第1節 地方分権を中心とした行政改革―法制度の整備
現在の地方分権の潮流は、新地方自治法(1990年6月8日142号法)に端を発する。同法は、地方自治体の機能を新たに定義、またその構造およびマネジメント・スタイルを刷新し、イタリアの地方分権化の基礎となっている。同年90年の241号法はまた、行政手続き上の改革、および行政情報の公開、それへのアクセスなどの基礎を定めたが、これはいずれも後にバッサニーニ法に継承され、その中核をなすものとなっている。さらに90年142号法は98年6月16日191号法、および99年8月3日265号法によって、地方自治体の位置づけ、自治権の拡大、住民参加制度、情報へのアクセス権、地方自治体内の分権化(コミュニティ行政)、権限の委譲、大都市圏の定義および権限などについて修正され、また、2000年8月18日267号委任立法(decreto legislativo, D.LGS.)によって集大成され、さらに2001年10月18日3号憲法改正法(legge Costituzionale, L. Cost.)によって州が地方自治体として位置付けられ、今日に至っている。
まず、イタリアにおいて新たな地方自治の時代の幕開けを飾った90年142号法を、その背景である地方行政の歴史の中で論じる。同法は、戦後イタリアにおける地方行政の思想的、制度的、そして社会的な変遷の過程において、その伝統的な地方分権化の流れを踏襲しつつも、急速な都市化や広域行政の展開などの新たな現実に対応する画期的な試みを示唆し、また、90年代の政治・行政改革の先駆的存在としての意義をも有する。
90年142号法(Legge 8 giugno 1990, n.142)は、1990年6月8日に可決された、基礎自治体コムーネ(comune)と県(provincia)の新しい位置づけを規定する地方自治法である。『コムーネおよび県に関する新法―地方自治体法』(il nuovo ordinamento dei comuni e delle province, Ordinamento delle Autonomie Locali)には、これら自治単位の位置づけ、機能が定義され、地域と都市に関するマネージメントの権利が完全に地方公共団体に委譲された。
成立当時の諸勢力による政治的な妥協の産物であったことから、きわめて広汎にわたる内容が盛り込まれたが、すべて地方自治を促進するという目的に向けられたものである。その点では、地方自治の促進に有効であると考えられる、政治的・経済的・社会的・地域的・技術的な要素を列挙した、統括的な性格を有している。
その革新的な性格、意義は、主として以下のような諸規定に集約される。地方自治体に条例制定の権利と義務とが付与されたこと、これまで、制度化されてはいたものの、中央から派遣される県知事の存在、組織的な脆弱さによって軽視されてきた県を、行政の一つの主体的な単位として積極的に再評価したこと、広域行政や大都市行政の展開などの現実に注目し、大都市圏を創設したこと、広域行政を中心とし、複数、多数の主体が関与する行政過程の手続きを効率化するため、プログラム合意制度が導入されたこと、地方自治体の行政行為に対する監査、統制が大幅に縮小されたこと、である。
同法は自治体行政に対するコントロールを画期的に削減し、行政過程の簡素化に成功した。規定の中には、実行に移されることなく後続の法律によって改変されたものも少なくないが、イタリア地方自治の思想的な要素に対する同法の貢献は無視できない。
92年に始まった構造的政治汚職の摘発と『きれいな政治』の試み、選挙制度改革、戦後政党政治をリードしてきたキリスト教民主党(DC)の崩壊と敗北、イタリアの三分割、連邦化を唱える右派、北部同盟(Lega Nord)、多くの旧勢力がアイデンティティを確立できない中、不況、失業問題、移民の急増などを背景に、さらに過激な右派を吸収しつつ、強力な過去のイメージによって浮動票をも取り込んで成長したイタリア社会運動(MSI)、そして旧共産党、左翼民主党(PDS、現左翼民主派DS)の躍進は、政治改革と行政改革の推進を促した。イタリア銀行総裁から首相となったチャンピ元首相は、テクノクラートらによるきわめてプロフェッショナルな内閣を形成したが、同内閣において公共機能相に抜擢されたカッセーゼ(S.Cassese)教授は、行政学者としての自身のセオリーを実践に移し、大きな成果をあげた。この国家レヴェルでの行政改革のみならず地方レヴェルでの改革は、93年6月の地方議会選挙後、北部を中心とした多くの主要自治体において北部同盟が勝利を収めたこと、またそれに伴う政治的転換を機に、重要な課題となっている。もっとも、不況と失業の深刻化から各自治体は、人員削減による行政の縮小という方策をあきらめざるを得ず、民営化を促進する一方で公営化という逆ベクトルをも採った。
