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2003/09/09 産経新聞朝刊
【国連再考】(12)第2部(2)敵国条項 勝者が統治する戦後世界
 
 国連のゆりかごを編む場となったダンバートンオークス邸は日本の書籍類ではワシントン郊外とされるが、実際にはワシントン市内、ホワイトハウスからほんの三キロほどの首都の中心部に位置する。赤いレンガ塀に囲まれた美しい欧州スタイルの庭園と邸宅は米国外交官ロバート・ブリス夫妻によって築かれ、国連創設の会議が開かれた一九四四年にはハーバード大学の所有となっていた。
 厳密には「国際機関についてのワシントン懇話」と命名されたこの会議には米国、イギリス、ソ連、中華民国という連合国の四カ国代表が集まった。代表たちの当時の主張をたどると、日本にとってノドに刺さったトゲのような国連の敵国条項の存在もごく自然にみえてくる。
 国連はその憲章で連合国の敵だった枢軸側の日本やドイツを出発点から差別していた。国連憲章は第五三条と第一〇七条とで「敵国」という言葉と概念をはっきりうたっているのだ。
 第五三条では「敵国」という語は「第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国」と定義づけられる。そのうえで一般の侵略などに対する強制行動(軍事行動)は国連安全保障理事会の許可がなければとれないが、「敵国における侵略政策の再現」への軍事行動は例外だと規定する。
 つまり原加盟国は日本やドイツだけに対しては「侵略政策の再現」があるとみれば、自由に軍事行動をとってよい、というわけである。
 第一〇七条でも「第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国」が例外としてうたわれ、その敵国に対し国連一般加盟国が「戦争の結果」としてとった行動も憲章のどの規定でも無効とはされない、と明記されている。つまり敵国への軍事関連行動は国連一般の規定にまったくしばられない、というわけだ。
 この敵国条項は現状では明らかに日本などにとって不公正である。国連憲章第四条でも「加盟国の地位はすべての平和愛好国に開放される」と明記され、すべてのメンバーは平等であることがいまの国連の前提ともなっているからだ。
 だが国連の過去を国際連合ではなく連合国としての生い立ちにさかのぼり、五十九年前のダンバートンオークス会議での討議を追えば、敵国条項に関する矛盾も不公正もそれなりに説き明かされてはくる。
 米国代表のコーデル・ハル国務長官は同会議でも国連のあり方についてルーズベルト大統領の「四人の警察官」構想をいろいろな表現で説いていた。この構想は戦後の世界の平和や安全はあくまで第二次大戦の勝者たる米国、イギリス、ソ連、中華民国という四主要連合国が警察官のような力と機能によって保つ、という趣旨だった。
 ハル長官は語っていた。「四連合国が基本的な目的や利害を一致させ、永続的な相互理解を保たない限り、新国際機関の創設も紙の上の創造にすぎなくなる」
 連合国が一致して「ナチス・ドイツや帝国主義・日本のような侵略的国家が世界を悩ますことが二度とないという保証に基づく平和」の構築を目指し、他の諸国は非武装に近い状態におく、という狙いでもあった。
 イギリス代表のアレクサンダー・カドガン外務次官はチャーチル首相の「世界評議会」方式の戦後秩序維持を提唱した。この方式はイギリス、米国、ソ連の三国が戦争中の連合国としての軍事同盟を戦後も続け、全世界にわたって侵略を阻むことに責任を持つ、というシステムだった。
 そのためには全世界を欧州、太平洋、南北アメリカの三地域に分けて、英米ソがそれぞれの地域評議会を運営することがうたわれた。ここでもドイツや日本という敵国を完全かつ永遠に無力化することが前提だった。
 こうした連合国側の構想は戦争がなお続きながらも、勝利の展望が確実となった時点で勝者が戦後の世界をどう統治していくかを決めたシナリオだったといえよう。となると、勝者を苦しめ、傷つけた敗者はその戦後世界では徹底して骨抜きにされ、国連という新システムのなかでも、はるか低い地位に落とされる宿命となる。ダンバートンオークス会議が描くこのような構図では国連憲章の敵国条項というのも、ごく当然となってくるわけである。
 しかしその当時からでは世界の実情があまりに変わってしまったことこそ、いまの国連にとってのジレンマであろう。
(ワシントン 古森義久)
 
 
 
 
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