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1995/11/09 産経新聞朝刊
【戦後史開封】(451)国連加盟(3)
 
 「モロトフ氏は小学生の算術も知らないらしい。二十一から四を引けば十七ですよ」
 カナダ首席代表のマーチンがこう言ったとたん、議場は笑いに包まれた。
 昭和三十年九月二十二日に開幕した国連の第十総会の一般演説で、ソ連外相のモロトフは「加盟を申請している二十一カ国のうち、分裂国家である朝鮮、ベトナムの四カ国は除外し、残る十六カ国の一括加盟を提案する」と発言。直ちに登檀し反対論をぶったマーチンは、ソ連が日本を故意に落としたことを痛烈に皮肉ったのである。
 澤田廉三のあとを受け、七月に着任していた国連日本政府代表(大使)の加瀬俊一(九一)はマーチンとの接触を重ねる。十六カ国案に対抗し、これに日本と、新たに申請したスペインを加えた十八カ国一括加盟案を推進するのが狙いであった。
 加瀬はクズネツォフ、ソボレフ、日ソ国交回復交渉の全権でもあったマリクの各ソ連代表に対しても、活発なロビー外交を展開する。この年の六月二十二日にロンドンでスタートした日ソ交渉は、北方領土問題などをめぐる対立から中断状態にあった。
 ある日、加瀬がクズネツォフに会うと「日本は日ソ交渉をいつまとめるつもりか。ロンドンにおける日本の交渉ぶりは緩慢すぎた」と批判する。加瀬は「日ソ交渉もやがて終着駅に着くだろう。交渉はすでに成立したものとして、国連加盟問題を器用に裁いてはどうか。そうすれば日ソ交渉も促進される」と、応酬した。
 加瀬はこう打ち明ける。「日ソ交渉が難航すれば、加盟は交渉妥結までお預けとなる恐れがある。私としては、とにかく交渉とは切り離して、加盟を実現する方針で臨んだ。その方が交渉における日本側の負担も軽くなる」
 十一月に入り、マーチンは「ぐずぐずしていると総会は時間切れになる。一気に十八カ国加盟案を上程しよう」と言う。ところが、思わぬところに障害が出てくる。米国代表のロッジだ。
 十三日、ロッジはタイプした声明案を加瀬にこっそり示した。それには、モンゴル(外蒙、共産圏)の加盟は阻止する−とあった。モンゴルを除く十七カ国加盟で手を打つというのだが、加瀬は「米国の工作によって外蒙が加盟できないことになれば、ソ連は自由主義諸国の加盟を拒否し、日本も加盟を逃すことになる。絶対に困る」と反対した。
 声明が発表された後、加瀬がマリクと会うと、はたして「ロッジ声明は理解に苦しむ。ソ連は日ソ交渉が妥結に至らなくても、日本の加盟問題を先に解決したいと思い努力しているところだった。黙っているわけにはいかない」と、怒り心頭である。
 加瀬は一計を案じる。以前から懇意なニューヨーク・タイムズ社長のサルツバーガーを本社に訪ね、幹部も交え昼食を共にしながら懇談した。そして、十八カ国一括加盟案の実現と米国の方針転換の必要性を力説したのである。
 「今の国連の状況をみると、米国は稚拙な外交により孤立しつつあり、各国はソ連を天使のように、米国を悪魔のように考えている。この状況が続くと、日本の国連加盟もさることながら、自由主義国側が打撃を受けることになる−と話した」
 サルツバーガーは「同感だ。どうだね、誰か社説を書く者はいないかね」と幹部に促すと、二、三人が名乗りをあげた。
 翌朝、加瀬はマーチンの電話で起こされた。「今朝のタイムズを読みましたか。『米国は十八カ国加盟案を支持し、外蒙には棄権すべき』とある。いい社説ですよ」と、事情を知らぬマーチンの声は弾んでいる。
 ソ連サイドにも動きがあった。クズネツォフが記者会見をし、「ソ連政府は十八カ国加盟案を全面的に支持する。米国政府が同調しなければ、権利(拒否権)を行使する決意である」との声明を発表したのである。
 ソ連に先手を打たれた格好のロッジは、大統領のアイゼンハワーに会うため、キャンプ・デイビッドへ飛ぶ。そしてニューヨークに戻ると、加瀬に「米国としてはやむを得なければ、外蒙をのむことになった。ただ、台湾が強硬なので、説得に苦労しそうだ」と説明した。
 そこで工作の矛先は、台湾に向けられる。加瀬は代表の蒋廷黻に自重を促し、駐台湾大使となっていた芳沢謙吉(故人)も、蒋介石総統と三回会談し善処を求めた。アイゼンハワーも三度、蒋介石に親電を打つ。
 十八カ国一括加盟案は十二月七日の特別政治委員会で賛成五十二、反対二、棄権五で採択される。台湾は反対、米国は棄権、ソ連は賛成だった。問題は安全保障理事会だった。
 ここで台湾は予想外の行動に出る。突然、韓国と南ベトナムの二カ国を追加する修正案を提出したのだ。ソ連代表のソボレフは「行き詰まっていた加盟問題が解決されようとする直前に、このような修正案を提案するのは理不尽だ」と非難し、韓国とベトナムに拒否権を発動した。台湾もすかさずモンゴルに拒否権を行使、十八カ国一括加盟案は葬り去られた。
 加瀬にしてみれば、「ほとんど釣り上げたはずの魚が、糸が切れ釣り損ねた」との思いだった。
 後に台湾の葉公超外交部長が加瀬に語ったところによると、台湾側の事情はこうだ。
 「米国は十七カ国案を押しつけておきながら、今度は外蒙を飲めと要請してきた。ところが、その時はもう立法院は外蒙の加盟を認めないとの方針を決定しており、すでに遅かった」
 (文中敬称略)
【メモ】
◆平和の鐘
 昭和29年6月8日、日本国連協会から国連本部に「平和の鐘」が寄贈された。
 この鐘は、国連協会の愛媛県副本部長だった中川千代治氏の発案により、ローマ法王から寄贈を受けた金貨のほか、世界60カ国から送られた硬貨などを使って鋳造された。
 高さ1メートル、直径60センチ、重さ150キロのこの鐘は、現在も国連本部の敷地内に置かれ、国連見学コースの“見どころ”となっている。
 中川氏の子息で、自民党愛媛県連副幹事長の中川鹿太郎氏によると、「寄贈には日本の国連加盟を支援する意味もあった」と話す。
 
 
 
 
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