90年142号法は、イタリアの地方自治において、70年代はじめの州の創設に次ぐ、革新的な改革の試みを含むものであり、また、80年代を通じて行われてきた政治および行政諸制度の変革のみならず、90年代を特徴づける政治・行政改革に枠組みを与えるものであった。まず、90年142号法の意義を、イタリア地方行政の歴史的・社会的コンテクストにおいて明らかにする。
第2節 90年142号法に至る地方行政改革の変遷
イタリアの地方行政は、その歴史的な背景から戦後、いくつかの紆余曲折を経たが、中央―地方関係の変革によって、中央行政の執行機関としての地方、という伝統的な図式に亀裂が生じ、地方自治が独自のフレームワークにおいて把握されるようになった。自治の基本単位であるコムーネの自治は、50年代末から60年代にかけて議論されるようになったが、この時代においてはまだ、中央志向が強く残っていた。中央集権的な志向に基づきながらコムーネの自治が強調された60年代とはまったく異なり、70年代以降の地方自治は、州議会選挙の準備に始まり、改革の過程そのものを際立たせつつ、展開した。60年代の地方自治の発展を特徴づけているのは、地方権力に関するセクションごとの立法であるが、それらは性格によって三グループに分類できる。
第一のグループに属する1966年7月13日の615号法(大気汚染について)、1967年7月28日641号法(学校建築について)、1968年2月12日132号法(医療機関について)などは、国家行政機能の遂行の正統性と代理性との確保のために地方自治体を使用するという目的を有していた。地方自治体は、国家の機能のために利用されたのである。第二のグループは、コムーネに独自の機能を与え、政策・計画の作成に参加することを要請するが、その計画の大部分も中央権力によって統制されており、またその措置によって完結するものであった。このグループに属する法としては、1969年12月29日の1042号法(都市鉄道について)および1962年と1967年の都市計画法がある。第三のグループとしては、1962年4月18日の167号法(修正され、1965年7月21日の904号法、1971年11月22日の865号法に統合される。ソーシャル・ハウジングについて)および1963年2月14日の60号法(労働者住宅について)、1967年8月6日の765号法(一般に『橋渡し法』といわれる都市計画法)、そして1965年6月26日の717号法(南部援助について)が挙げられるが、これらはいずれも都市計画・地域・領域に関わるものである。これらは、都市計画権限の執行において地方自治体によって行われるべき範疇もしくはプロセスの規則を、中央から定めた。また、60年代の地方自治の主要な課題の一つは、コミュニティに密着した地区の形成であり、地方行政の内部における修正という意味を持っていたが、60年9月、ボローニャではじめて地区住民評議会が設置された。これは地方行政における分権化の形として、60年代を通じて広まった。
しかしやがて、強い中央集権的な性格を残したままの地方行政のあり方に疑問が投げかけられるようになった。また、この時代を通じて行われた議論を特徴づけるものとして、以下の二点をあげることができよう。第一に、地方行政組織における二大勢力として、直接選挙によって選出され、最高の権限を有する市長と、評議会および議会という集団とを設定する、ということ(当時、市長は議会議員の中から選出されていた)、第二に、『中間の単位』、つまり州とコムーネとの間に位置し、ほとんどのコムーネの限られた次元によって生じている非効率を解決するために設定される単位についての議論がある。これはいずれも、142号法およびその後の改正によって実現した変化に通じている。
