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ミズンマスト(後檣)と、その前に配置された舵輪やコンパス
 
甲板上でハンモックを洗う水夫たち、食料となる小動物の姿も見える
 
(1)艦暦
 1850年(嘉永3)12月24日にアメリカのフィラデルフィア海軍工廠(こうしょう)で完成しました。完成時点ではアメリカ海軍最大の蒸気軍艦でした。完成後直ちに東インド艦隊に配属され、ペリーの日本遠征に参加しました。1856〜58年(安政3〜5)、1860〜61年(万延元〜文久元)には地中海艦隊に配属されました。1861〜65年(文久元〜慶応元)の南北戦争では北軍所属の軍艦として活躍しました。
 戦争が終了してから、スクリュー推進艦に改造する工事に取り掛かりましたが、南北戦争終了後に実施された海軍艦艇の大幅削減の影響を受けて途中で建造中止となりました。1868年(明治元)には軍艦籍から除外され、また1883年(明治16)に売却、解体されました。
(2)艦種
 艦種は「木造外車フリゲート」です。船体構造は木造ですが、船側の外板、肋骨は鉄の斜材で補強されていました。“サスケハナ”は排水量から見たら確かにフリゲートの大きさですが、積んでいる大砲の数が9門で、この点からスループであるという意見がアメリカの文献で見られます。一般にフリゲートの備砲の数は20〜40門位なので、これも一つの見方でしょう。
(3)主要寸法
 主要寸法については文献によって少しずつ異なりますが、ここでは船の科学館が所蔵している“サスケハナ”に関するアメリカの公文書に記載されている数値によることにしました。それによると次のようになっています。
長さ(喫水(きっすい)18.5フィート(5.64メートル)における喫水線の長さ)
250フィート(76.20メートル)
全幅 45フィート(13.72メートル)
深さ(ホールド)
26.5フィート(8.08メートル)
喫水 19.5フィート(5.94メートル)
となっています。主要寸法について少し補足説明をしましよう。
 まず長さですが、船の長さと言っても計る場所によってかなり異なります。この当時の船の長さは上甲板の長さ、または垂線間長(次の“ミシシッピ”の解説を見てください)を取るのが普通ですが、“サスケハナ”の場合は少し変わっていて喫水18.5フィート(5.64メートル)における喫水線の長さを長さの定義としています。
 全幅は船の最大幅の箇所で、左右舷の外板の外面間の距離です。幅の定義としては外板の内面間の距離とする場合もあります。この値を型幅と称しています。他の文献を参照すると型幅は44フィート(13.41メートル)となっています。全幅と型幅の差の1フィート(0.30メートル)は外板の合計の厚さということになります。深さの定義で「ホールド深さ」というのは現在では全く使用されていませんが、当時は船の深さといえばこの「ホールド深さ」を意味するのが普通でした。これは船倉の敷板の上面から上甲板までの距離のことです。
(4)トン数
 トン数は既に述べたように満載排水量は3,824トン、bmトンは2,450トンです。排水量3,824トンという値は1845年(弘化2)に完成したイキリス海軍最大の外車フリゲート“テリブル”の3,189トンをかなリ上回るので、完成した時点では世界でも最大級の外車フリゲートであったと思われます。
(5)帆走装置
 帆走装置は3本マストのバーク型です。バーク型というのは図でわかるように前部と中央のマストには横帆を張り、最後部のミズンマスト(3本マストの最後部をこう呼びます)には縦帆を張った帆走装置で、当時の蒸気艦ではよく使用されたタイプです。帆の総面積は1,970平方メートルあり、帆走装置の性能は良好であったと言われています。
(6)推進装置
a 推進装置の概要
 推進装置は解剖図に示したようにボイラ、蒸気機関、外車で構成されています。石炭を燃やしてボイラの水から発生した蒸気はパイプによって蒸気機関に導かれ、蒸気は蒸気機関のシリンダ内のピストンに往復運動を与えます。蒸気機関はこの往復運動を回転運動に変え外車の駆動軸に動力を伝えます。仕事が終わった蒸気は復水器に導かれ、海水を注入して蒸気を冷やし元の水に戻します。水はポンプでボイラに送られ再びボイラ水として使用されます。
b 蒸気機関
 蒸気機関は斜動式(しゃどうしき)というタイプで解剖図で判るように、滑り台のような鉄製の台の上にシリンダが乗っており、シリンダ内のピストンの運動はピストン棒とそれに連結している連接棒(れんせつぼう)で外車の軸を回すようになっています。シリンダの直径は70インチ(178センチメートル)という大きなもので、ピストンが動く距離(ストロークといいます)は10フィート(3.05メートル)あります。このような蒸気機関が左右に1基ずつあります。
 この蒸気機関は何馬力だったのでしょうか。蒸気機関の馬力の単位は図示馬力で表されます。これはシリンダ内の蒸気圧力の変化を計測してグラフに書かせ、この図から馬力を計算するのでこの名称が付けられています。図示馬力は英語でIndicated Horse Power略してIHPというので、馬力を示す数値の後にIHPを付けて図示馬力であることを示します。“サスケハナ”の場合この図示馬力が795IHPでした。この図示馬力とは別にこの当時の蒸気機関では公称馬力という馬力の呼称がよく使用されました。英語でNominal Horse Power略してNHPといいます。公称馬力はシリンダの断面積とピストンのストロークからある一定の算式を使用して計算される馬力です。シリンダの断面積とストロークが同じであれば蒸気圧に関係なく皆同じ馬力になります。“サスケハナ”の公称馬力を前述のシリンダ直径70インチ、ストローク10フィートから計算すると420NHPになります。
c ボイラ
 ボイラは銅製の煙道式が4基搭載されていました。煙道式というのはボイラの水の中を煙と燃焼ガスを導く煙道が折れ曲がって通っており、煙道の周りのボイラ水に熱を伝える構造になっています。ボイラの材料が銅というのは意外に思われるかも知れませんが、この頃は蒸気圧力も1キログラム/平方センチメートル以下という低圧であったのでボイラに強度をそれ程持たせる必要もなく、それより腐食(ふしょく)に強い銅製が鉄製より好まれたのです。この時代のボイラ水は海水でした。びっくりするような話ですが本当です。ボイラ水は、火で加熱されますから段々海水の塩分が濃くなってきます。このため時々濃い塩水を捨てる必要がありました。それでもボイラは腐食するので何年かたつと新品に交換する必要がありました。鉄製のボイラは3〜5年しか持ちませんが、銅製のボイラは10年近く使えるので、材料の値段は高くても結局得になると考えられました。しかし蒸気の圧力が高くなると銅では強度が足りないので、鉄製にする必要がありました。なお“サスケハナ”のボイラの圧力に関する文献は見当たりませんが、同じ時期に建造された類似船のデータから類推すると、12ポンド/平方インチ(0.84キログラム/平方センチメートル)位であったと考えられます。
 燃料は石炭ですが、石炭庫の容量900トンで、蒸気機関やボイラの周辺に配置されていました。
 
