「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」は死刑執行が明らかになった三月二十七日には緊急記者会見し「三年余りにわたる事実上の死刑執行停止に対する国民の期待と、死刑廃止への世論の高まりを根底から裏切った」と批判。
メンバーの一人の大学教授は「歴代の法相が四代にわたって慎重な態度でのぞんできたのに一気に無にしてしまった」と執行命令に判を押した後藤田正晴法相の辞任を求めて一時ハンストをしたりしていた。
僧りょという立場から「宗教上の信念に基づき執行命令書に判を押すのを断った」と公言した左藤恵元法相を含めた四人の前任法相にひきかえ、判を押した後藤田法相は血も涙もない“悪代官”のような非難のされようである。
後藤田法相のとった措置は果たしてこれほどの非難に値する行為であろうか。「裁判官に重い役割を担わせているのに、行政側の法相が(死刑を)執行しないということでは国の秩序は保てるか。法秩序、国家の基本がゆらぐ。個人的な思想、信条、宗教観で判を押さないのなら大臣に就任したのが間違いであり、(就任時に)分からなかったのなら分かった段階で職を辞するのが当然だ」と、三月二十九日の参院法務委員会での野党議員の質問に対する後藤田法相の答弁の方がよほど説得力がある。わたしたちも同意見である。
また、折角盛り上がってきた死刑制度存廃論議に水をさすものだ、という批判や、政治的意図があっての執行などという非難もあるが、もともと死刑存廃論議で盛んなのは「廃止論」だけで、その元は皇室の慶弔事も関係があると思われる三年四カ月もの執行の空白を、廃止に結びつけようとした廃止運動団体の意向が強く反映している。
これまで、死刑の執行は新聞でも一段記事程度だったが、今度はトップ記事扱いになったことがその証左だ。その意味からいえば後藤田法相の決断は存廃論議を盛んにする一石になっても水をさすことにはならない。フォーラムの資料によれば、衆参両院議員合わせて百六十七人もの多数が「死刑廃止」の趣旨に賛同している(92年11月現在)。執行に抗議する以前にこれら議員に先頭に立ってもらって、あるいは選挙公約として廃止を訴えてもらうのが筋と思うがどうだろうか。
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