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2001/03/21 毎日新聞朝刊
[再考・公共事業]第1部 ダムと干拓/1 川辺川補償案、59対40の裏
◇賛成・反対、まるでオセロ−−「民意をくめ」住民投票の動きも
 公共事業は今、悪者だ。利権の温床、無駄遣い、自然破壊など、さまざまな指弾の言葉が投げかけられる。国も見直しを始めた。だが、公共事業なしで地域の将来は語れるのか。川辺川ダム事業(熊本県)は地元漁協が漁業補償案を受け入れず、本体着工は見送られたが、流域自治体は推進姿勢を崩さない。諌早湾干拓事業(諌干、長崎県)も有明海のノリ不作問題で中断したが、県も諌早市も完成を強く求めている。九州の2大国営事業から公共事業の現実を探った。
 「委任状もらえんやろうか。私に任せてくれ」
 2月26日夕、川辺川ダム建設地の熊本県相良村に住む球磨川漁協総代(67)を、知人が訪ねてきた。反対運動をしていた男性だった。ダム建設に伴う約16億5000万円の漁業補償案の賛否を問う総代会は2日後に迫っていた。
 この総代はアユ漁をして数十年。補償案には反対だった。ただ昨年の大病で、体力的に総代会出席は無理だと思い、委任状を託した。男性は帰り際、こたつの下に手を滑り込ませた。後で見ると封筒があり、中に現金50万円。「賛成派に頼まれたに違いない」。翌朝、返しに行くと、男性は困った表情で「預かっておくで」と受け取った。
 男性は今、こう言うのみだ。「勘違い。賛成に回っとっとじゃなかろうかと。もうよか。せからしか」
 
 総代会で補償案を可決するには総代100人の3分の2(議長除き66人)以上の同意がいる。可決となれば国は3月中にダム本体工事を発注する手はずだった。だから、反対派も票の獲得に激しく動いた。
 戸別訪問して「記名投票で賛成すれば孫子の代まで『川を売った』と汚名が残る」「ダムで被害が出たら裁判だ」と迫った人もいた。人吉市の総代は「脅しまがい。つらかった」と言う。総代会前夜は容認派からの切り崩しを恐れ、反対の意向だった約30人を人吉市の旅館に集めた。
 票取りに動いたのは漁協関係者だけではない。相良村に隣接する山江村の久保田昇村長は反対派総代(45)の家に2度来て、洪水防止などダムの必要性を強調して「賛成に回ってくれ」と頭を下げた。
 人吉市の反対派総代(57)は建設業を営む弟から「賛成に回るよう兄貴を説得してくれ」と同業者に頼まれたことを知らされた。建設業に携わる総代の中には「反対すれば仕事を回さない」と言われて賛成した人もいたという。
 総代の家には全国の市民団体から「清流を売らないで」と訴えるはがきが舞い込み「賛成すれば『金目当て』と世論が非難する」との雰囲気を生んだ。
 そして、賛成59、反対40。補償案は否決された。
 「オセロゲームだった」と反対派の塚本昭司・前理事(56)。賛成、反対は次々入れ替わった。「いろんな圧力で、組合員が素直に意思表示できる状況になかった」
 
 「地域には、いろんなしがらみがあり、意見をはっきり出す機会がなかった」
 今月9日「人吉市の住民投票を求める会」の発足会見で、工藤益雄会長(74)はダムの賛否を問う住民投票条例の目的をこう語った。川辺川・球磨川流域の19市町村はすべてダム推進。元獣医で町内会長も務める工藤さんは「住民の意見の正しい反映なのか」と言う。「住民投票をすれば反対意見が多いはずです」
 球磨川下流の坂本村では既に住民有志が同様の活動を展開、村長への直接請求に必要な有権者の50分の1以上の署名を集めている。
 諌干への民意はどうか。長崎県が昨年10月に実施した県政世論調査(県内有権者3000人対象、回答率65%)では「力を入れてほしい」が33.5%、「あまり力を入れる必要はない」は56.8%だった。
 国が公共事業推進の根拠とする「地元の要望」。その中身が問われている。=つづく(次回から社会面に掲載)
 
 
 
 
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