“サスケハナ”装帆図
 
 
蒸気フリゲート“サスケハナ”の各デッキ配置図
 
上甲板(ガンデッキ)
(拡大画面:66KB)
(1)バウスプリット(斜檣)
(2)前部旋回型砲用円形レール
(3)フォアマスト(前檣)
(4)キャプスタン
(5)載炭口
(6)石炭庫扉
(7)ボイラ室扉
(8)調理室扉
(9)ビット
(10)煙突
(11)メインマスト(主檣)
(12)機関室扉
(13)下士官用扉
(14)後部キャプスタン
(15)士官用扉
(16)舵輪
(17)ミズンマスト(後檣)
(18)昇降口
(19)天窓(スカイライト)
(20)後部旋回型砲用円形レール
 
第2甲板
(拡大画面:50KB)
(1)錨鎖用ビット
(2)キャプスタン
(3)調理室
(4)側炭庫(サイド・バンカー)
(5)船匠及び掌帆長室
(6)機関士補室
(7)機関長室
(8)下士官食堂
(9)水夫長及び掌砲長室
(10)医務室
(11)士官候補生室
(12)マスター室
(13)主計官室
(14)軍医室
(15)海兵隊士官室
(16)牧師室
(17)士官食堂
(18)天窓(スカイライト)
(19)パントリー
(20)1等尉官室
(21)2等尉官室
(22)3等尉官室
(23)4等尉官室
(24)軍医補室
(25)艦長室
(26)司令官/艦長用パントリー
(27)艦長便所
(28)司令官/艦長公室
(29)司令官室
(30)司令官更衣室
(31)司令官便所
 
第3甲板
(拡大画面:47KB)
(1)塗料庫
(2)倉庫
(3)索具庫
(4)パン庫
(5)火薬庫扉
(6)砲弾庫扉
(7)水タンク庫扉
(8)倉庫
(9)帆倉庫
(10)石炭庫
(11)錨鎖庫
(12)ボイラ(4基)
(13)側炭庫(サイド・バンカー)
(14)機関室
(15)機関部品庫
(16)錨鎖庫扉
(17)帆倉庫
(18)水タンク庫扉
(19)パン庫
(20)酒庫扉
(21)士官用荷物庫
(22)火薬庫扉
(23)ランプ庫扉
 
※各デッキの配置図は、一部推定を含みます
 
d 外車
 船体中央の左右舷に各1基の外車が装備されており、蒸気機関で外車を回すことにより船を動かします。外車の直径は31フィート(9.45メートル)で1分間に12回転というゆっくりしたスピードで回ります。外車の先にはフロートと呼ばれる水かき板が取り付けられていて、これが水をかいて船を動かします。蒸気機関を止めて帆だけで航走する時には、この板をそのままにしておくと水の抵抗で速力が落ちるので、これを取り外しますが、この作業は好天の時しかできません。また時間も2、3時間かかるので、“ミシシッピ”の日本までの航海記録を見ても完全帆走というのは少なく、汽走と帆を併用して走ることが多かったようです。「日本遠征記」に出ている“ミシシッピ”の絵を見てもこのことがわかります。
 なお、ペリーの「日本遠征日記」によるとイギリスの軍艦は外車の軸と蒸気機関の駆動軸の間を簡単に脱着できる装置がついており、わずか2、3分で外車を遊転(ゆうてん)させることが可能で、水かき板を取り外さなくても済むようになっていました。







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