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2001/01/04 産経新聞朝刊
【正論】日本憲法と「普通の国」
学習院大学教授 坂本多加雄
◆自衛権巡る世界の常識
 日本国憲法の問題というと、ただちに思い浮かべられるのは、やはり非武装を定めたと解釈されている第九条であろう。しかし、これについては法理論のうえで考えるべきことは実はあまりなく、改正の実現ということが残っているだけである。
 およそ国家とは、その成立のうえからも、ある一定地域の共同防衛機関という任務を担っており、現に主権国家にして自衛権を備えないものはない。とすれば、日本だけが、通常の「普通の国」一般がそなえるべきそうした要件をあえて放棄しなければならない理由は存在しない。
 第九条を擁護するむきは、日本は「侵略戦争」を行ったのだから軍備が禁じられるとか、原爆を投下された日本は平和の問題に関して特別の資格や義務を有するとか説いてきた。しかし、「侵略戦争」をした国、また現にしている国は跡を絶たないし、戦争で日本以上の惨禍に見舞われた国はいくらでもあるが、そうした国々も自衛権を放棄することはない。
 ユダヤ人の大量抹殺という、歴史的にも「普通」ならざる蛮行を残したドイツも、世界各国は、軍備や海外派兵を容認して「普通の国」として扱っている。国家の自衛権をめぐる世界の常識とはそのようなものなのであろう。
◆「国民主権」どう考える
 日本国憲法の定める国家の制度を考えるうえで、より真剣な理論的検討が必要なのは、むしろ象徴天皇制度と「国民主権」を定めた第一条の解釈であろう。昨年五月、森首相が、「日本は天皇を中心とする神の国である」旨の発言をして、マスメディアによって問題にされたことはまだ記憶に新しい。この発言が問題となったのは、ひとつには「天皇を中心とする・・・」という言葉が、第一条に定められた「国民主権」に反するからだとされたためである。
 しかし、第一条を素直に読めば、天皇は「日本国」と「日本国民統合」の「象徴」であるとされているのだから、日本は「天皇を中心とする国」だとしても別に違和感はないはずである。にもかかわらず、森発言が問題とされるのは、第一条の文言(もんごん)それ自体よりも、「国民主権」と天皇のような君主の存在は本来矛盾するとする今日の大方の憲法解釈理論による。実際、憲法教科書の多くが、「天皇」に関する規定をなるたけ消極的に解釈することが「国民主権」を活かすゆえんであるかのように説いている。
 しかし、こうした解釈理論は、フランス革命の事例をもとに、君主制が革命によって打倒された後に「国民主権」が成立すると説くヨーロッパの憲法学説にそのまま従っているに過ぎない。言い換えれば、フランスの歴史を模範に日本の国家制度を解釈しているのである。確かに、憲法前文は、「国民主権」が「人類普遍の原理」である旨を説くが、そのことはフランスの歴史が万国の模範だということを意味するのだろうか。
 日本にフランス革命類似の事件が実際に起きて、今日の第一条のような規定があるのなら、そのことはそれなりに意味があろう。しかし、日本では、外国の占領はあったが国民による革命はなかった。革命を望む憲法学者もいるかもしれないが、そうした個人的願望は別にして、日本国の憲法を解釈する際には、やはり日本の歴史に即する必要があるのではなかろうか。
◆各国に統治の来歴と原理
 日本国憲法自体が日本の歴史に関心も知識もない連合国側の人々の原案によるのだから、その文言について細かい詮索をしても意味はないかもしれない。しかし、日本国憲法が法的に実効性を有するという前提に立つ限り、それを運用する私たちこそが自国の歴史に即して解釈を行うことはなお一層必要である。そもそも、一国の国家体制を支える原理については、自衛権の保持の場合ほどに簡単に世界共通の「普通の国」を想定することはできない。各国それぞれの歴史に応じた統治の来歴や原理があるからである。
 とはいっても、このことは、「日本」という国をことさら特別な国と見なすべきだということではない。たとえば、「国民主権」を私たちが通常念頭に置いている議会による統治という程度に理解すれば、君主を戴きながら議会政治を行っている国は現に多数あり、これらも含めた「国民主権」の国がおおむね「普通の国」であるという言い方ができるかもしれない。今日では、フランスにおいてすら、革命がこの意味の民主主義の確立に不可欠であったのか反省の声があるから、「国民主権」と君主の存在とが絶対に矛盾するとの前提に立つのは、日本のみならず世界一般の民主主義を考えるうえでも不適切であろう。
 天皇と「国民主権」との関係を理解する上で、やはり重要なのは日本国民一般の考え方である。憲法学者の多くとは異なり、一般の国民は、多かれ少なかれ天皇に敬愛の念を抱き天皇制度の存続を支持しているであろう。しかも同時に今日のような議会政治をも支持しているであろう。そして、あえて踏み込んで問われない限り、両者が矛盾しているとも考えないであろう。
 そうした一般の国民の反応は、天皇と議会政治とが相互に補完しあってきた日本の歴史に対応している。すなわち、「公議與論」と「勅命」の調和が求められた幕末の経験から、明治天皇が議会をもとに政治を行う旨を宣言した五箇条の御誓文以来、自由民権運動もこの五箇条の御誓文を掲げて進められ、さらに帝国憲法下では「政党政治」こそが模範的な統治のあり方だとの考え方が形成されていった。かくして、日本国民はその固有の歴史に立ちつつ、天皇のもとでの民主国家=「普通の国」の国民なのである。
(さかもと たかお)
◇坂本 多加雄(さかもと たかお)
1950年生まれ。
東京大学大学院修了。
学習院大学法学部教授、米ハーバード大学客員研究員。2002年没。
 
 
 
 
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