2003/09/29 産経新聞朝刊
【国連再考】(26)第3部(6)空疎な機関 長年続く壮大な浪費と無駄
国連の各機関は世界のその時代、その情勢に応じ、分野ごとに新設されてきた。時代が移り、情勢が変わっても、いったん設けられた機関はまず廃されない。廃されるにしても、機関の不要が明白となってから実際の廃止までに長い年月がかかる。どんな小さな機関の廃止にも国連総会の議決が必要であり、どんな機関でもそこにかかわる国家や官僚は既得権利の保持に必死となるからだ。
一九七四年に国連経済社会理事会の常任専門家組織として設立された国連多国籍企業委員会も、壮大な浪費の典型だった。この委員会は多国籍企業の行動規範を作ることを目的とし、二十年近くもこの規範づくりに取り組みながら、結局なにも完成できなかった。外国投資を阻害し、時代の要請に逆行する試みとも評された。
そもそも多国籍企業の国際的見地からの行動規範としては国連専門機関の国際労働機関(ILO)が七七年に宣言を出している。経済協力開発機構(OECD)も七六年に多国籍企業ガイドラインという規範を作成した。だからいまさらまた国連の別の機関が同じことをする必要は最初からなかったのだといえよう。
だが国連多国籍企業委員会は延々と作業を続けた。発足から十八年の九二年になっても二年間で一千三百万ドルの国連経費を使っていた。その後すぐに国連機関にしては異例の廃止措置となったが、あまりに無駄な作業だったことがいやというほど印象づけられた。
国連内部の自治機関として六三年に設置された国連訓練調査研究所というのもわけのわからない機関である。設立の目的は「訓練と調査を通じて、国際社会の平和と安全の維持および経済・社会開発の促進を目指す」とされる。各国の自発的拠出金で運営され、年間予算は一千万ドル、日本はずっと最大の拠出国となってきた。
だが同研究所の活動内容には意味がないという批判が高まり、米国は八五年にはそれまでの隔年二百万ドルほどの拠出を一切、やめてしまった。同研究所はニューヨーク、ジュネーブ、ローマ、ナイロビなどにオフィスを構えたが、経費が集まらず、赤字が増えて、規模の縮小を迫られた。その結果、九〇年代にはニューヨーク・オフィスのビルを売りに出したものの、買い手が長いことみつからず苦労したという。
日本の国連関連の書籍ではなお主要機関扱いされる信託統治理事会も、もう長年、空疎な存在となってきた。国連の信託統治とは独立する要件のまだ備わらない地域の統治を国連が当面、先進国に委ねる制度だが、当初は十一あった地域がつぎつぎに独立して九〇年には米国施政下の太平洋のパラオだけが残った。
そんな状況でも信託統治理事会は二年間の予算約一千万ドル、職員五十六人を抱えていた。職員九人がパラオを訪れて、短期、滞在する費用だけで年間十二万ドルを計上していた。九四年十一月にはパラオも独立したのだが、信託統治理事会は廃止はされず、必要な場合に会議を開くという態勢を保っている。
そもそも国連では国連機構は巨大であればあるほど好ましいとみなす第三世界の国々が多数派なのである。
一九六四年に国連総会の常設機関としてつくられた国連貿易開発会議(UNCTAD)もそうした第三世界の要望の産物だった。「開発途上国の経済開発促進のための国際貿易の促進」を目的とし、二年間の予算九千万ドル、ジュネーブに本拠をおくが、実際の活動は国際弁論大会の域を出ないと酷評される。発足の理念が本来、先進国との対決だから、先進国からの批判は手厳しい。
一九八七年に国連貿易開発会議に米国首席代表として出たデニス・グッドマン元国務次官補代理が断言する。
「もしこのUNCTADが明日、消滅したとしても、その組織で直接、働く人たち以外には、どこのだれにも、なんの支障も違いもないだろう」
事実、国連内部でもこの国連貿易開発会議を経済社会理事会や総会の第二委員会(経済)と第三委員会(人権)と統合する案が提起され、同開発会議自体の意義に疑問が投じられてきた。
国連の意義不明な機関について報じたワシントン・ポストは「明日、消滅してもなんの支障もない」という国連機関として、同開発会議とともに、国連大学をリストアップしたことは日本側としても注視すべきであろう。
(ワシントン 古森義久)
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