進んだ二十一世紀型企業のあるべき「企業市民」の姿である。
公営競技にあっても同様のことが言える。それぞれの立場から当事者責任で、「将来の公営競技が如何にあるべきか」のビジョンを描き、行うべきことは確実に実現するという力がないなら、到底その発展は望むべくもない。
社会貢献活動と訳されているフィランソロフィー(Philanthropy)の語源は、ギリシア語のフィロス(Philos=愛する)とアンソロポス(Anthropos=人類)が一緒になったものである。社会からの恩恵を受けながら、社会的に影響をもつまでに成長した組織であるなら、自分一人や自分が所属する組織の発展だけ考えて良いわけはない(17)。社会あっての自分である。バブル景気が弾けたことを恨む声が聞こえる。しかし、異常事態のバブル絶頂期を物差しに考えるのはおかしいし、不況色が強まるほど見せかけは消えてなくなるものだ。こうした時代こそ、「社会の目」で公営競技を見る必要がある。
四、公営競技の将来
「年甲斐もなく・・・」に代表されるように、私たちは年齢や職業によって、服装からレジャーまで、「・・・らしさ」が求められてきた。「遊びはお父さん、家事はお母さん、子供は勉強」は、夢のない家族の断層行動を示している。この年齢文化、職業文化をつくってきた要因を分析し、垣根をなくすことがマーケットの拡大につながる。「ギャンブルのイメージが定着すると、嫌悪感を抱く人が多くなる」(18)から、大衆レジャーに脱皮させ成功した例を中央競馬に見て安心する。もちろん成功例を参考にした時にはもう遅いから、自らの手で、立ち止まることなく、高い文化水準を求め(19)、開かれた回路のなかで改革をし続け、社会とビジネスの合理性を見いだす作業が必要だ。
競馬の魅力、競輪の魅力、競艇の魅力、オートレースの魅力とは何か ?この一年間、探り続けたテーマである。しかし、通常、消費者はそうしたことを探すことに躍起にならない。消極的に待って、周りと確認を取り合いながら消極的に判断する。
「競馬は生き物を扱う。子供は動物が好きだし、その当時から動物は、私たちの誰もが受け入れてきた。競輪には長い歴史があるよね。一県一場を基本に出発した根強い人気に支えられ、最近ではKEIRINだ。モーターボートは推理が簡単だから、初心者でも舟券を買いやすいんではないかな。オートレースはスピード感。それに爆音がストレス解消になって、その間は何でも言える自由と開放感がある」(20)。
明快な説明だから、メッセージとしても伝わりやすい。
「競艇の魅力は、コース取り、スタートの技術、それに水しぶきをあげて走る豪快さと思います」(21)。「競艇場にイベントホールをつくって、物産展や展示即売会、ダンスパーティーを開催したって良い。客に選択の余地を作りのんびり過ごしてもらう空間、レジャー施設の重層化ですよ。ショッピング街をつくり、レースはプールの下からも見られるようにするとか」(22)。「ペアー席、マッサージ室、銀行のキャッシュコーナーも置く。待ち機能の充実も検討課題です」(23)。
ここに掲げた事柄は一部に過ぎない。関係者はマーケティングの発想で議論し、積極的に、意識的に公営競技のあるべき姿をつくっていかなければならない。それで地域文化(24)を創っていくのだ。
「先日テレビを見ていたら、トイレをアートする番組を放送していました。古いトイレが壁とか天井、扉に絵を描くことによって、すてきな心地よいトイレに変身していました。『これだ!!』と思いました。芦屋競艇場もトイレごとにテーマを決めて、サンゴ、魚、海草、草原、花園などを描き、子供さんが行くトイレには動物の絵はいかがでしょうか。競艇場はとかく興奮しがちだから、トイレで頭を冷やすためにも芸術の香りを入れたらどうでしょう」(25)。
この主張は、文化経済学の創始者であるジャン・ラスキンが提唱した「生活の芸術化」と符号する。ラスキンの経済学は、「芸術を基礎に、それらを産業や消費生活のなかに生かして人生を豊かにするための人間の行動の基準(倫理)とルール(法を含む)の体系」(26)にある。公営競技に『文化経済学』が関わっている部分は大きいと思われる。
