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(6)文化的改革
 そこで、必要なことは、文化的改革(Cultural Change)を行い、正しいことには報酬(Reward)を出し、間違っていることに対してはペナルティー(Penalty)を課すという組織文化(Organizational Culture)を構築することである。
 最近の企業は、企業の存続、拡大、或いは、再生のために、営業政策はもちろんのこと、環境保全、安全確保等の社会的責任に対する取組みを確立し、これを公表することが求められているが、これも企業文化の構築ということで、同種の考え方である。
 そして、「正しいことであるから行うのである」、ということが無意識のうちに実行できるようになれば、訓練は必ずしも必要ではなくなるはずである。
 ただし、飴と鞭(Carrot and Stick)といった信賞必罰のシステムも現状では額面どおりにはいかないと思われる。
 このことは、最近、霧の英仏海峡において、ハイスピードクラフト同士が、両船ともに高速力のまま航行中に衝突した事故が発生したが、この事故は、たとえ速力を減じ規則を遵守しておれば事故を防止することができたとしても、法に従って減速したことでもって賞賛されるかといえば決して誉められず、かえって到着予定の時間に遅れたことでもって白い眼で見られるのが現実である。
 したがって、本件に拘わらず、事故を惹起した船長は、組織が求めていることをしただけであると主張するであろうから、先ず、規則を破ることを正当化するような会社の雰囲気、或いは、システムにメスを入れ、規則を遵守すれば誉められる、すなわち、正当な行為に対しては報われるというシステムを構築する必要がある。
 その際、経営のトップがRewardingやPenalizingをどのように行っているかを確かめて、企業文化を、懲戒やかく首といった恐怖でもって雇用や生産力を維持、向上させる恐怖の文化ではなく、社会性にも精力を集中することができる報酬の文化という方向性で改革すべきであろう。
 MRCでは、海運会社の依頼によって、航海士官(Seagoing Officer)時には機関士(Engineer)の雇用、スカウト、昇進に先立って、シミュレイターを使用したアセスメントテスト(Assessment Test)を行っている。
 しかしながら、アセスメントテストは、海運会社は海運会社としての考え方、評価手法を持っているであろうから、その場に海運会社の監督責任者に出席を求め、海運会社の基準に従って監督責任者が最終決定することにしており、MRCは、換言すれば、課題(Exercise)や課業(Task)を提供し、時にはこれらを評価(Assess)して会社の手助けをするのみである。
 アセスメントテストには、適性検査(Aptitude Test)のほかに知能検査(Knowledge Test)、性格検査(Personality Test)等があるが、P&O(英国の海運会社)は、会社或いは海上に適しているかどうかを判断する際、アセスメントセンター(Assessment Center)という概念でテスト、実習(Exercise)、インタビュウ(Interview)を行なっている。
 そのうちでも、インタビュウに重点を置いているのではないかと思う。
 Dr. Barnettは、ある人が会社に如何に上手に馴染もうとしているかを見ることは、最終的には会社の文化の態様に帰趨することになるので、文化適合具(Cultural Fit Tool)といったものを開発したいと考えているという。
 P&Oは、新社員採用時に能力評価の一環として心理テスト(Psychometric Test)を行っているが、Dr. Barnettは、Researcherとして非常に興味はあるが、同テストを行っていない。
 ただし、Dr. Barnettとしては、「海運界は、士官候補生のCadetに対して経済的援助を行なっているが、3年の見習い期間(Apprenticeship)のうち2年も経たないうちに止めてゆく人が30ないし40%も存在する、すなわち3人に一人が離脱していくのを見て、非常に大きな浪費だとし、ある種の心理探索具(Psychometric Tool)といったものを求めているのが実情である。
 Cadetが離脱する理由は多種多様であるが、海上で数ヶ月を過ごし、これは有益であると考えたCadetのプロフィール(Profile)が分かれば、海上に留まるべきではないと考えるCadetを濾過(Filter out)することができるので、適切かつ有効なPsychometric Toolが求められる所以である」ことは認識しているが、心理学者によればToolの作成に10年は掛かるという。
 奇妙といっては語弊があるが、フィリッピンでCadetに対する心理テストを始めたという。中味は不明である。
 Mr. Brandは、15年間漁船に乗船したのち商船に転じ、商船船長を勤めたあと海難調査局(Marine Accident Inquiry Branch)に入局し、現在は同局のInspectorとして活躍している。
 このように、漁船と商船という二種の乗船履歴を有することから、海難事故の防止に深い関心を持ち、Inspectorとして勤務する傍ら、漁業界の安全文化についての研究に着手したという。
 Mr. Brandによれば、不確かではあるが、英国には、7,000隻の漁船が存在しているものの、そのうちの6,000隻は長さが50メートル未満の漁船である。10年前はこの二倍の漁船がいたが、現在は毎年減少していて、漁船員の数も同様に減少しているという。
 一方、いわゆる、European Watersには多数の漁船が操業していて、時折スペイン漁船の事故に遭遇するが、これらの漁船は、イギリスにフラッグインされているものの、乗組員は全員スペイン人というケースが多い。
 これはヨーロッパ統合(European Union、EU)の影響で、イギリス船籍の漁船にはイギリス人を乗船させなければならないという枠、或いは、EEZにおける操業には沿岸国の乗組員を一部雇用しなければならないという枠が外されたからで、今や英国の漁船船主は、ポーランドやリトアニア、ロシアなどの東欧諸国の乗組員を雇用し始めている。
 このように、漁船数や漁船員数が減少していることは、アメリカやカナダ、ニュージーランド、オーストラリア等の先進国に共通の問題であり、漁船数が増加しているのは、スリランカのような低開発国(Underdeveloped Countries)のみである。
 他方、乱獲による漁獲量の減少に伴って、漁獲制限(Quota Restrictions of Fishery)、或いは出漁制限(Day-at-Sea Restrictions)が行われている反面、英国漁民は、低賃金の漁船の出現により、ますます経済的な重圧(Commercial Pressure)を受けて、天候が少しばかり悪くても一人(Single-Handed)で出漁するケースがしばしば見られる。
 このような事態が、若年層に対して漁業界に対する魅力を失わせ、漁船員の地位や教育水準の低下を招き、延いては漁船員の高齢化、混乗化を招来していることは先進各国に共通の課題である。
 因みに、英国で消費される魚の70%は、英国国外から買い付けられたものであるという。
 MAIBが調査した事故のうち、約60%は漁船絡みの事故であり、また、その態様は、浸水、転覆、衝突、乗揚等、多種多様である。
 また、MAIBは、事故を調査した場合、その都度、各種団体(Various Bodies)に多様な勧告(Various Recommendations)を行ってきたが、漁船に係わる事故発生率は、漁船数及び漁船員数に比例(Pro Rata)するばかりで、一向に改善の様子が見られない。
 Mr. Brandは、漁船の事故発生率が減少しないのを見て、事故の原因は、「直接原因のほかに何かがある」(Something else underneath the Direct Cause (Initial Cause) of Accidents)に違いないと考えた。
 すなわち、「漁船員が見張りを十分に行わなかった」のは、「何かが漁船員をしてそうさせたのである」から、直接原因の背後には、「漁船員をある行為に駆り立てる何かがある、すなわち、漁業界の安全文化(Safety Culture within the Fishing Industry)に鍵があるのではないか」と考えた。
 そのため、過去6、7年の漁船事故を分析し、要すれば陸上関係者にもインタビュウを行なって漁業界の安全文化を取り纏め、直接原因の背後にある(Beyond the Initial Cause)もの、すなわち、事故に係わりのある文化を探求することにした。
 調査は、3、4ヶ月前に始めたばかりで、現在は文献調査の段階であるが、いずれは組織文化(Organizational Culture)、職業文化(Professional Culture)等に入っていくつもりである。ただし、Part-timeとして研究しているので、完成までには4、5年は掛かると思うが、出来上がれば博士号を取れると思う。
 情報は公開するので、共同で作業できれば幸せであるという。
 Mr. Brandによれば、漁業界の船舶運航や労働形態は、商船界(the Industry of Merchant Navy)のそれとは全く相違しているという。
 すなわち、漁業は、自然環境(the Environment)の影響を多分に受けるうえ、僚船との魚の取り合いといった競合の問題(Peer Pressure)もあれば、競りに間に合わせなければならないといった採算の問題(Commercial Pressure)もある。
 その他、一人で出漁したり、悪天候なのに出漁したりしなければならないなど、大きな会社の商船とは違った小さい漁船にのしかかる生活権の問題(Commercial Pressure)もある。
 一方、漁船員を取り巻く法的環境はといえば、英国以外の多くの国も同様であるが、漁船の安全性の確保について、漁業界の実態を十分に理解することなく、商船界の規則が適用されているという問題もある。
 更には、前述のとおり、漁船の船主が、漁業界に魅力を持たせられないことから漁船員の地位を上げることができず、それが若い有能な人材を集めることができないことに繋がり、延いては、漁船船主をして、安易に安い外国人を雇用する方向に走らせ、それが結果的には更に漁船員の地位を下げ、漁業界の文化を低下、複雑化させるという悪循環を、漁船船主が自ら創出している問題もある。
 いずれにしろ、これら問題点を総合して漁業界の文化が形成されたのであろうが、その文化は、因習、伝統、慣例、更に付言すれば、しがらみや、こだわり、わだかまり、生き様といった点で商船界の文化とは大いに異なるといえる。
 このような漁業界の文化を背景にすれば、漁船員が持つ価値観は、商船船員が持つ価値観とは自ずから違ってくることになり、したがって、漁船員は、商船船員とは違った手法で行動するということに繋がり、延いては、それが、漁船員に潜むある種の「駆り立てる力」(Driving Force)を引き起こす漁業界の文化になっているのではないかと思う。
 このように見てくると、漁業界の文化と漁船員の価値観とは、相互に影響しあっていることが分かる。
 海上は、航空や鉄道と異なり、大きく分けて漁業のような漁獲経済を基盤にした文化と、商船のような運輸経済を基盤にした文化、或いは、プレジャーボートに代表される娯楽文化とが混在しているところであり、これらの文化を融合、統一、或いは、融和、共生させることはかなり難渋するものと思われる。
 しかしながら、最終的には、これらの文化の根底にあるそれぞれのSHEL要素の調和を図りながら、「人間中心の文化」を構築することが必要ではないかと思う。
 MAIBは、懲戒権を有していないが、海上保安庁(MCA)は、訴追に至る権限を有している。
 しかしながら、漁船員は、強力な政治力を持っており、また、漁船員とMCAの間柄は全く疎遠であることから、懲戒を求めることは極めて稀である。
 近年、漁船員が規制強化を求めてSouthamptonのMCAに投石抗議したことがあるが、両者は険悪な仲でもある。
 規則の制定や教育、訓練、指導等の救済策(Remedies)の実施は、海難防止にそれなりの意義は認められるが、漁船の安全文化を改革する、或いは、海難事故を防止する解決策とはなり得ない。
 やはり、それらの救済策の背後にある「何が漁船員を駆り立てるのか(What makes fishermen tick? What motivate them?)」を究明する必要があると思う。
 いずれにしろ、文化を変えるには、特にグローバルに(Across the Globe)に文化を改革していくには時間が掛かるものである。







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