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宇和海2 宇和島
イワシ漁と肥料のこと
宇和海のイワシ漁・船引き網の操業
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●船引き網
 1回の船引き網でとれるイワシは、大きな地引き網ほどではないが、さまざまな工夫で漁獲を上げていた。
 
 
●「イワシ」の種類の見分け方
 刺し身で食べるイワシはマイワシ、煮干しはカタクチイワシが多い。背びれと腹びれの位置で3種類のイワシを見分けることができる。
 
●宇和海のイワシ漁
 イワシは全国に分布しているが、産卵する場所は九州の周辺など南の海が多い。宮崎沖で生まれたイワシの一部は、えさを求めて瀬戸内海に入ってくる。宇和海は昔からイワシの代表的な漁場の1つであった。
 イワシは岸に近いところで産卵するし、産卵期でなくても朝夕には岸近くに寄る習性がある。岸に寄ったイワシの大群を見つけて、網で囲んで陸に引き上げるのが地引き網。したがって地引き網は砂浜の漁法であり、岩場では網が引っかかってしまう。ところが宇和海の周辺は岩だらけ。そこで始められたのが、船を縄(なわ)で磯(いそ)に固定し、船を浜にみたてて網を引く船引き網という漁法だった。
 
●イワシは肥料に
 イワシは化学肥料が普及する以前(昭和のはじめ頃まで)は、農業で使われる貴重な肥料だった。漁業の技術が向上して漁獲が増えると食糧以外の用途が開発されていった。魚を加工した肥料を魚肥(ぎょひ)とよぶが、魚肥はイネ、木綿(もめん)、アイ(染料)、菜種(なたね)(油をとる)、ミカンなどの高く売れる作物に使われ効果をあげていた。
 とくに木綿は糸にして布に織られ、アイ(染料)で染められ衣類からふろしき、てぬぐいなどの布製品になり、人びとの暮らしを豊かにしていった。さらに魚をとる網にも使われ、じょうぶな木綿の網は漁獲高を急増させた。イワシは農産物にも漁業にもかかせない魚であった。
 
瀬戸で囲まれた瀬戸内海
 
 
 
潮位グラフ(2003年9月の予測値)
潮位は各地の基準面表示
-----線は東京湾平均海面との比較
 
潮位測点と日本の海流
 
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●瀬戸内海の海底地形と潮流
 大小多くの島からなる瀬戸内海は、潮流の影響を受けて、変化に富んだ海底地形をつくりだしていて、島じまで囲まれたいくつもの内海(灘(なだ))からなりたっている。
 瀬戸内海に流れ込む潮流は黒潮の支流。潮流は満潮(まんちょう)と干潮(かんちょう)を2回ずつ、1日に4回、流れの向きを変える。この潮が島と島の間を通るとき、流れはせばまり速くなる。ここを瀬戸とよぶ。
 瀬戸内海には多くの瀬戸があり、瀬戸の速い潮流は、魚のえさとなる生き物を海底から掘りおこすのである。瀬戸のまわりには多くの魚が集まり、島かげがすみかになる。瀬戸は船にとっては難所であるが、豊かな漁場なのである。
 
●潮の満ち引き
 瀬戸内海に流れ込む潮流は瀬戸にさえぎられ、その結果、干満(かんまん)の差が大きくなる。1日に3m以上も海面が上下することがある。一方、黒潮の影響を受けにくい日本海では、干満差が30cm前後のところが多い。
 
●海釜という深い穴
 佐賀関(さがのせき)半島と佐田岬(さたみさき)半島の間は速吸瀬戸(はやすいせと)とよばれ、時速9kmをこえる速い潮が流れている。岬は中央構造線の岩盤であるが、潮の干満によって前後の海底が掘られて深い穴があいている。北側の穴の深さは-460m、南側は-360mある。このような穴を海釜(うみがま)という。よくみると、あちこちの瀬戸に小さな海釜がたくさんできている。







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