2001/08/20 毎日新聞朝刊
[社説]考えよう憲法/9 信教の自由 政教分離の厳格解釈が流れ
◇課題は逸脱宗教団体への対応
「信教の自由」は、歴史的に極めて大きな意味を持つ。宗教をめぐる戦争は数知れず、自由を求めて国を設立した例もある。重要性は早くから理解され、多くの国の憲法に盛り込まれている。
現代において宗教的自由は、個人の信仰の自由のほかに、国家と宗教の分離、政教分離原則という二つの視点から考えられている。
憲法はまず、「信教の自由は何人に対しても保障する」(20条1項前段)と規定した。明治憲法でも保障された自由権だ。
加えて「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」(同後段)「国及びその機関は、・・・いかなる宗教的活動もしてはならない」(同3項)と、明治憲法にはない政教分離規定を設けた。さらに89条で、公金を宗教上の組織に支出してはならないと定めた。
◇宗教的行為の自由には限界
前段の信教の自由には、特定の宗教を信じ、または信じない自由のほか、宗教的行為・結社の自由も含まれる。内心の自由を侵すことは許されないが、後者には、公共の福祉に反しない限り、との制約がつく。自己の信ずる加持祈祷(かじきとう)で他人を死なせるような宗教的行為まで免責するものではない。
近年、宗教団体と称してカルト的教義を振り回したり、金もうけの手段に使うなどの手合いが増えているのが、世界的な現象だ。信教の自由の今日性を示すが、日本ではオウム真理教事件をきっかけに、「宗教団体」に対する目が厳しくなり、政府は95年、宗教法人法を改正、財産目録や役員名簿などの提出を義務付けた。これに対し一部宗教法人は、信教の自由の侵害などとして提出を拒否。対立が続いている。
信教の自由が、オウム事件を許容するものではないことは明らかで、最高裁は、宗教法人オウム真理教の解散命令を不服としたオウムの主張を退けている。ただ、改正宗教法人法は、拙速だったこともあり、問題をはらむ。今後、議論を深めていくべきだろう。
後段の政教分離の原則をめぐる議論は、一層複雑だ。今年も小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐって、激論となった。
政教分離は、国教の有無など、その国の歴史的背景によって意味合いが異なる。日本の場合、そのルーツは、戦前の苦い経験だ。
明治憲法下の信教の自由は、現実には大きく制限された。国家神道が、国から特権を与えられ、天皇制国家の精神的支柱として、事実上の国教的地位を占めていたからである。当時の政府は、「神社は宗教にあらず」と正当化。国家神道は軍国主義と結びつき、国を破滅に追いやった。
連合国軍総司令部は、国家と神道の分離を命じる指令を出し、これが憲法の政教分離規定の新設につながった。したがって政教分離は、主に国・自治体と、神社とのかかわりが問題になった。中でも先鋭的で深刻な対立が、首相の靖国神社参拝なのである。
靖国神社は、国家神道のシンボル的存在だ。戦後、一宗教法人になったとはいえ、戦没者246万余柱を神として祭る。その影響力は極めて大きい。特別の存在として国家が面倒を見るべきだという主張も根強く、戦後の首相の多くは、参拝していた。
しかし、「公式参拝」は政教分離に反するとの見方も有力で、80年秋、鈴木善幸内閣は「首相、閣僚の資格での参拝は違憲ではないかとの疑いを否定できない」との政府統一見解を出している。
それをひっくり返した中曽根康弘首相は、「宗教色を薄めた形式ならば公式参拝は合憲」との私的懇談会の見解に基づき、85年8月15日、玉ぐし料の代わりに供花料を公費支出し、神道方式をとらずに公式参拝した。翌年は近隣諸国に配慮して中止したが、政府は、「中曽根式公式参拝は合憲」との主張は変えていない。
司法判断はどうか。
仙台高裁は91年「首相の公式参拝は、主観的意図が戦没者への追悼であっても客観的には宗教的行為。政教分離原則の相当範囲を超える」と違憲判断を示した。中曽根式公式参拝の是非を直接問う裁判では、大阪高裁は92年、一般人に与える効果、影響、社会通念から考えると宗教的活動に該当し、違憲の疑いが強いと判断した。
◇あいまいな目的・効果基準
愛媛県知事が靖国神社の例大祭に玉ぐし料を県費から出したことが問われた愛媛玉ぐし料訴訟で、最高裁は97年、違憲と判断した。政教分離裁判で最高裁の出した初の違憲判決で、15裁判官中、合憲としたのは2人だけだった。
政教分離原則一般の基点は、津地鎮祭事件で最高裁判決(77年)が示した「目的・効果基準」(憲法の禁じる宗教的活動は、行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉になる行為)だ。これにより、地鎮祭は宗教的活動ではないとした。
ただこの基準は明りょうとはいえず、同じ問題でも人により判断が分かれる。確かに八百万(やおよろず)の神が混在する日本では、宗教、神社と社会習俗の境界があいまいなところがある。国家と宗教の完全な分離は難しい。社会習俗と寛容に見るべき例もあるだろう。
ただ政教分離原則規定の要因となった靖国神社に対しては、厳密に考えるべきだというのが、司法でも学界でも主流といえる。
信教の自由は、当たり前のように受け取られているが、「国のかたち」にもかかわる重要な規定であり、なお吟味し続けなければならないテーマである。
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