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■神奈川県・静岡県 横浜市〜横須賀市〜三浦市〜伊東市〜下田市〜富士市
■実施日:平成15年(2003年)11月13日(木)〜16日(日)晴れ
■コース:横浜市子安〜マリンポートコチヤ(横須賀市)〜うらり(三崎漁港)前ゲストバース(三浦市)〜伊東サンライズマリーナ(伊東マリンタウン内)〜下田港〜田子の浦漁港(富士市)
■主催:富士市、日本ぐるっと一周・海交流実行委員会
■賛同市町村:横須賀市、三浦市、伊東市、下田市、富士市、南アルプス市
■使用艇:プログレス(辻野圏輔船長)、飛祥(望月将一郎船長)、よねきゅうすぴりっと(小林平八郎船長)
 
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■いきさつ
 駿河湾については以前から清水市が大変熱心で、合併前の宮城嶋市長ともご相談の上、清水港を終点に東京湾から船を出そうということになっていました。
 この海交流については、外部の専門家にお任せしていたのですが、調整が進まないうちに時間が無くなってしまい、急遽地域交流センターがお手伝いすることになったものです。
 そこで急遽かねてからお付き合いのある富士市に協力をお願いしました。
 富士市は一昨年新しい市長になって大変連携にも関心を持ち始めています。
 また当市については以前から新富士駅周辺再開発構想のお手伝いをしたり、その中で市民の環境調和型まちづくり運動推進組織としてふじ環境倶楽部を立ち上げたり、新市長になってから市長の要請で、昨年「コミュニティシンクタンクふじ」を立ち上げたりしていましたで、地元のキーパーソンや市役所の方々とも馴染みがあったので、話は急でしたが快く乗っていただいた次第です。
 たまたま富士市は観光基本計画を市民参加型で実施中で、これにも委員として参加させていただいたため、計画の中に海の駅を核とした田子の浦海交流拠点整備構想も盛り込まれ、その実践版としても駿河湾海交流はタイミングが良いという事になりました。
 このコースは辻野さんのヨットが動くこととなり、横浜から出て横須賀、三浦、伊東、下田、富士とたどりました。
 横須賀はなんと言っても造船と港の町で海には関心の高い都市で、親書交換には快く応じていただきました。
 三浦はかつて1990年に行われたサーフ‘90事業で海業公社を立ち上げ、ゲストバース付きの海交流拠点「うらり」も整備されていますが、その活用が課題になっていること、来年度の「ゆたかな海づくり全国大会」が神奈川県であるということもあって、タイミングよく応じてくれました。今年来年の取り組みが期待されるところですが、県の対応がどうなるか見守るとともに働きかける必要があります。
 伊東市は夏お台場でのスタートの時期に温泉のお湯を持ってきてくださったいきさつもあり、伊東海中観光の森さんが呼びかけた地元の方々との交流もできました。
 下田は今年ペリー来航150周年ということで、すでにプレイベントに入っており、職員の方々も多忙で、当方の海交流事業との連携は十分にできませんでしたが、親書は後日郵送でいただきました。
 最後の富士市では、中部西関東市町村地域連携軸協議会市町村との連携も視野におきながらの交流を進めようということで、山梨から子供たち(田富自然体験倶楽部)も参加、乗船体験をしたり、地元特産のしらすでおにぎりを作ったり、地元ふじ環境倶楽部の案内で富士市内を流れる、かつてヘドロで汚染されていたが市民の手で清流を取り戻したという田宿川の環境視察に行った。
 富士市からは答礼として、今年3月の南アルプスインター開通式に、地元の芸能チームを派遣することになっています。
 なお富士市は今年はもっと準備をして盛り上げようということでコミュニティシンクタンク富士と環境ワークショップメンバーが、てぐすねをひいて待っています。
 また副産物として、辻野さんが進めておられる「銀河丸プロジェクト」の受け皿にも名乗りを上げることになりました。
 
■行程
11月13日(木)
5:30 横浜(子安)出港
8:30 マリンポートコチヤ(横須賀市浦賀)横須賀市親書受取
10:00 うらり前ゲストバース(三浦市三崎)三浦市親書受取
14:00 伊東サンライズマリーナ(伊東マリンタウン内)
18:00〜21:00 交流会(伊東マリンタウン内伊豆高原ビール)
11月14日(金)
6:30 伊東出港
9:00 下田
15:00 安良里
16:00 戸田
11月15日(土)
15:00 田子の浦漁港
キックオフフォーラム(富士市)
交流会(金丸水産)
11月16日(日)
9:30 集合(田子の浦漁港)
10:00〜11:30 体験乗船
11:30〜13:00 シラス漁のお話、シラスおにぎり作り
13:00〜15:00 富士市内環境視察
 
■田子の浦漁港の概況
 「田子の浦ゆ 打ち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」と万葉の歌人にうたわれたように、富士市の歴史は古い。
 田子の浦港は、古くは「吉原湊」と呼ばれ、鎌倉時代には、吉原湊(現在の田子の浦港)の東側に「見付」がつくられ、交通の要衝としてにぎわいました。江戸時代には、東海道五十三次の吉原宿と吉原湊を中心に発展してきました。
 海岸部には、切れ目なく続く松林と、南に広がる駿河湾の間に国内で最も高い防潮堤が延びています。この地域は急深な駿河湾に南向きに面しており、昭和41年9月の台風26号による大きな被害の教訓から、基準となる東京湾の平均潮位からの堤防高が17メートルある大堤防が造られました。総延長も沼津市までの十四キロに達する道路状の頂上部では近くの人が散歩をするなど、和やかささえ漂うところです。また、現在は国際港として外国船の出入りも多く、富士市の産業を支えています。
 田子の浦漁港は港の西側に位置し、シラス漁で有名です。シラス漁は、春と秋の年2回のシーズンで行われています。9月には「田子の浦漁港しらす祭」が行われます。
 
