2002/10/08 読売新聞朝刊
「死刑廃止論」を追う 国際的な潮流、議論も活発化(解説)
「死刑をなくして、代わりに終身刑をもうけたら」という議論が活発化しつつある。「凶悪事件が絶えず、死刑制度は必要」との根強い多数派の意見の一方、“人権先進国”の欧州からは今年中に死刑廃止に向けた対応をとるよう日本は求められている。廃止への「一里塚」として新たな立法案を次期通常国会までにまとめようという動きもある。
(解説部 菅野良司)
《経緯》
◆世論は存続派なお7割
「死刑廃止や執行停止を盛り込まず、新たに終身刑を新設するなんて、単なる重罰化だ。賛同するわけにはいかない」
先月二十一日、都内で開かれた死刑廃止を求めてきたNGO(民間活動団体)の合宿討論会で、こんな意見が強く出された。この十日ほど前、「死刑廃止を推進する議員連盟」の会長である亀井静香氏の私案が、日本弁護士連合会と同議員連盟との意見交換会で非公式に表明され、その内容が「死刑を存置したまま、仮釈放のない終身刑を導入する」というものだったからだ。死刑を残し終身刑を導入するだけでは、死刑判決が減るどころか、今まで無期懲役だったようなケースまでも終身刑が言い渡される事態が予測されるというわけだ。
死刑廃止の議論は、古い。日本でも、明治初期から議論はあったが、それは長く、立法府や世論の主流とはならず、戦後も一部の学者や市民運動家のものだった。今、なぜ、死刑廃止議論なのか。
一つは、国際的な潮流だ。戦後、人権思想の高まりから、国連自由権規約(一九六六年)で死刑廃止の方向性が示され、死刑廃止条約(一九八九年国連総会で採択、九一年発効、日本は未加盟)と続き、昨年六月には欧州会議(CE)議員会議が、CEオブザーバー国である日本と米国に対し「死刑の執行停止と、廃止に必要な段階的措置」をとるよう求め、二〇〇三年一月一日までにその実現に進歩が見られない場合、オブザーバー資格に異議を唱えることを採択している。
韓国では、死刑囚の経験のある金大中政権下、昨年、死刑廃止法案が国会に上程され審議中。台湾でも廃止を検討中という状況がある。
二つめに、与党内の動きと、昨年十一月から議員連盟会長となった亀井氏の影響力がある。九九年に公明党が「死刑廃止の検討」を基本政策に掲げ、一昨年には終身刑導入を検討する与党プロジェクトチームが発足している。亀井氏は、議員連盟の加入者を積極的に増やし、現在百二十二人に上っている。警察官僚OBながら、「冤罪(えんざい)の危険性は常に考えておくべきだ。死刑は取り返しのつかない刑罰」と度々表明している同氏は、「政治生命をかけて廃止に取り組む」とも話している。
その亀井氏が打ち出した「死刑存置のままの終身刑導入」は、「廃止へ向けた一里塚」とされる。自民党内には、世論も踏まえると現時点の死刑廃止は不可能との意見が強い。終身刑導入なら多くの賛同が得られ、死刑判決が次第に少なくなる効果がある、という現実的な法案の成立可能性を読み込んだものだ。
しかし、今年春に公表された浜四津敏子・公明党代表代行の案とは、死刑の執行停止を盛り込んでいない点などで、大きな違いを見せている。このほかにも、基本的には終身刑であるものの、仮釈放や恩赦制度の活用で刑務所から出られる可能性を残しておく案なども出ている。絶対的終身刑については「緩慢な死刑ともいえる刑で、死刑より残酷」「欧州各国では、すでに終身刑から有期刑へと流れが移っている」といった批判もある。
亀井氏は今年五月、議員連盟としての法案とりまとめのめどを「秋の臨時国会、または来年の通常国会」と発言したが、超党派の連盟であるだけに一本化は予断を許さない。「実質的な話し合いは、これから。まだ何も決まっていない」(保坂展人・事務局長)という状態だ。
死刑廃止議論の最大の壁は、死刑支持の世論だ。読売新聞の世論調査(一九九八年十二月)では、存置派が計72.5%と多数だ。五年ごとの総理府調査でも、一九五六年から一貫して存置派が約60%から70%台を占め、九九年九月調査では、過去最高の79.3%に上った。「地下鉄サリン事件など凶悪犯罪が相次いだことが影響している」とみられている。こうした調査には、同時に終身刑との選択的な質問がないなどの批判はあるものの、国民の多くが抱く凶悪犯罪に対する報復感情は大きな重みを持つ。
