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■福岡県・長崎県 福岡市〜唐津市
■実施日:平成15年(2003年)10月11日(土)晴れ
■コース:マリノア(博多湾)〜唐津港(海が荒れたため能古島まで航行)
■主催:玄界灘・海交流会
■協力:福岡県セーリング連盟、福岡市、唐津市、福岡県、中村学園大学、サロン・ド・フクオカ、筥崎公会堂
■使用艇:ウラン(日高繁義艇長)、シルビア(氷室謙一郎艇長)、麻里絵(平嶋哲夫艇長)
 
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■いきさつ
 福岡で海交流について船の方の手配は、マリノアの支配人、岩本雅博さんにお願いした。東京の日本舟艇工業会の石渡さんがヤマハの出身であり、福岡ヤマハに相談した上で、岩本さんを紹介してもらったのである。岩本さんは趣旨について快く理解し、ヨット関係者・モーターボート関係者、船の所有者を紹介してくれた。海交流の当日3艇の船を出してもらった。その船の名前が「ウラン」、「シルビア」、「麻里絵」である。
 さて、乗船者のメンバーであるが、福岡は大きい都市であり、乗船メンバーを探すのはなかなか困難なことであったが、地域交流センターの田中が以前から知り合いであった中村学園大学教授の山田達夫先生に相談した。中村学園大学は教員養成のための学校であり、福岡では老舗の学校である。山田先生はすぐさま生徒たちに相談したところ、たくさん乗船したいと要望があったようだが、10人程度に留めてほしいと要望した。他方で、「人の駅」を標榜して市内で若手の人のサロンを作っており足立仁さんが、そのメンバーに声を掛けた。この結果10月11日の乗船日に30人が集まったのである。
 なお、福岡での海交流は、当初博多湾から唐津までのルートを予定していた。そこで唐津市については、唐津市の総務部長の山下さんに博多と唐津の交流を考えましょうということで呼びかけた。唐津まで行きたいということで、唐津市役所の山下部長の紹介を受け、山下部長も大いに関心を持ち、「博多から唐津までくるようであれば、出迎えをしましょう」ということになった。(実際には当日は風が強く、外洋の波が高かったため、唐津への航行は中止となった)運航日の当日、唐津の山下部長は唐津港でわれわれの船を出迎えてくれる予定であったが、あいにく当日は風が吹き、外洋は荒れてるということで、博多湾内での航行となり、唐津まで行くことはできなかった。
 福岡には港として、ヨット中心の小戸港、モーターボートが多く入っているマリノア、及び漁船がいる箱崎港がある。昨年度は箱崎港の石松二三男さんという船舶免許の取得に関わる事業を実施している人と知り合いになり、数人の仲間と博多湾のナイトクルーズを行った。
 今年平成15年度はその活動を広げたいと思い、東京のヤマハ関係の人に相談した。そこで紹介されたのがマリノアのマリーナの支配人である岩本雅博さんである。岩本さんに趣旨を説明したところ、大いに結構ということで、船を出してくれるオーナーを探してくれることになった。結果として船3艇を確保することができた。
 (山田先生は文部省国立教育研究所の研究員であった)現在、中村学園大学の教授に転任しておられる山田さん相談したところ、「それは大変面白い。私も大いに関心がある。生徒にも声をかけてみましょう。」ということであった。
 
■行程
9:00 集合(マリノア)
9:30 出港
11:00 唐津到着、海体験
12:00 唐津発
13:30 マリノア着
14:00 交流会
16:00 解散
 
■博多港の概況
 福岡市は、東アジアの主要都市(釜山、ソウル、上海、北京、台北など)までの距離とほぼ同じ範囲内にあるため、国際線の定期航空路も多く、韓国、中国を始め、アジア諸国との交流には最適の位置といえます。
 北は玄界灘に臨み、海の中道と糸島半島によって仕切られた博多湾を擁し、南は背振山地、東は三郡山地に囲まれた半月型の福岡平野に位置しています。博多湾に注ぐ川は、多々良川、那珂川、空見川など数多くあるが、いずれも中小河川です。気候は年平均17.2℃と比較的温暖です。
 水産業では玄界灘や博多湾で多種多様な魚介類を生産し、水産加工業もさかんに行われています。また、博多漁港の水産物取扱金額は全国一です。
 マリノアは総面積9.6ha、収容隻数870隻という日本最大を誇るマリーナ。博多湾は、季節風や潮流の影響を受けにくく波も穏やかです。(http://www.marinoa.co.jp/port/marinoa/参照)
 
 
■唐津港の概況
 唐津市は九州の西北端にあり、玄界灘に面し、海岸線に沿って発展した城下町です。唐津湾の鳥瞰は、弓状の延長5km及ぶ虹の松原、白砂の海岸、限界の青い海、広がる海には高島、神集島そして福岡県の姫島、小呂島などが点々と浮かび、南西部は上場地帯と呼ばれる玄武岩台地、市の中央には歴史的ロマンを秘めた松浦川が流れ、自然の美しさに恵まれています。
 神功皇后の三韓渡航や、松浦佐用姫と大伴狭手彦のロマンスなど、古代の史実伝説の豊富な唐津、松浦の一帯は、われわれの遠い祖先が住んでいたときの石器・土器・古墳などの遺跡が数多く発見されています。縄文文化時代を経て、弥生、古墳時代になると、当地がアジア大陸への最短海上路線にあたるため、古代日本と古代中国大陸、朝鮮半島との交流の門戸となっていました。これは、紀元300年の中期に中国の史書「魏志倭人伝」に末盧国(まつろ)すなわち“まつら”の名が初めて史記されており、のちに中国の唐朝との交易が始まり「唐に渡るみなと(津)」として、唐津の地名が生まれたといわれています。
 唐津港は、古くから石炭の積み出し港として栄え、日本経済の進展に重要な役割を果しました。その後、電力、石油等の基幹産業が進出し、現在は物流及びエネルギー基地として発展していますが、今後は国際旅客船ターミナルの整備や、大島運河を中心とする唐津港ウォーターフロント整備を図ることとしています。アトランタオリンピックのヨット競技、女子470の銀メダリスト重由美子さんがヨットの体験教室をひらいています。(http://www.pa.qsr.mlit.go.jp/karatsu/site/03-1.ht参照)
 







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