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浦賀水道 横須賀
江戸の玄関
 
 
●浦賀船番所と港の出入り
 東京湾に出入りする船は、今も昔も浦賀水道を通らなければならない。水道は東岸の千葉県側は浅く、かくれた岩礁もあるため、和船は西寄りを通っていた。
 江戸時代の後期、この西岸の入江の村に浦賀奉行所(うらがぶぎょうしょ)があり、浜には船番所が置かれていた。江戸に出入りする船は、この番所で必ず検査を受けなければならなかったのである。明治の初めごろ、1年間で1万隻もの船が通過していたという。当時、港に着いた船は、今日のように岸壁に直接船を着けることはなかった。昔の日本の港はどこも浅い海岸であるため、大きな帆船は沖にとどまり、小舟が荷の積み降ろしや大船の出入りを助けていたのである。
 
●ペリーの来航と動力船
 江戸時代の終わりに、人びとを驚かせたのは、アメリカのペリー艦隊来航であった。見たこともない巨大な黒船(異国船)が、風も吹かないのに黒煙をはきながら動きまわるからである。それまでの帆船の常識をくつがえすものであった。
 人びとは動力船にあこがれ、その思いが明治の近代化に引きつがれ、浦賀や横須賀に造船所や製鉄所が築かれ、都市近郊の湾岸が工業地帯へと発展していった。
 
江戸時代の航路と明治以降の埋め立て
図の青い部分が明治以降の埋立地。沖にでるほど広くて深い港がつくれ、大きな船が入港できる。
 
世界周遊日本の旅
(ペリー肖像:銅版画)
神奈川県立歴史博物館蔵







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