約三十年にわたって死刑問題に取り組んできた菊田幸一・明治大学教授は「世論を巻き込んだ議論を起こすことが大事。被害者感情を考えると、簡単に廃止や執行停止の合意は得られない。死刑廃止一本やりでは一歩も動かない。亀井案であっても、成立すれば廃止へ向けた一歩になる」と指摘する。国会内だけでなく、賛否両論からの長期的な国民的議論が必要だろう。
《世界の現状》
◆「全廃」欧で拡大、米は一部/「抑止効果」難しい評価
アムネスティ・インターナショナル日本によると、二〇〇二年一月現在、死刑廃止国は百十一か国。存置国は八十八か国だ。アムネスティは廃止国を三分類している。制度上あらゆる犯罪に死刑を適用しない全面廃止国、軍法や緊急事態下での犯罪以外には死刑を適用しない通常犯罪のみ廃止国、通常犯罪での法律上死刑があるものの過去十年以上執行停止されているなどの事実上廃止国の三通りで、それぞれ七十四、十五、二十二か国となっている。
主要国G8では、日本と米国が存置国で、欧州各国とカナダは全廃、ロシアは九七年以来執行停止され、昨年プーチン大統領が「死刑復活に反対」と発言していることなどから事実上廃止国とされている。
旧西ドイツでは、一九四九年の憲法(基本法)で死刑が全面的に廃止され、英国では一九五〇年代に死刑を執行された後に無実が判明する事件などがあり、段階的に廃止国となった。フランスでは八一年の大統領選で死刑廃止を公約したミッテラン氏が当選、廃止に踏み切った。
米国は三十八の州で死刑制度があり(うち六州で執行停止)、十二の州とコロンビア特別区で廃止されている。連邦政府としては死刑存置していたが、昨年まで三十八年間執行はなかった。昨年六月、百六十八人が死亡した九五年のオクラホマシティー連邦政府ビル爆破事件の犯人を公開処刑した。「米国は、連邦制度のため州の権限が強く、一国として存置国に位置づけるには無理がある」との見方もある。
最近の動きでは、死刑廃止がEU加盟の条件とされたトルコが八月に廃止法案を可決し、今月三日に死刑判決を受けたクルド人指導者を終身刑に減刑した。
二〇〇一年の世界の死刑執行数は、三十一か国で少なくとも三千四十八人。うち中国が少なくとも二千四百六十八人、イランで百三十九人、サウジアラビアで七十九人、米国で六十六人だった。
中国では、政府が治安維持に断固とした姿勢を国民にアピールする狙いから死刑判決、執行が相次いでおり、殺人など凶悪事件のほか、自治体幹部などの収賄、税金の不正事件などにも死刑が適用されている。
日本の死刑執行数は、一九五〇年代までは一年間に二、三十人台にのぼっていたが、一九七六年の十二人を最後に一けた台を続けていた。八九年十一月の執行から九三年三月まで約三年四か月、執行が途絶えた期間があった。死刑の執行には、法務大臣の執行命令書への署名が必要。この間には四人の大臣が就任しているが、在任期間が短かったり、宗教家で信念に基づき署名しなかった大臣もいたこと、皇室の慶弔があったことなどが執行されなかった理由とみられている。
死刑存置、廃止の議論は、世界各国で繰り広げられてきたが、対立点はほぼ同じだ。死刑の抑止効果をめぐって米国では、死刑のある州とない州での殺人事件の発生率などの比較調査研究も行われてきたが、有意な差はないとされている。しかし、「そもそも、死刑があるために犯罪を思いとどまったケースがカウント不可能なため、客観的な調査はできない」などの批判もある。
殺人事件の遺族が抱く加害者に対する報復感情は、死刑制度を支える重要な柱とされるが、「犯人には、生きて償ってほしい」とする遺族も少数ながらいる。一方で、遺族が無期懲役の判決に反発し極刑を求めるケースが多いのもまた事実だ。
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