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ポータブル蛍光X線分析装置を用いたラーヤおよびフスタート遺跡出土のイスラーム陶器の化学分析
中川映理、保倉明子、中井 泉、真道洋子、川床睦夫
 
1. はじめに
 シナイ半島ラーヤ遺跡からは、9〜11世紀を中心とする多くのイスラーム陶器、ガラス器、銅製品、金貨などが出土している。我々は、2001年度から現地で出土遺物の化学分析を行っており、ガラス器については、その研究成果を昨年度の報告書等1)2)に報告してきた。一方、イスラーム陶器については、本年度より本格的に分析を始めているものの、ガラスよりも複雑な構成を持つ試料であるため、現在のところ定量方法を含めた解析方法について検討中である。本稿では、今年度現地に持ち込んだポータブル蛍光X線分析装置によって測定したイスラーム陶器のうち、ラスター彩陶器の釉部分に関する分析結果の一部を予報として報告する。
 陶器は素地(胎土)に釉薬をかけて加熱することにより製作される。釉薬はガラスと同様に石英や珪石などケイ酸分が必ず含まれ、天然ナトロンや植物灰などのソーダ源を加えるアルカリ・ガラス系の釉(アルカリ釉)と、酸化鉛を20%以上加える鉛ガラス系の釉(鉛釉)がある。古代メソポタミアではアルカリ釉が主流で、釉薬と素地となる材質の適合性や収縮率の差などから、釉薬がなじまずはがれやすいという問題を解決するために、胎土にケイ酸分を加えるなど釉をかけやすく工夫してきた。一方、鉛釉は、鉄分の多い赤い粘土と適合するとされ、東地中海方面では独特なローマ系鉛釉陶器が登場した。イスラーム陶器成立の背景には、これらの伝統を引くアルカリ釉系陶器と鉛釉系陶器の2つの流れが存在していたのである。このように陶器の釉薬は、時代の変遷や製作地域によって違いが見られる3)〜5)
 ラスター彩陶器は、ガラスの装飾技法であるラスター彩が陶器に応用され、9世紀頃、現在のイラクの都市で誕生したと考えられている。中近東の陶土は鉄分を多く含み焼成後の胎土は赤色や黄色を呈するが、ラスター彩陶器のようにさまざまな色彩を鮮やかに発色させるためには、白色素地の存在が不可欠であった。白い陶土を使用する以外に白地を得る方法としては、素地に白色のスリップをかける、もしくは、釉薬を白濁させるという2つの手法が挙げられる。釉薬を白濁させるには、鉛釉にスズを加える方法と、アルカリ釉を低温で焼成する方法があると言われている6、7)
 そこで、今回は、ラーヤ遺跡出土イスラーム陶器の白地部分の釉薬に着目し、化学分析を行った。また、すでに時代や地域による分類がなされているエジプトのフスタート遺跡出土のイスラーム陶器についても分析を行い、ラーヤ遺跡出土イスラーム陶器と比較することでラーヤ遺跡の時代や地域的な位置づけを試みることを目的とした。
 
2. 分析方法
 ポータブル蛍光X線分析装置OURSTEX 100FA8)をエジプト・シナイ半島のトゥールにある発掘調査隊施設に25日間、また、カイロ近郊に位置するフスタート遺跡の収蔵庫に10日間設置し、蛍光X線による出土遺物の元素分析を行った。測定条件を表1に示す。分析はすべて非破壊かつ大気中で行った。今回は鉛とスズに着目し、解析には白色X線を励起源として得られたスペクトルデータを用いて解析した。
 表2に測定試料の詳細を示す。ラーヤ遺跡では主にラスター彩陶器を中心に、フスタート遺跡では胎土や形状により時代や地域ごとに分類されているイスラーム陶器を中心に分析を行った。さらに、早稲田大学によって発掘され、現在中近東文化センターに保管されているフスタート遺跡出土遺物のうち、誘導結合プラズマ発光分析法(ICP-AES)による定量値のある陶器9)についても中近東文化センターで蛍光X線分析を行い、本研究で用いた分析装置によって得られた蛍光X線の強度から元素の定量値を算出する手法についても検討を行った。
 
