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1995/04/14 毎日新聞夕刊
[歴史万華鏡]持統天皇の譲位から始まる 王権の二重構造
岡本健一<編集委員>
◇天皇の聖性を保った上皇
 天武天皇は子福者だった。十人の皇子のうち、草壁皇子と大津皇子が毛並みでは抜きんでていた。二人の母はそれぞれ皇后・〓野(うのの)讃良(さらら)皇女(持統天皇)と妃の大田皇女で、ともに天智天皇の娘。後継は寵愛(ちょうあい)の深い草壁か、衆望の高い大津か。
 このほか、高市(たけち)・舎人(とねり)ら天武の皇子たちがそろう。さらに、志貴(しき)ら天智系の皇子まで含めると、皇位継承の有資格者がきら星のごとく並んだ。
 持統は、そのなかからわが子・草壁とその血統のみを選び、皇位につけようとした。まず、ライバルの大津を自害に追いこんで粛清、草壁継承の地ならしをした。そして、肝心の草壁が早世しても、腹違いの兄弟たちに皇位継承権を回そうとしなかった。
 前回紹介したとおり、村井康彦さん(前国際日本文化研究センター教授、現滋賀県立大学教授)の講演「日本の王権」によると、持統女帝は、古来の不文律として守られてきた<終身在位><年長即位>の二大原則を破って、みずから退位し、十五歳の孫・軽(かる)皇子(文武天皇)に譲る。破天荒の妙策「譲位制」を発明したわけだ。
 しかし、せっかく皇位につきながら、文武は二十五歳で世を去った。本来ならば、ここで皇位継承権を天武の諸皇子に返すべきところだが、ピンチヒッターに文武の母・元明と姉・元正を立ててしのいだ。
 さすがに気がとがめたのだろうか、元明と元正は「天智天皇の定められた<不改常典(改むまじき常の典)>にもとづいて即位する」と宣言、即位の正当性を主張した。
 <不改常典>はこののち長く即位儀礼の宣命(お言葉)のキーワードとなる。<不改常典>については、天智制定の近江令をさすとか、嫡子相承制をいうなど諸説があるけれど、村井さんは「譲位を根拠づける理屈」とみる。
 こうした一連の演出をした黒幕が、新官僚として頭角を現した藤原不比等(ふひと)(藤原鎌足の子)。草壁皇太子から死の直前、護り(まもり)刀「黒作り懸佩(かけはぎ)の刀」を譲られるほどだから、よほど信頼が厚かったのだろう。草壁の子・軽皇子の後ろ盾となり、軽=文武が即位すると、護り刀を返す。文武の崩御前、ふたたび刀をたまわり、その子、首(おびと)皇子=聖武の後見となった。そして、首の成人を見届け(みずからの死とともに)、護り刀を戻す。
 草壁系皇統のシンボルとなった「伝家の宝刀」あり、新しい「神器」である。この、草壁→不比等→文武→不比等→聖武へという「護り刀」の伝世に、いち早く気づいたのが、古代史家の薗田香融さん(関西大学教授)。護り刀は「皇位継承への協力のクレジットである」と、鋭く見抜いた(「護り刀考」)。
 この薗田説を受けて、哲学者の上山春平さん(京都市立芸大学長)は、盟友の梅原猛さん(国際日本文化研究センター所長)とともに、八世紀以後の古代日本は「藤原レジーム(体制)」に入ったと考えた。「護り刀」を預かって年少の天皇を補佐しながら、娘(文武の妃・宮子と聖武の皇后、光明子)を后妃に入れ、外戚(がいせき)としても実権をふるう体制――それが、平安時代の藤原摂関制に先駆けて、はじまったというわけだ。
 村井さんは、その辺のことをさらりと触れたあと、「持統女帝が譲位制を採用した結果、皇権が天皇と上皇(隠居後の天皇)の二重構造になった」と、日本的王権の特徴を指摘した。
 平安時代後期の院政期(十一世紀末〜十二世紀)をみれば、上皇たちは隠居生活を存分に楽しんでいる。なかでも後白河上皇は三十四回も熊野もうでに繰り出したし、白拍子(遊女)を近づけて、カラオケならぬ今様(いまよう)(流行歌謡)にも凝った。都からの遠出もままならず、道徳的にも世の師表とならねばならぬ天皇の、窮屈な立場と比べると、大違いである。
 「天皇は王権のタテマエ、上皇はホンネの部分を担ったといっていい。上皇は王権から権力の部分――暴力性・退廃性・非道徳性をうけもち、天皇の聖性を保った。天皇と上皇の棲み(すみ)分け、王権のバイパスができた。この政治的装置が<王権の柔構造>をもたらし、天皇制が今日までつづいてきた大きな力となったのです」
 鎌倉幕府以後、王権は「公家の権威」と「武家の権力」に分化するが、天皇―上皇制の変形だ。
 「すべては、持統女帝の孫への譲位からはじまった、と考えていい。ひるがえって、今日の天皇制では譲位もなく女帝も認めない。選択の余地がない嫡男相承制は、非常に堅い構造だと思う」と、村井さんはしめくくった。
 
 
 
 
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