日本財団 図書館


1998/05/02 毎日新聞夕刊
低迷期から復活、今シーズンにかける──競艇界18年目、今村豊
 
◇賞金王へ“全速ターン”
 36歳といえば、スポーツの世界ではベテラン。そろそろ進退を考える時期だが、体力よりも駆け引きと瞬時の判断力が要求される競艇界では脂が乗り切った年齢ともいえる。レーサー歴18年目の今村豊。過去、年間最優秀選手、最高勝率選手賞の栄誉に輝きながら、まだ一度も賞金王には輝いていない。ライバルに成長した服部幸男(27)は昨年、2億5477万円という公営競技選手の年間最高獲得賞金額を記録。今シーズン今村は、初の賞金王とともにさらなる頂点を目指す。
【江成康明】
 山口県立小野田工高を卒業後、1年間の研修生活を経て1981年、19歳でプロデビューした。競艇独特のスタートの難しさ、時速80キロのスピードを生かしながらマークを回る時の怖さ・・・。ある程度の経験が必要になってくる世界で、2年目にして早くも頭角を現した。約1500人以上のレーサーがひしめく中で、賞金ランク7位。「天才」と呼ばれた。
今村 本栖研修所(山梨)での研修期間に、全速力でターンできたら、とそればかり考えていた。スピードを緩めずにマークを回れたら、とね。だから、研修中は真っ先にスタートを切ってコーナーへ飛び込んだ。ほかの艇の波を受けない平らな水面なら、全速で回るのに有利。でも頭の中でわかっていても、実際は転覆ばかり。冷たい本栖湖の水の中に何度も放り出された。それでも、自分にしかできない技術を身に着けたかったんです。
 「本栖の転覆王」が、実際のレースで披露した「全速ターン」は当時の競艇界に衝撃を与えた。順調に勝利を重ね、84年にはトップ選手が競うスペシャルグレード(SG)レースの一つ、笹川賞で優勝、87、88年には全日本選手権を連覇するなど、常にトップクラスの位置を保ち、賞金ランクも92年までほとんど5位以内の安定ぶりだった。
 しかし、天才にもスランプが襲った。93年、フライングによるペナルティー欠場などでビッグレースから遠ざかり、勝つこともままならなくなった。その年から3年間の賞金ランクは38、14、18位。時期を合わせるように、選手の間にはターンする時に腰を浮かす「モンキーターン」という走法がはやり始めた。「今村もいつまでも自分のスタイルにこだわらず、モンキーターンをしなければ」というファンの声が聞かれるようになった。
今村 確かにレースに出られないのは残念だった。でも、原因となったフライングにしても、一戦一戦勝とうと思い切りいった結果。べつに焦りはなかった。それに、みんなはスランプというけど、個人持ちの、推進力を生み出すプロペラ(スクリュー)づくりがうまくいかなかっただけで、自分では満足していた。そのころでも(順位によって与えられるポイント平均を表す)勝率が7点から8点。野球の打者でいえば、3割〜3割5分をマークしていたのだから。モンキーターンは、周りがうるさいから「フリ」をしたけど、本当の勝負どころでは使わない。
 低迷期から脱出したのは、96年11月。アルミブロンズ製の直径164〜180ミリの2枚羽を自分で改良してつくるプロペラが、納得のいくものに出来上がった時からだった。
今村 ボートは同一規格だから、自分でいじれるものはプロペラだけになる。休みの日など自宅の工場で朝から晩までいいものを作ろうと努力している。それがやっとできた。出足も回り足も全然違う。これでいけると思った。
 復活はなった。昨年の優勝回数は7、うちG1とよばれるビッグレースは4勝し、1億8400万円の賞金を獲得して2位。年間最高勝率選手にもなった。
今村 競艇の魅力は、恐怖心との戦いにあるのかもしれない。命をかけてやっているから、お守りをいつも持っているし、レースの前は必ず神社へお参りにいく。そんな中で勝てれば最高。賞金はその結果だからね。
 今年からSGレースは1大会増えて年8回になった。うち7大会の優勝賞金は各4000万円で、最後の賞金王決定戦は1億円。史上最高の賞金獲得額も夢ではない。若手の追い上げも厳しいが、今は今季のSG第3戦、グランドチャンピオン決定戦(6月23〜28日、広島・宮島競艇場)に照準を合わせている。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION