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1995/08/14 産経新聞夕刊
死刑制度と八王子スーパー射殺事件 廃止論者は人権誤認
論説委員 飯田浩史
 
 手を粘着テープで縛られ無抵抗のアルバイト女子高生の頭を後ろから短銃で撃つなどあまりにも冷酷、残忍な手口が国民の憤激を買った東京都八王子市のスーパー女性従業員三人射殺事件から二週間が過ぎた。
 発射された銃弾五発のうち一発は金庫のダイヤルキーを狙ったとみられることから強盗目的の犯行の疑いが濃い。しかし、確たる動機を含めて犯人像は絞られていない。
 まだ短銃を持っていると思われるので第二、第三の犯行の心配もあり、一日も早い犯人(正確には容疑者)が捕まることを願わずにはいられない。
 事件を伝えたマスメディアは例外なく「わが国では例を見ない凶悪犯罪」として犯人を憎み、被害者や家族の無念の思いに精いっぱいの同情を示した。
 この事件はオウム真理教による無差別大量殺人の地下鉄サリン事件とはまた違った、言いようのない憤りが善良な市民の胸に沸き上がってくる事件であり、マスメディアの過剰反応とはいえないだろう。
 
 ところで容疑者が検挙されていないこの時期に、死刑廃止論者にぜひ聞いてみたいことがある。このような事件を目の前にしても、死刑廃止論者は死刑制度を廃止すべきというのだろうか。とくに死刑廃止論者の中心的存在である元最高裁判事で刑法学者の団藤重光氏と、元法務大臣の左藤恵代議士に聞きたいものだ。
 容疑者が逮捕されてからでは、判決確定まで「推定無罪の原則」がはたらき答えにくいと思うので、あえて容疑者が逮捕される前に「凶悪犯人」と刑罰に関する考え方として聞きたい。
 団藤氏の場合、死刑廃止の最大の理由は「誤判があった場合取り返しがつかない」ということであり、「これが死刑廃止論の最後の決め手になると信ずる」(団藤重光著「死刑廃止論・改訂版」)のであれば、真犯人ならば死刑も認める、ということなのか、どうか。
 また左藤氏は僧籍を持ち「信念として死刑制度に反対する」として大臣在任中、職責に反し死刑執行命令書に署名しなかった政治家である。わたしは当時、そうであるならば大臣就任を辞退するか署名を求められたときに辞任するのが筋であると批判した。
 八日の内閣改造で法務大臣に就任した田沢智治参院議員は「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだが、初閣議後の記者会見で「死刑の存廃では一政治家としての視点と法相の職責があり、議連に入っているからといって廃止すべきという結論にはならない」と述べた。政治家としてどちらが国民全体の奉仕者としてふさわしいのだろうか。
 
 政治家としての資質はともかく、職責に背いても死刑に反対した左藤代議士は八王子事件の犯人といえども死刑には反対だ、と答えるだろう。ならば、近い将来行われる総選挙で公約として堂々と「死刑制度の廃止」をかかげるべきだ。
 一方、団藤氏は八王子事件の犯人に対する憎しみが薄らいでいないこの時期でも死刑はいけない、と答えるのだろうか。国民世論はまだ死刑制度存続が過半数を占めているばかりか、増える傾向にある。廃止論者は「ことさら凶悪な事件が起きた時に調査するからだ」とか「設問が意図的だ」などと非難するが、本当に死刑廃止が人道的だと信じるならば、そうした非難をする前に、もっと共感を得られる理論で積極的に一般国民を説得する努力をすべきだ。
 死刑が「国家による合法的かつ非人道的な殺人」だというならば、犯人の被害者、家族に対する非人道的、かつ最大の人権侵害行為に対する償いの方法を明示しなければ被害者、家族ばかりか多くの国民の納得は得られないだろう。
 死刑制度の廃止は、凶悪犯人が何の落ち度もない善良な市民をどのような冷酷な手段で何人殺そうとも、「国家の名において犯人の命だけは守る」ことになり、結果的には無期懲役だ。服役態度がよければ十五年で仮釈放の恩典を得られることを意味する。死刑の適用は慎重でなければならないことはいうまでもないが、死刑制度そのものを廃止してしまうということは、犯人の人権に比し被害者の人権をあまりにも軽んじてはいないだろうか。
 さらに納得できないのが死刑執行に対する一部マスメディアや死刑廃止論者の過剰反応である。名前や事件内容を知っても一般市民には記憶がない死刑囚が、あたかも善良な市民であったかのように錯覚する報道や抗議は世論を惑わせる。
 
 昨年一月から今年の七月までに全国の裁判所で死刑を言い渡された被告は十八人。そのうち三人は最高裁判決で死刑が確定した。死刑執行を非難する前に、なぜ裁判所に対して「死刑判決は不当」との抗議をしないのか。おそらく一審判決の時点ではまだ事件の記憶が生々しく、一般市民からの反感を買うのを恐れてのことだと思う。どのような凶悪事件でも当事者以外は年月の経過とともに憎しみが風化する。だが、被害者、家族は何年たとうと忘れるものではない。原爆投下五十年後の日本国民が毎年思いを新たにし、世界に向けて核兵器の残虐さを訴えるのとまったく同じである。
(いいだ・ひろし)
 
 
 
 
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