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2001/12/17 毎日新聞朝刊
[社説]考えよう憲法/21 象徴天皇 時代が共感する姿どう示す
◇国民は戦後一貫して支持
 スペイン、ネパール、カンボジア、モロッコは日本より後に改正・制定した憲法で、国王を象徴と定めた。今の天皇制は世界の流れを先取りしていたともいえる。
 天皇を、憲法第1条は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と定めている。大日本帝国憲法で立法、行政、司法、軍事のあらゆる国家機構に大権を持ち、統治権を総攬(そうらん)した天皇は、国民主権の現憲法で「象徴」となった。
 「象徴天皇制をどう思うか」。毎日新聞は世論調査で70年から今年まで計9回尋ねた。それによると、「現在のままでよい」が常に最も高く77〜84%。「廃止すべきだ」は9〜14%、「現在よりも、もっと権威と力のあるものにすべきだ」は3〜8%にとどまる。国民意識は30年間、ほぼ変わっていない。改憲論議の中でも、天皇の地位と権能を根本から改めようとする意見は極めて少数である。
 しかし、現在のような天皇制を、新憲法制定時の日本政府が進んで受け入れたわけではない。天皇主権の憲法体制と決別し、新しい国家をどう築くか、憲法の在り方が根幹から問われた。
 連合国は1945年7月のポツダム宣言で、軍、財閥とともに当時の天皇制を念頭に「民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去」するよう求めた。日本は、万世一系の天皇が統治権を総攬する国体の死守が「皇国最後の一線」であり、「国体を護持し得て」(終戦の詔勅)と解釈して、無条件降伏した。
◇当時の政府は涙の受諾
 ただ、マッカーサーら連合国軍総司令部(GHQ)は、昭和天皇の退位や戦争犯罪人としての起訴、まして天皇制まで廃止すれば、日本国内の反発を買い、占領政策に重大な支障をきたすとみていた。形は残すが非権力化する。この方針は46年2月1日、日本側「憲法試案」を毎日新聞が報道し決定的となる。試案は「天皇は君主にして統治権を行う」など、明治憲法を踏襲していた。マッカーサーは日本政府自らの変革をあきらめ、GHQ案起草を命じた。
 日本とGHQの攻防の末に改正草案が固まる。幣原喜重郎首相は3月15日の閣議で「天子様を捨てるか捨てぬかの事態に直面し、やむなく司令部の案を承認した」と述べた。「天皇制を護持するには他のあらゆるものを犠牲にしてもよろしいという考え」(村上義一国務相の回顧)だった。国民主権、戦争放棄などは天皇制の死守と引き換えに取り入れられた。
 ポツダム宣言受諾を「8月革命」とみる学説(宮沢俊義氏)もあるように、敗戦を境に主権は国民の側に移された。しかし、憲法の構成は旧来と同じく第1章が「天皇」である。第1条は天皇の地位と主権在民を盛り込んでいる。旧憲法の改正だったにせよ、天皇主権の憲法観から脱却し切れなかった点は否めない。憲法の大原則を明確にする立場から、将来、改憲する場合は、国民主権の条項は天皇の章と切り離して独立させるのが望ましいという主張がある。
 天皇が行う国事行為はすべて、内閣の助言と承認を必要とし、天皇に政治的権能はない(3、4条)。しかし同時に、制定者は「意義ある役割を期待」(GHQ案第1章を起草したリチャード・プール少尉)した。首相と最高裁長官の任命、法令公布、国会召集、栄典授与など、天皇大権当時の形式を通じて、三権の権威づけの役割は残した。
 天皇は国会開会式の出席や外国訪問など公的行為も務める。政府は「象徴の地位に伴ってにじみ出る行為」と説明するが、訪問先や元首を迎えた宮中晩さんで述べる「お言葉」は、重要な外交上の意味が込められることがある。90年、韓国の盧泰愚(ノテウ)大統領が来日したときは、植民地時代の認識をどう表すか、日韓でもめた。「痛惜の念」と表現されたが、国内外を巻き込む政治問題となった。
 首相らが国政報告する内奏も、政治に影響があってはならないはずだが、71年、円の変動相場制移行の際、佐藤栄作首相が昭和天皇への説明を優先し、国民向けの発表が遅れた。また、天皇の治世を示す元号の法制化(79年)と公文書への使用、君が代の国歌法制化(99年)などは、憲法に反しているとする指摘がある。
◇「敬」「愛」が示した像
 天皇制を「強化」するよりも、文化的存在として考える方が望ましい、という意見もある。
 松本健一麗澤大教授は昨年12月の衆院憲法調査会で「天皇制は日本人が作った文化。歴史をさかのぼれば、無権力の文化の守り手だった。外交は国際的な権力闘争だから、ロイヤル外交もしないほうがいい。江戸城という要塞(ようさい)の中に住むのでなく、権力も金もない、しかし日本の文化だけがある京都の御所にお戻りになる方が、はるかに権力から切れる構造になっていく」と述べている。
 敬宮愛子さま誕生で広がった喜びの輪は、天皇家への変わらぬ国民感情が表れた。ただ、「国民とともにある」ことを重んじる今の天皇の下で、戦前即位した昭和天皇が併せ持っていた「強い天皇」像は、日々風化するだろう。
 皇太子ご夫妻が内親王に冠した「敬」と「愛」は、次代の皇室像を示唆したともいえる。女性天皇となれば、国民の抱くイメージは強さより優しさに違いない。自然を慈しみ、働くことを尊ぶ儀式は、現代にも通じる価値を持つ。阪神大震災で天皇ご夫妻が慰霊と慰問で示した思いやりの姿は、被災者の心をなごませた。象徴としての姿を皇室がどう示すか、そこに天皇制の意義もかかっている。
 
 
 
 
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