経済至上主義のマネジメントは、「人間らしい生活空間」を求める時代では人々に不満をもたらしやすい。公営競技が若い人々をより一層魅きつけるには、広く社会的価値の増殖を目的とした文化的側面の充実が不可欠で、その文化要素が公営競技の経済規模を拡大すると考えるべきであろう。売上が示す経済活動に傾斜し過ぎない、倫理観や美的部分、社会貢献など文化の価値軸も考慮した、バランスの取れたマネジメントである。公営競技に携わる団体や関係者の一人ひとりが、公営競技がもつ、あるいはもち得る文化性にあらゆる角度から光を当て、感性と創造力を高めつつ将来の活性化に繋げる、これが文化経済学的視座から見て、公営競技が進化していく一つの方向と言えよう。
佐々木晃彦(ささき あきひこ)
1946年生まれ。
九州共立大学経済学部教授。
(1)文化は歴史の浅い言葉で、明治の中頃に、cultureの訳語として使われたのが最初と言われている。cultureの語源はラテン語のculturaで、「耕す」とか「田畑や土地の世話をする」という意味の動詞、colereから作られた名詞形で、後にマルクス・トゥリウス・キケロ(Marcus Tullius Cicero, 前106〜43)が『トゥスクルム論議』で「精神の世話をすること」というところから発展させて「哲学」の意味にも使った(渡部昇一『ことばコンセプト事典』一九九二、第一法規出版、一五三二〜一五三三頁)。 「人間の精神がある現実のはっきりした対象に対決したときに、精神がその対象を材料として何か新しい価値ある形を創り出した場合でなければ文化という意味はなさないのです。文化とは精神による価値ある実物の生産である」(小林秀夫「文化について」より
(2)「文化としてのスポーツ」と「非文化としてのスポーツ」については、Ommo Grupe 『Sport als Kutur』EDITION INTERFROM, Zurich, 1987, 永島惇正+岡出美則+市場俊之訳『文化としてのスポーツ』一九九七、ベースボール・マガジン社、の一読をお薦めする。
(3)文化的欲求は、他の欲求とは区別される独自性、つまり、人間の生命活動のうち「生きがい」に影響するという独特の質をもつ。この、いったん確立されると、他のあらゆる欲求のなかに入り込むという普遍的性質を確認することは、文化経済学の第一歩なのである。それは、自分を見つめ返すという発達の意欲のうちに秘めた、自己実現の欲求を意味する(池上惇「なぜ、いま、文化経済学か」、池上・山田編『文化経済学を学ぶ人のために』一九九三、世界思想社、五〜七頁)。
(4)南関東自転車競技会千葉支部管理部、横森清好・選手管理課課長。
(5)「ゆらぎ」は、時間や空間が変わっていくにつれ、物理的な性質や状態が変化していく様子。何もない「無」の世界から誕生した宇宙は、実はこの現象から始まった・・・。佐治晴夫『ゆらぎの不思議―宇宙創造の物語―』(一九九七、PHP文庫)。今井照『市民的公共性と自治―文化・コミュニティー・分権―』(一九九三、公人の友社、一五〜二一頁)の「やすらぎ」と「ゆらぎ」に詳述。
(6)松原隆一郎『豊かさの文化経済学』(一九九三、丸善ライブラー、一六七〜一六八頁)。
(7)これからの社会と自然の再生にとって、必要な新しいソフトを生み出すものとして文化に照明を当ててみる必要がある。というのも、人々が生きていく上での知恵の総体こそ文化と言うものであろうから。だとすれば、自然を破壊して巨大な建造物を作ることだけを文化と考える知恵もあれば、そこにある資源をできるだけ有るがままに活かして新しいソフトを生み出すことを文化と考える知恵もあるだろう。我々は一体どちらにシフトしようとしているのか。後者にシフトすることが可能であれば、「文化が21世紀の社会と経済を救う」と言えるかも知れない(加藤種男「芸術、文化が未来を救う」佐々木晃彦編『文明と文化の視角―進化社会の文化経済学―』一九九八、東海大学出版会、一〇頁)。
(8)池上惇『情報社会の文化経済学』(一九九六、丸善ライブラリー、一六〇〜一六一頁)。
(9)今後は、売上増を図るために、やみくもに客集めをするというのではなく、地域と共に発展し、地方の活性化の核になると同時に、市民や町民の“誇り”となるように、諸施策をマクロ的に見る時代に来ている。そのためには、収益金の全てを一般会計に繰り入れてこれを有効活用するというのではなく、少なくとも、収益金の1/3程度は開催本場の施設や付帯設備の充実に振り向けると同時に、その都市の都市基盤整備事業の一環として競走場周辺の環境を整備するなど、開催本場周辺住民として十分メリットや恩恵が行き渡るようにする必要がある(久保茂明「ギャンブル文化創造への道」『週間レース』一九八九年一月五日号、週間レース社、四八〜四九頁)。