 
 
■伊東サンライズ・マリーナの概況
 伊東市は静岡県伊豆半島東海岸のほぼ中央に位置し、相模湾に面しています。気候は、四季を通じて温暖であり、市中央部を流れる伊東大川沿いには800余の温泉井があるため、古くから温泉旅館等が数多く建ち並ぶ伊東温泉を形成しています。また、市南部には、絶壁海岸の城ヶ崎海岸があります。
 「伊東」の地名は、「湯いづる国=伊豆国」の東部にあることに由来するといわれています。英国人ウイリアム・アダムスによる日本初の洋式帆船建造など幾多の歴史があります。
 太平洋・相模湾を望む、温暖な気候に恵まれた伊豆半島。その東に位置する伊東サンライズマリーナは、抜群のロケーションを誇り、新観光拠点である「道の駅伊東マリンタウン」の中心となるマリーナです。都心のマリーナと大きく異なるのは、海がきれいなこと、そして温泉があること。相模湾全域から、伊豆七島、西伊豆とロングクルージングに最適なロケーション。マリーナを出れば、そこはすぐフィッシングポイント・セーリングポイントです。潮風にあたり、ゆったりとした時間を感じ、マリーナテイステーを満喫できます。
 
 
■浦賀マリンポート・コーチヤの概況
 横須賀市は、中央部にある大楠山・武山を中心とした複雑な丘陵が海岸に迫り、市域内の平坦地は少ない。東京湾側には重要な港湾施設が多く、相模湾側は風光明媚な海食地帯、砂浜、岬などにより構成されている。気候は温暖で、澄んだ空気と豊かな緑に包まれている。
 中世に源頼朝が鎌倉に幕府を開いてからは、浦賀は港として重要な役割を果たすようになった。近世になり、家康が江戸に居城を移してからは、家康は浦賀の港を貿易港として利用。その後、江戸の発展にともない、全国から江戸へ向けて船が来るようになると、享保5年(1720年)下田から浦賀へ奉行所を置き、江戸へ出入りする船すべてを検査するようになった。江戸時代も終わりに近づくと浦賀沖に黒船が姿を見せるようになり、鎖国政策を取っていた我が国にとり、江戸を守るため浦賀奉行所に海防の役割が加わった。
 マリンポート・コーチヤは、よく保全された自然林で木々の種類が豊富なために県指定記念物となっている明神山の裾野に位置します。海上バースと120艇収容可能な陸上バースを持ち、2階には青く美しい太平洋を一望できるレストランがあります。
 
 
■うらり(三崎漁港)ゲストバースの概況
 三浦市は、神奈川県三浦半島の最南端に位置し、三方を海に囲まれ温暖な海洋性気候で、海岸線は約50kmです。その一部は海水浴場として適しているが、大半はリアス式海岸線で、美しい入江を形づくっています。蒼い海と豊かな緑、そして輝く太陽に恵まれています。
 江戸時代には、地理的条件に恵まれ、江戸の繁栄とともに栄えました。その後、黒船が渡来するに至って、彦根、長州、熊本などの各藩が相次いで警備にあたり、当時、この警備を行った海防陣屋は、現在の南下浦市民センターの所です。
 また、次第に海上交通が発達し、城ケ島の東端、安房崎に警備用の「のろし台」が設けられ、その地に、“お備場”(砲台)が造られました。その後、今の灯台の位置に灯明台が建ち、ここに明治になって現在の城ヶ島灯台が建設されました。
 三崎漁港には、入港するプレジャーボート・ヨットと漁船とのトラブルを防止し、漁港の秩序維持を図るため、プレジャーボートの一時係留のためのゲストバースを2箇所設けています(もう一方は「みうら・宮川フィッシャリーナ」)。そのうちの一つがこの三崎漁港ゲストバースです。
 
 
■下田港の概況
 下田市は、伊豆半島の南東部に位置し、27kmにも及ぶ変化に富んだ海岸線は、黒潮のため四季を通じて温暖で、花卉、柑橘栽培に適し、水産資源も豊富です。市の中心街は、稲生沢川下流地域に広がり、河口にある下田港は深い谷間が陥没してできた天然の良港で東西海路の中で重要な位置を占めています。
 安政元年(1854年)黒船を率いたペリー提督来航による下田開港、了仙寺において下田条約の締結、プチャーチンによる日露通好条約締結、日本最初の米国領事館設置など、近代日本の幕開けとなった幕末外交上の出来事が下田を舞台に繰り広げられました。安政6年(1859年)には、横浜開港に伴い下田開港は閉鎖され、衰退したが明治に入り石材、薪炭、糸繭等の拠出港として復興に向い、その後、昭和初期まで風待ち港町として栄えました。
 1854年、ペリー艦隊の入港、碇泊により、わが国最初の開港場となりました。吉田松陰が金子重輔とペリー搭乗のポーハタン号に乗りつけ、便乗を懇願し拒否されるという、幕末開国の舞台ともなりました。港内には黒船を型どった遊覧船が就航し、石廊崎、伊豆七島への船も出ています。黒船祭には花火大会の舞台となり、漁船の基地としても有名です。
 下田の「黒船まつり」は5月、ペリーの黒船来航を記念して毎年行われる国際色豊かな祭典です。開国記念碑前での式典、米海軍音楽隊を先頭にしたパレード、花火大会など多彩な行事が繰り広げられます。
 







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