70年代の地方自治は、その初頭に可決された、1971年6月1日の291号法、同年10月22日の865号法(住宅について)、同年6月11日の425号法(商業について)、同年12月3日の1102号法(山岳地域の自治体について)、によってはじまる。70年代の変化はしかし、州レヴェルにおける改革に代表される。また、地方自治におけるさまざまの活動がほぼすべて、改革のプロセスであったといえる。70年代の改革はさらに、地方行政の機能、構造、財政、人事、会計、監査、といった内容にまで及ぶ。1977年には、1972年から開始された国家機能の州への委譲が完成し、警察、社会保障、厚生、学校教育、公的住宅、環境保全などに関する権限が移行された。コムーネはしかし、これらの事項について、すべての権限を与えられたわけではなく、一部についてのみ委譲された。また、コムーネはその機能の執行に際し、県知事もしくは州の許可を得なければならない場合も多い。コムーネは一方、セクションごとの機能に関しては、国家的な性格を有する機能を執行することができる。
機構に関しては、コムーネよりも小さい、もしくは大きい単位が発展した。前者としては地区(circoscrizione, quartiere, zonaなどと呼ばれる)が、後者として広域行政区(comprensorio)があげられる。1976年4月8日の278号法によって地区(circoscrizione)が定められた。広域行政区は一方、州によって、主として地域計画に際して形成されるものであり、州法に根拠づけられる。与えられる権限は多くの場合、限定された政策分野に限られる。
財政、人事政策、公会計、監査制度などに関する改革もまた、70年代を特徴づけており、142号法は、この延長上にあるといっても過言ではない。80年代に入ってからも、70年代の傾向が基本的に継続され、さらに地方自治体の権限を強化する方向に進んだ。これらの変遷、さらなる自治の要請、そしてそのシステム化への必要性が、90年142号法となった。
第3節 90年142号法以降の地方分権化―政治制度と行政経営の変遷
90年142号法を実質化する諸法、諸制度は次々と整備されていった。新しい地方選挙法である93年3月25日81号法が県およびコムーネについて首長の直接公選制度を導入し、地方分権、行革の政治的な条件を整えた。現行法は99年4月30日120号法によって修正されたものである。州選挙については、99年11月22日1号憲法改正法が州選挙法を改正、州においてもその首長を直接公選とする制度を定め、2000年4月に実施された選挙から導入された。これらは、狭義の地方行政改革を政治的な分権化、いわゆるdevolutionによって補完するものと位置づけられている。そしてdevolutionはまた、独自財源を伴うことによって地方自治体が財政的な自律性を獲得してはじめて本質的な分権化を完成させることになると理解されている。2001年10月18日3号憲法改正法(legge Costituzionale, L. Cost.)により、州が地方自治体として位置付けられ、実態としては既に存在していた三層制が法的に確立され、国家からの権限委讓にも弾みがついた。同憲法改正はまた、90年142号法において規定されたものの実質化していなかった大都市圏を改めて規定した。ドイツ型連邦制の導入をめざす地方制度改革の潮流の中で、首都圏の扱いが大きな課題となっているが、改めて大都市圏を規定したことは、この課題と無関係ではない。
上記の一連の地方分権化が改革の枠組みを提供する一方、行政のマネジメント改革については、バッサニーニ法(le leggi Bassanini、97年3月15日59号法、97年5月15日127号法、98年6月16日191号法、99年3月8日50号法)が、許認可手続きの簡素化、ワンストップ窓口制度および自己証明制度、電子政府の導入を中心とする行政事務および手続きの合理化、簡素化を軸に主に州への行政機能の分権化を進め、組織と運営の改革のための統制と評価のシステム、英国にヒントを得て開発された、サービスの内容およびその基準を明示するcarta dei serviziなど公共サービスのクオリティ統制の諸制度が導入され、それを分野毎に専門的に実施、監督する独立組織(オーソリティ)が設立された。既にエネルギー問題のオーソリティ、情報問題のオーソリティなどが活動している。
