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2003/09/12 産経新聞朝刊
【国連再考】(15)第2部(5)中国とフランス 大国の戦略で「勝者」扱い
 
 国連はしょせん第二次世界大戦の勝者が戦後の国際秩序を統治するためのメカニズムとして意図されていた。その勝者は安全保障理事会の常任理事国として拒否権という特権を与えられた。米国、イギリス、ソ連、フランス、中国の五カ国である。この構成は国連誕生から五十八年後のいまもまったく変わらない。だが勝者の条件とはそもそもなんだったのか。
 広い意味ではドイツ、日本、イタリアという枢軸国と戦った連合国が勝者だった。だがもう少し踏み込んでみると、中国とフランスは厳密な意味では勝者ではなかった。なのに勝者の特権を与えられたところにも国連の深刻なひずみが存在するといえる。
 第二次大戦の実際の戦闘で自らも莫大(ばくだい)な犠牲を払い、枢軸側を破った勝者は、米英ソの三大国だった。だから枢軸側への要求や戦後への構想を決める最重要な会議では当時の中国政権である中華民国は除外された。テヘラン会議やヤルタ会談は米英ソ三大国の首脳だけで進められた。国連がらみの戦後秩序を論じるときにも当初はこの三大国だけの「三人の警察官」構想が主だったのである。
 ところが一九四三年十一月のテヘラン会議で米国のルーズベルト大統領が熱心に中国を連合国の主要メンバーに引きずりあげることを主張した。戦後への構想は「四人の警察官」となった。中国は人工的に大国の扱いを受けるようになったのだ。
 いまの中国の学者たちもこのへんの歴史の現実は率直に認めている。中国社会科学院の資中●元米国研究所長が述べる。
 「中国はいかなる基準でも三大国と対等なパートナーではなかった。実際には三大国によって新たな地位を決められたのだ。当初はチャーチルもスターリンも中国を二流のパワーとみなし、大国の地位を与えることには強く反対した」
 ルーズベルト大統領は中国の格上げは対日戦争での中国の士気を高めるだけでなく、戦後のアジアで中国を親米の強力な存在とし、ソ連の覇権や日本の再興を抑えるのに役立つ、と計算していた。アジアの国を大国扱いすることは戦後の世界での欧米支配の印象を薄めるという考慮もあった。
 しかしチャーチル首相は米国のこの動きを「中国の真の重要性をとてつもなく拡大する異様な格上げ」と批判した。スターリン首相も中国の戦争貢献の少なさを指摘し、さらに激しく反対した。だがルーズベルト大統領はソ連への軍事援助の削減までをほのめかして、反対を抑えていった。
 フランスは最初から最後まで「警察官」にさえ含まれていなかった。戦争ではドイツに敗れて降伏し、全土を制圧され、親ナチスのビシー政権を誕生させた。ドイツへの抵抗勢力としてはドゴール将軍がかろうじてイギリスで亡命政権ふうの「国民解放戦線」を旗あげした。だが米国もソ連もこの組織を政府としては認めず、フランスに冷淡だった。スターリン首相はテヘラン会議では「真のフランスはビシー政権であり、フランスは国として戦後は懲罰を受けるべきだ」とまでの侮蔑(ぶべつ)を述べていた。
 だがチャーチル首相が一貫してドゴール将軍下のフランスを擁護した。国連づくりのプロセスでも主要連合国並みの資格を与えることを主張した。米国もソ連もやがて同調していった。米英軍のフランス奪回後にパリにもどり、一九四四年九月に臨時政府を成立させたドゴール将軍に対しフランス国民が熱狂的支持をみせたことが大きかった。
 だがフランスは国連の安保理常任理事国の実質上の資格である第二次大戦の勝者ではないことは明白だったのである。中国も同様だといえよう。にもかかわらず両国とも国連では真の勝者たちの政治的、戦略的な意思によって勝者の特権を与えられたのだった。
 この点でも国連はスタート時から平和への希求という崇高な顔の裏に大国のパワー政治のぎらぎらした素顔を宿していたのである。
 中国とフランスが常任理事国に選ばれたプロセスは明らかにそうしたパワー政治が公正や平等、論理や規則という原則を押しのけた形跡をあらわにする。しかも当初の五常任理事国のうちソ連はいまや崩壊して、ロシアとなった。中国を代表した中華民国は国連を追われ、議席は中華人民共和国に移された。フランスを含まない「四人の警察官」のうち二人はすでに別人となってしまったのだ。
(ワシントン 古森義久)
●=竹かんむりに均
 
 
 
 
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