1994/10/08 産経新聞朝刊
【ウオッチャー】天皇、皇后両陛下の仏訪問
パリ・山口昌子
天皇・皇后両陛下は八日、フランスへの六日間の公式訪問を終え、次の訪問国スペインに向かわれたが、この間、フランスは天皇ブームに沸いた。政治的にも大国になりつつある経済大国・日本への「あこがれ」や「脅威」のほかに、天皇制を維持している神秘の国・日本への「好奇心」、二百年前の仏革命で王政を葬り去ったフランス人の失ったものへの「郷愁と悔恨」が見え隠れする。共和制を誇るフランス人は一方で、王様に永遠に恋しているのかもしれない。
両陛下へのフランスの歓迎ぶりは、過熱ともいえた。
三日夜のミッテラン大統領主催の晩さん会の規模が最大級だったほか、健康悪化が伝えられる中で、通常は省かれる場合が多い大統領主催の昼食会も六日、ツールーズご出発前に行われた。
加えてバラデュール首相の昼食会、シラク・パリ市長の歓迎レセプション、ジスカールデスタン前大統領とモノリー上院議長の表敬訪問と大統領候補たちも競って会談した。
しかも大統領は晩さん会の席上、日本の常任理事国入りに関し、これまで「反対はしない」と消極的だった言葉を翻し、「願わしい」とトーン・アップ。フランスの公式立場はジュペ外相が国連で演説した「好意的」だから、大変なリップ・サービスだ。
こうした最大限の歓迎の裏にはもちろん、政治大国も目指しつつある経済大国・日本の国際的位置の重みに加え、天皇、皇后として初の公式訪問という歴史的意味もあろう。
しかし他の大半の国家元首の称号である「プレジデント(大統領)(国家主席)」ではない「アンプラー(天皇)とアンペラトリス(皇后)」の称号そのものが、仏革命で失った王政への郷愁をかき立てていることは間違いない。
マスコミも連日、両陛下の行動を詳細に報じたが、一面をのカラー写真がいずれも古式にのっとったご結婚や即位式の写真だったことは同じ事情によろう。
一般市民の両陛下に対する態度も、他の国家元首とは違った。国家元首の往来で交通が規制される度にブツブツ文句を言うタクシーの運転手も、神妙な顔で行列が通り過ぎるのを待っていた。
こうしたフランス人の態度を「日本はフランスと同様に古い国であり、同様に先進国でもある。フランスは王政が続かなかったのに、なぜ日本は維持できているのだろうという科学的好奇心があるんだと思います」と日本学の権威、ベルナール・フランク教授は分析する。
逆説的に言えば、「フランス人は、どこかで王様や王妃をギロチンで処刑したことに罪の意識を感じているのです。だから他の国の王様に対し、罪滅ぼしの意味で関心が高いのです」(モイジ仏国際問題研究所副所長)
共和国にもかかわらず、フランスには正統王位継承者の伯爵がおり、社交界の中心になっている。
欧州王室など貴族の情報専門月刊誌「ポワン・ド・ビュ(視点)」や、貴族ら有名人のゴシップ週刊誌「ギャップ」の発行部数は五十万部と高く、仏有力紙ルモンドと同数だ。「パリ・マッチ」や女性週刊誌は、欧州王室の特ダネ写真や記事で満載だ。
ルモンドも例外ではない。同紙はダイアナ妃の不倫事件を、「夫婦のベッドの中、それも二人の息子がすぐ近くの部屋で眠る寝室で」などと実にリアルに伝える一方、「英王室の終えんは近い」という識者のコメントを、どこかウキウキした調子で載せている。
失ったものへのノスタルジアがあこがれと同時にしっと心をあおっているのかもしれない。
もっともモイジ氏は「フランス人は君主制度、それも英国などの立憲君主制度ではなく絶対君主制度が体質に合っている。現在も共和制君主政治」と言い切る。
確かに第五共和制の大統領の権力は絶対的だが、国民は文句は言いながらも大統領の権限が小さかった第三、第四共和制より満足しており、政治的混乱も少ない。ミッテラン大統領が、ルーブル美術館のピラミッドや新凱旋(がいせん)門を命令一下で造ったのはその典型だ。
「ナポレオン三世がプロシアに敗北しなかったら、フランスは今も帝政が続いていたと思う」(ブイソー仏国際研究調査所調査員)という意見もある。
仏革命の遺産としては三色旗とラ・マルセイエーズがあるが、ナポレオン法典をはじめ、堅固な官僚、警察、学校制度など帝政時代の遺産は現在もフランスの行政の基本だ。
「成り金を軽蔑(けいべつ)し、儀式や壮麗さを重んじる、というフランス人の生来の気質は民主主義には向かない」(ブイソー氏)という指摘もある。
仏マスコミは両陛下が日本の民主化に努力なされ、特に天皇陛下が平民出身の皇后陛下と結婚されたことを民主化のあかしとして絶賛しているが、これもフランス人の「ないものねだり」なのかもしれない。
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