また企業会計に近いシステムの導入をめざし、従来の伝統的な行政の会計制度を改革、会計検査や行政監察の戦略的な活用、そして情報公開の原則、行政情報へのアクセスの保障をも盛り込み、NPMおよび「小さい政府」のコンセプトに基づく行政改革、つまり、民営化や地方分権化を通じて、従来の行政組織の縮小と同時にその機能の強化をめざす。改革の中でユニークなものとしては、法律の質の向上、法体系の簡素化、合理化が取り上げられ、内閣府に設けられたユニットが規制のインパクト分析(AIR)にあたっている。近い将来には、法規制によって生じた実際のインパクト評価(VIR)、行政評価、政策評価をも行うとされている。さらに、行政改革をカルチャーとして普及させるため、行政改革のためのプラン、プログラム、ベスト・プラクティスの表彰制度であるcento progettoなども実施されている。これは、全国の地方自治体、団体などからマネジメント改革の計画、実施経験を募集し、優れたものを表彰する制度である。また、市民志向の行政をめざし、英国を模した市民憲章の導入も図られた。
1990年142号法の修正である98年6月16日191号法がこれらを補完する一方、当時の国庫相チャンピ氏によって推進されたためにチャンピ法(la legge Ciampi)と呼ばれる97年4月3日94号法は財政システムの合理化を中心とする。98年3月31日112号委任立法をはじめとする数本の委任立法がバッサニーニ法を具体化、その基礎が固められつつある。
バッサニーニ改革の中枢をなす発想は、行政手続きの合理化および簡素化であるが、これは第一に分権化、つまり諸機能、権限の地方への委譲を通じて、また民間セクターの導入、つまり民間委託、アウトソーシング、民営化などを通じて実現することがめざされる。民営化後のサービスの質をコントロールすることも重要であると考えられている。また第二に、eガバメントの推進による行政手続きの簡素化、つまり行政手続きをネットワーク上で処理することを可能にし、より早く、そしてより容易に諸手続きを行うことがめざされている。後者については、電子政府の推進のために投資パッケージが用意されたばかりであり、中央省庁におけるネットワーク網の整備をはじめ、データ・ベースの構築と運用システムの整備、地方出先機関とのネットワークの形成、市民サービスの電子的提供、地方自治体の電子化などが進められつつある。情報提供に関してインターネットを利用することはもとより、オンライン徴税(現在は申告のみ実施)、電子IDカードを利用したサービスの提供、オンライン投票などが計画されている。2001年10月7日に行われた国民投票の際には、複数回使われるようになる投票カードが導入され、これまでのように選挙毎に発行する手間、無駄が省かれた。
また、一連の改革の中でこの他に特筆すべきものとして、公務員制度改革があげられよう。テレワーク、パート・タイム労働や派遣社員制度などの登場によって労働市場そのものが多様化しつつある中で、公務員制度においてもさまざまなカテゴリーの職種、また、それぞれについて、任期制のマネージャおよび政治的任命職の導入、アウトソーシングを含め多様な雇用形態が準備されている。職種の体系の見直しの他、国家公務員については地方出先機関の、地方公務員については、資格や処遇などを含め、各自治体の独自性が重要視される方向で改革が進められている。既に管理職の評価制度が導入され、政治的任命ポストをもその対象として、人事考課にも活用されている。
同時に、経営改革は人材育成によって初めて可能となる、という発想から、人事育成、研修の内容の改正、充実、高等行政学院(Scuola Superiole della Pubblica Amministrazione, SSPA)の改革なども始められた。高等行政学院における長期、短期の研究開発プロジェクトの実施、EU諸国との共同プロジェクトの実施などは、その試みである。
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