3. 分析結果及び考察
 イスラーム陶器の釉薬を分析して得られたスペクトルの一例を図1に示す。図1のように鉛のピークが顕著に現れたもの(RP448)と現れないもの(RP9654)の2タイプが存在した。RP448の釉は緑色を呈しているため、その発色元素である銅も強いピークとしてスペクトル線が検出されている。鉛を含む陶器は鉛釉、含まないものはアルカリ釉と推定されるが、ラーヤ遺跡、フスタート遺跡共にほぼすべての釉において鉛が検出され、まったく鉛を含まないアルカリ釉と思われるものはわずか数点であった。
 そこで、すでにICP-AES分析によって鉛の定量値が報告されている9)中近東文化センター所蔵のフスタート遺跡出土陶器を本装置で測定し、報告されている定量値と蛍光X線強度の比較を行ったところ、釉薬の主成分であるケイ素(Si)と鉛(Pb)の蛍光X線強度比(Pb/Si)とICP-AESによる鉛濃度分析値には正の相関が認められ、本装置によって大まかな鉛の定量が可能であることが明らかとなった。その結果、ラーヤ遺跡とフスタート遺跡出土のアッバース朝陶器やファーティマ朝陶器の釉薬は、鉛を20%以上含んでいることが分かった。また、フスタート遺跡出土のアイユーブ朝陶器とマムルーク朝陶器については、大部分が鉛を20%以上含んでいたものの、数%から10%前後と鉛含有量の少ないものの存在も確認された。ただし鉛は励起効率がよい元素なので、20%以上の鉛を含む資料については、蛍光X線強度が大きすぎて定量的議論は難しい。
 次に、白地部分における釉薬中の鉛とスズについて検討を行った。特にラーヤ遺跡で出土数の多いラスター彩陶器に着目し、フスタート遺跡から出土したラスター彩陶器との比較を試みた。フスタート遺跡からは、ファーティマ朝時代のラスター彩陶器を始め、イラク、スペイン等で製作されたと見られる多種のラスター彩陶器が出土している。今回は、比較的分析点数の多いファーティマ朝、イラクの2つのラスター彩陶器を比較の対象として用いた(カラー図版4-図2)。測定結果から得られた鉛の強度をケイ素で規格化した値と、同様に規格化したスズの値の散布図を図3に示す。この図から、鉛を多く含んでいるもの(I)と、比較的鉛が少なく、かつ鉛とスズにおいて正の相関をもつもの(II)の2グループに分けられた。ここで、それぞれの鉛含有量を見積もると、(I)は20〜50%、(II)は10%前後であった。グループIには、フスタート遺跡の陶器でファーティマ朝ラスター彩陶器と分類されているもの、グループIIにはイラクの初期ラスター彩陶器とされているものがそれぞれ分類された。ラーヤ遺跡出土のラスター彩陶器は、グループIIに属するイラクのラスター彩陶器のタイプと同様の領域に分布することから、イラクの影響を強く受けていることが示唆された。さらに、このタイプにおいては、鉛とスズに強い正の相関が認められることが分かった。つまり鉛を多く含むものは、それに伴ってスズの含有量も増加した。このことから、原料として鉛とスズを共に含む鉱物が用いられていたか、あるいは、鉛とスズをそれぞれ含む鉱物を一定の混合比で調合して使用していたのではないかと推定される。また、胎土や形状などの見た目からでは分類の難しいフスタート遺跡出土の4点の資料については、グループIに2点、グループIIに2点とそれぞれ分類することができた。
 
4. まとめと今後の展望
 今回の分析の結果から、白地釉薬について鉛含有量が多いファーティマ朝ラスター彩陶器と比較的鉛の少ないイラクの初期ラスター彩陶器の2タイプに分類することができた。また、後者のイラクの初期ラスター彩陶器については、白地を生成すると考えられるスズと鉛に強い正の相関が見られ、釉薬の原料にこれらが共に含まれる鉱物を用いていた、あるいは、一定の混合比で調整された原料を使用していたのではないかという可能性が示唆された。これらの結果について、ラスター彩陶器の白地部分だけでなく、白釉陶器まで幅を広げ現在検討を行っている。
 今回の調査では、ガラスとイスラーム陶器以外に、ラーヤ、トゥール遺跡出土のコインについても分析を行った。その結果、今年度ラーヤ遺跡から出土した金貨は、ほとんど不純物を含まない純度の高い金で作られていることが分かった。銅貨に関しては、銅のほかに鉛、スズ等の元素が含まれていた。コインの組成と製作された年代の関係については、今後研究を進めていく予定である。
 

参考文献
1)沢田貴史、保倉明子、中井 泉、真道洋子「ポータブル蛍光X線分析装置によるシナイ半島出土遺物のその場分析」『エジプト・シナイ半島ラーヤ・トゥール地域の考古学的調査2002年度』、pp.60-65.
2)沢田貴史、保倉明子、山田祥子、中井 泉、真道洋子「ポータブル蛍光X線分析装置を用いるシナイ半島出土ガラスのその分析と化学組成による特性化」『分析化学』、53、2004年、pp.153-160.
3)石田恵子『人間国宝加藤卓男シルクロード歴程−ラスター彩、三彩、織部の源流を求めて−』、古代オリエント博物館、2002年、pp.56-64.
4)三上次男編、『世界陶磁全集 21 世界(二)イスラーム』、小学館、1986年.
5)三上次男『ペルシャの陶器』、平凡社、1978年.
6)川床睦夫、岡野智彦「エジプトのイスラーム陶器」『世界陶磁全集 21 世界(二)』、三上次男編、小学館、1986年、pp.174-197.
7)吉田光邦「イスラーム陶器の技術−イランを中心に−」『世界陶磁全集 21世界(二)」、三上次男編、小学館、1986年、pp.233-241.
8)真田貴志、保倉明子、中井泉、前尾修二、野村恵章、谷口一雄、宇高忠、吉村作治「新開発のポータブル蛍光X線分析装置によるエジプト、アブ・シール南丘陵遺跡出土遺物のその場分析」『X線分析の進歩』34、2003年、pp.289-306.
9)望月明彦、山崎一雄「陶器・釉と胎土(1)」「陶器・釉と胎土(2)」『エジプト・イスラーム都市アル=フスタート遺跡発掘調査1978〜1985年』、櫻井清彦・川床睦夫編、早稲田大学出版部、1992年、pp.405-411.
10) Mason, R. B. and M. S. Tite, "The Beginning of Tin-opacification of Pottery Glazes," Archaeometry, 39, 1997, pp.41-58.
11) Vendrell, M., J. Molera and M. S. Tite, "Optical Properties of Tin-opacified Glazes," Archaeometry, 42,2000, pp.325-340.
12) Caiger-Smith. A., Luster Pottery, London, 1985, pp.198-203.







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