日本財団 図書館


1992/09/21 読売新聞朝刊
[地球を読む]国連の役割 国家主権と難民
緒方貞子(寄稿)
◆流出国も対象に
 冷戦の終焉(しゅうえん)は、難民援助のあり方に大きな変化をもたらせている。
 従来から、難民や避難民に対する援助は、人道的な連帯のあかしとして、広く国際社会の支持を得てきた。とくにイデオロギーを異にする超大国対決のもとで、国際紛争そのものが冷戦構造を反映していた時代においては、難民はこのような対立の犠牲者として受け入れ国の厚遇を得、第三国への定住も数多く認められた。国連難民高等弁務官(UNHCR)は、難民の保護・救済と、難民問題の解決を任務とするが、その事業は今までもっぱら難民の受け入れ国を中心に進められ、流出国を対象とすることは少なかった。
 ところが、最近では流出国側において難民・避難民を保護・救済する必要性が増大してきた。それは第一には、冷戦が終わるにともない和平が成立し、長年難民生活を強いられていた人々が、自国への帰還を始めたこと。しかしながら、カンボジアやアフガニスタンにみられるように、戦禍と貧困に苦しむ故国に帰ってもなお国際的な保護・救済が必要とされること。第二には、紛争の主要因が国家主義の高揚、民族や宗教の対立のため、自国内で難民化する傾向が強いこと。第三には、国家の権威の衰退や、連邦国家解体の過程で、安全とより所を求める人間の大規模な移動が各地で起こっていること、などである。その結果、国内にありながら難民となる人々の保護・救済をどのようにして全うするかという課題が、急速に浮上している。
 世界におけるこのような国内難民の総数は、千五百万人とも二千万人ともいわれる。とくに多数を占めているのが「アフリカの角」地域で、ソマリア、エチオピア、スーダンの各国では、国外に流出した人々のほかに、国内にも数百万人にのぼる難民がいる。旧ユーゴスラビアの場合、他の欧州諸国に逃れた五十万人に加えて、諸共和国には二百七十八万人が難民となっている。さらに、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、首都のサラエボのほかにも、戦乱のために食糧の補給がつかず、篭城(ろうじょう)状態にある人々が六十三万人と推定され、第二次大戦以来、最悪の難民危機となっている。
◆湾岸戦争が転機
 自国内にある難民に対し、国際社会が保護・救済を与えることは、理論的にも現実的にもきわめてむずかしい。それは国家主権の壁に直面するからである。国連憲章は「憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではない」として、加盟各国の主権の尊重を掲げている。しかしながら、主権の適用範囲はなんら明確にされておらず、現実には歴史的な変遷をたどって次第に形成されてきている。とくに、人権の分野における国連の権威が拡大してきたと同様、人道援助活動についても、国連は、総会決議もしくは事務総長のあっせんをもとに、国内において難民となった人々に対しても援助を与えてきた。
 ところが、最近一段と論議を呼んでいるのが「人道的介入権」の問題である。これは、国際社会には国家主権の壁を超えて国内で難民化した人々に対し、人道援助を強要する権利を有する、という主張である。この議論が脚光をあびたのは、一九九一年四月五日、安全保障理事会による決議六八八の採択であろう。同決議は、イラクに対し、援助を必要とする同国内にあるすべての人々へのアクセスを、国際人道援助機関に与えることを要求したもので、人権と難民と国際平和を結びつけた画期的なものであった。とはいえ、この決議が実行される過程では、イラクの国家主権との関係から紆余(うよ)曲折を経ることとなる。
 まず、クウェートの主権と領土保全を守るために軍事行動に出た多国籍軍は、その後イラク北部に出動して「安全地帯」を設定した。トルコへ越境して国際的な保護を求めることが許されず、国境の山岳地帯で飢えと寒さに苦しんでいたクルド難民は、多国籍軍に守られて山を下り、自国内にある「安全地帯」へと帰還した。この動きに呼応して、イランに逃れたクルド難民も帰国を開始し、六月末にはほとんど全員が故国に復帰した。百七十万のクルド難民は、その流出の速度において記録的であったが、帰還の速さにおいても驚異的といえるものであった。このような動きを可能にした最大の原因が多国籍軍による人道的介入であったことはいうまでもない。しかし、さらに多国籍軍から引き継いで、人道援助を提供した国連の動きにも注目すべきものがある。
◆遠い解決への道
 国連の場合、事務総長はアガ・カーン特別代表をイラクに派遣し、同政府との間で、国際人道援助機関の派遣に関する覚書を交換した。すなわち、主権国家であるイラクとの合意を基礎にして国連の人道援助は進められたのである。国連人道センターの設置、国連警備員を含めたすべての人員に対する査証の給付等、「安全地帯」を含めた北部イラクにおける大規模な人道援助は、ある程度のイラクの了解の上に立って実施された。UNHCRは、北部イラクのクルド人の保護・救済を、いったん国外に逃れてから帰還した難民に対してばかりでなく、国内で避難生活を続けた人々に対しても同様に行うこととなった。この結果、すべてのクルド人を対象とした越冬住宅計画が実施され、千七百にのぼるクルド人の村落が再建された。
