2001/06/09 産経新聞夕刊
大分・中津競馬場の廃止騒動 地方競馬、人馬の悲憤
民俗学者 大月隆寛
九州は大分県中津市にある中津競馬場が、いきなりの「廃止」騒動で大揺れに揺れています。
二月に鈴木一郎市長が関係者に何の説明もなく、いきなり「廃止」を表明。しかもこの六月までで開催をとりやめ、なおかつ厩舎(きゅうしゃ)関係者への補償は一切しない、という一方的なものでした。
競馬に限らず公営ギャンブルがどこも赤字経営で苦しむ中、地方競馬の中にはこのような「廃止」に追い込まれる競馬場が早晩出るだろうといわれてましたし、また、中央と地方というダブルスタンダードで役所主導でやってきた戦後のニッポン競馬自体が、これまでのやり方ではもう新しい状況に対応できなくなっている、それもまた事実です。その意味で、競馬場をつぶすのも行政の選択肢のひとつではある。しかし、問題なのはそのやり方です。
これまでも廃止になった地方競馬場はあります。一番最近では和歌山県の紀三井寺競馬場が八八年に廃止されていますが、この時も厩舎関係者への補償は行われています。馬があっての競馬ですから、馬と共に暮らしてそれを仕事にしてきた厩舎関係者が「廃止」の一番の当事者であることは言うまでもない。なのに、中津市長は、厩舎関係者とは正式な雇用関係にないから法律的に補償する義務はない、の一点張りです。
ここ二十年ほどで競馬は、以前と比べものにならないくらい広く認められ、市民権を得ました。芸能人のようにもてはやされる騎手、数万の観客がつめかけた競馬場でのレース・・・けれども、それは毎週末に行われる中央競馬の話。仕事としての競馬の大部分は未だそういう華やかさとは無縁のところで、馬が好きだから、という理由だけで苦しく不合理な状況をじっと耐えている、そんな小さな競馬場や牧場で馬と共に生きる人たちによって支えられています。競馬のそういう側面は、表舞台だけを追いかけるスポーツ報道からは、ともすれば見えないものになる。一般の新聞その他のジャーナリズムには、そんな競馬という仕事の抱える現実がどういうものか知られていません。
どこかしら故障持ちの競走馬を持ってきては治療しながら競馬を使う、それが中津のように安い賞金で競馬をする小さな地方競馬場の仕事です。そこには、新車でF1レースを戦うような中央競馬の技術とはまた別の、言わば野戦病院のような競走馬再生の知恵と技術の蓄積がある。競馬が文化である、というのは、そのような仕事としての競馬の歴史と伝統もすべて含めてのことなのです。なのに、故障持ちの二流馬、三流馬ばかりの競馬場なんかいきなりつぶしても構わない、と言わんばかりの市長の態度には、競馬と競馬に携わる人たちに対する偏見と蔑視(べっし)があります。競馬にメディアによる光が当てられるようになったがゆえに、その陰の部分はより濃いものになり、かつてとはまた違う見えない領域を作り出す。中津のような地方競馬の仕事の現実は、まさにそのような「見えない領域」であり、そこに生きる人たちは未だ「無告の民」なのです。
競馬もまた興行でありレジャー産業です。ならば、企業の経営者同様、行政にもその経営責任が問われるべきです。儲かって(もうかって)いた時は好き勝手に市の財政に吸い上げておきながら、こういう危機を予期しての内部留保もろくにしてこなかったなど、この中津のケースはその他の地方競馬場と比べてもずさんです。市長は「わたしは農水省から中津をつぶせと言われてきた」と言っていますが、少なくとも昨年度は「九州競馬」という枠組みで佐賀競馬、熊本県の荒尾競馬と提携してコストを削減、また開催日も互いに調整するなど経営努力をした結果、赤字はかなり減っている。それに、市の財政赤字の一部を競馬につけかえて「赤字」を実態以上に水増ししているのではないか、という疑惑すら地元では出ています。
「競馬場にはゴロツキもまじっている」「仕事がないのなら、生活保護をもらえばいい。でなければ、工事現場なんかで働くのがちょうどいい」
こんな発言を公然とする市長に対する対決姿勢を、厩舎関係者はあらわにしています。とは言え、すでに在籍馬の多くは「処分」され、厩舎には馬の姿もまばらです。
「こうなったらカネじゃない、仲間の馬を二百頭以上も紙切れ一枚で殺された恨みを晴らしたい、もうそれだけよ」
暮らしの糧を絶たれた厩舎関係者は行く先もないまま、補償を求めて、残されたわずかの馬と今も厩舎団地に残っています。
大月隆寛(おおつき たかひろ)
1959年生まれ。
早稲田大学卒業。
東京外国語大学助手、国立歴史民族博物館助教授を経て、現在は、評論分野で活躍する。
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