(10)賭けに費やされる金は、閉じた回路を絶えず急速に循環するだけで、一般的流通経路から外れて完全に失われてしまう。そして賞金は、・・・再び賭けに注ぎ込まれる。したがって「賭博」の元締めと関係者の利益分だけが一般経済流通の経路の中に戻る可能性がある(ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』一九七〇、岩波書店、二二八頁)。
(14)個人としては山崎勲氏の名を挙げなければならない。競輪選手(一九五〇〜八六年の、三六年に及ぶ選手生活での出走数三一九五、うち一着が六七四と、優勝率は21%に及ぶ)であった氏は、現役時代から障害者の施設づくりと競輪選手の二足のわらじを履き続け、現在は「土佐・希望の家」と「博多・希望の家」の理事長として福祉活動に力を注いでいる(四方洋『「いのち」の開拓者』一九九八、共同通信社、一九〜五四頁に詳述)。
(15)Joel Makower 『Business for Social Responsibility』1994, Tilden Press, Inc.,、下村満子+村上彩訳『社会貢献型経営のすすめ』一九九七、朝日新聞社、二三四頁)。
(16)同二三六〜二三七頁。
(17)自分のことだけでなく、何か人の役に立ちたいという気持ちは、歴史や文化の違いを越えて人類に共通する心情であろう。しかしそれがどのような社会的な現象として現れてくるかは、それぞれの社会の成り立ちや文化の性格によって大きく異なってくる。現代の日本は、人の善意を素直に組織化するのが何と難しい社会か。フィランソロフィーにしろチャリティにしろメセナにしろ、元々は個人の心情に発する行為である。ところが日本では、個人のそれの基盤のないところに、企業のそれだけが突然導入された。そこに、社会的に結び付きにくい理由がある。個人のフィランソロフィーなり、チャリティなり、メセナを育てていくこと、これが今、最も必要になってきている(山岡義典「芸術文化の支援とフィランソロフィー税制」佐々木晃彦編『企業と文化の対話―メセナとは何か―』一九九一、東海大学出版会、二八六〜二九六頁)。
(18)『レジャー白書'97』一〇四頁。
(19)都市型競馬場という特異性を活かした「まちづくり」の創意・工夫が考えられる。総合経営対策検討委員会委員の一人、小山禧一氏は、高崎競馬は駅から至便の地にあって非常な好条件を備えた日本では珍しい都市型競馬場であるから、財政競馬よりもレジャー競馬としての要素をより鮮明にすべきであること、将来欧米のように競馬のステータスが上がり、地域文化の一翼を担う筈であるから、地方財政への寄与というよりも、長い目でみて、まちづくりの一環として公的資金の持ち出しをするくらいの発想が必要な時代にきているのではないか、むしろ音楽センターなどと同じように、文化の柱として財政的に補助してでも守り育てていくべきだという(長谷川秀男『地域産業政策』一九九八、日本経済評論社、第5章「観光・レジャーにみる開発と振興」の一七〇〜一七五頁に、地域発展を視野においた諸提言が詳述)。
(20)小金丸護・飯塚市公営競技事業部課長。
(21)大谷満・社団法人福岡県モーターボート競走会常勤理事。
(22)橋口築・同会常勤理事。
(23)中西国臣・芦屋町外二カ町競艇施行組合事務局長。
(24)地域とは、自然環境を土台に、そこに育まれた歴史的環境(伝統)と、歴史の流れのなかで紡ぎだされた社会経済的環境(地域経済、地場産業など)、そしてそれらを支えてきた(いる)人的環境という四つの環境によって成り立ち、これらが調和的に展開・発展していくことが地域文化にとっての生命となる(井口貢『文化経済学の視座と地域再創造の諸相』一九九八、学文杜、六〇頁)。
(25)芦屋競艇場モニター、原口涼子さんのご意見。芦屋競艇場では、女性ファンの視点を特に大切にしている。
(26)池上惇「J.ラスキン」、池上・山田浩之編『文化経済学を学ぶ人のために』一九九三、世界思想社、二五六頁)。文化経済学を体系化した良書。ご一読お薦めしたい。
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