 それでは、湾岸戦争とそれに引き続く「人道的介入」は、クルド人の権利と安全を保障することに成功したといえるであろうか。その後、北部イラクにおいては選挙も実施され、地域の復興もかなり進んでいる。しかし、昨今における治安の悪化にも示されるように、同地の状況は安定とはほど遠い。本年七月以降イラク政府は、人道援助機関の派遣に関する国連との覚書の更新を承諾しないため、警備員を含む国連職員は減少している。人道援助活動は、国際的な監視の役割も果たしてきただけに、国連の撤退による住民の不安は高まっている。「人道的介入」と「国家主権」との緊張関係は、中・長期的な効果をも考慮に入れて評価されなければなるまい。
 「人道的介入」問題は、旧ユーゴスラビアをめぐる国連討議でも、繰り返し論議されている。しかしながら、ユーゴスラビア連邦の解体過程は、激しい戦闘と「エスニック・クレンジング(他民族一掃)」として知られる民族的相克のため、国連や欧州共同体(EC)による停戦・和平調停は容易に成果をあげることができなかった。このような中で、安全保障理事会は、平和維持活動の展開を決定すると同時に、国際赤十字委員会、UNHCRなどに対し、旧ユーゴスラビア国内の難民・避難民に対する人道援助を実施し、彼らの帰還を促進することを求めた。さらに戦乱がボスニア・ヘルツェゴビナへ拡大し、難民の流出が一層激しくなり、しかも首都サラエボが孤立状態に陥ると、国連はサラエボ空港の安全とアクセスを確保するための行動に乗り出さなければならなくなった。
 サラエボおよび同空港は、人道援助を遅滞なく進めるための「安全地帯」と規定され、国連防護軍(UNPROFOR)が空港と首都への輸送を警備する一方、UNHCRは、各国提供の輸送機の発着、援助物資の確保・点検、空港から市内配給所への運搬を総括することとなった。七月三日に開始された空輸作戦は、九月四日、イタリア機の撃墜により中断を余儀なくされるまでに、一万二千四百一トンの食糧、医薬品などの援助物資が、千二十五機によって運ばれた。またこの空輸には、十八か国が参加している。
◆国際支持の象徴
 サラエボ空輸作戦は、たんなる食糧供給活動ととらえるべきではないであろう。これはサラエボ市民に対する国際社会の支持の証明であり、さらに民族抗争に明け暮れる旧ユーゴスラビアに対する「人道的介入」行動でもある。人道援助をてこに、旧ユーゴスラビア紛争の政治的解決をはかろうとする国際社会の強い決意は、八月二十六日から開かれたロンドン会議で表明された。国連事務総長とEC議長国のメージャー英首相は、停戦と和平交渉を強力に推進するための恒久的な交渉機関をジュネーブに設けた。同会議に出席したクロアチア、ユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴビナの各大統領も、ロンドン会議の諸決定に協力する意向は示している。
 今のところ、国連およびEC各国は「人道的介入」を軍事的手段によって強行しようとしているようには思われない。安全保障理事会決議七七〇は「あらゆる手段」を用いてボスニア・ヘルツェゴビナにおける人道援助活動を支援することを決定したが、その後に採択された決議七七六は、むしろUNPROFORの任務を拡大し、人道援助活動の保護にあたることを決定している。
 このため、事務総長は、UNPROFOR部隊をさらに六千―七千人増員することを求め、国連安保理は報告を承認する決議を採択した。これらの部隊は各国がとくに人道援助活動を保護するために自主的に提供することとされている。当面、拡大UNPROFORは、UNHCRを中心とする人道援助活動を保護し、支援する形で、平和の維持に加えて人道的な役割を果たすこととなろう。人道援助活動の増大は、冬を迎え、大規模なトラック輸送がボスニア・ヘルツェゴビナ全土に必要とされ、またさらなる民族純化の動きを阻止するためにも求められている。
 北イラク、旧ユーゴスラビアに見られるように、紛争下にあって難民流出が続く国の中に入って、国際機関が人道援助活動を行うことが容易でないことはいうまでもない。北イラクの場合、多国籍軍による軍事的介入が早急な難民帰還をもたらした。旧ユーゴスラビアの場合は、国連平和維持軍に積極的な人道援助保護の任務が与えられた。
 難民保護の立場からも、紛争や迫害の犠牲者を公正に救援するという人道主義の原則を再確認すると同時に、より効果的な対応を示すため、ありとあらゆる新しい工夫や対策が考えられるべきであろう。
(英文は本日付デイリー・ヨミウリに掲載)
◇緒方貞子(おがた さだこ)
1927年生まれ。
聖心女子大学卒業。米カリフォルニア大学大学院修了。
上智大学教授、国連難民高等弁務官、アフガニスタン支援日本政府特別代表等を歴任。
現在、国際協力機構(JICA)理事長。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION