日本財団 図書館


interview
16本と、ストラディヴァリウスを
世界で長も所有していることに加え、
アイザック・スターンが使っていた
グァルネリ・デル・ジェズの「イザイ」といった
歴史的な名器を数多く収蔵するなど、
世界的な存在である日本音楽財団は、
それらを世界各国の若手演奏家に貸与しながら、
音楽界への貢献を続けてきた。
人類の遺産を守り、
次の世代に引き継ごうとする壮大な動きが、
日本で営々と続けられているのだ。
 
[聞き手]山田美也子◎アナウンサー・エッセイスト
 
日本音楽財団理事長
塩見和子
 
日本音楽財団は、世界で最もストラディヴァリウスを所蔵する団体として知られています。ストラディヴァリウスをはじめとする弦楽器の名器を集め、アーティストに貸与するという事業はいつから始められたのでしょうか。
 日本音楽財団というのは、日本財団から100パーセント支援されている団体です。1974年に設立された当時は、「国民音楽振興財団」という名前で、学校教育の中における音楽の支援を行っていました。それが、財団創立20周年を迎えた8年ほど前からは、アントニオ・ストラディヴァリ、グァルネリ・デル・ジェズといった楽器製作家の手による名器を収集して、世界的なアーティストに無償でお貸しするという事業を始めました。
 
きっかけは何だったんでしょう。
 親財団である日本財団の笹川陽平理事長は長年、「日本財団はいろんな分野で援助をしているが、文化の分野ではあまり援助していないので、何かそちらの方面でも援助できないか」ということを考えておられました。
 音楽家たちにも「今、音楽の分野でいちばん大変なのはどんなことでしょう」と聞いてみると、音楽家たちからはいつも「弦楽器の値段が高く、とても演奏家が個人レベルでは手に入れるのが大変なので、そういう分野で援助をして頂けたら大変ありがたい」という答えが返ってきたそうなんです。それで楽器を購入し貸与する事業をスタートさせることになったのですが、ちょうどサザビーズを辞めたばかりの私が、事業を手伝うために財団に迎えられました。
 
演奏家のホップ・ステップ・ジャンプの成長の過程で最後のジャンプをされる方にお貸しすることによって、それを踏み台としてさらに大きく成長して頂きたいのです。
 
今、ストラディヴァリウスはいくつ所蔵されているのですか。
 本当に幸運だったのですが、弦楽器コレクターの最大の夢であるストラディヴァリウスのクヮルテットを最初に購入することが出来ました。クヮルテットは、ヴァイオリン2挺、ヴィオラ1挺、チェロが1挺というセットですが、中でも製作数の少ないヴィオラを集めるのはほとんど不可能なのです。財団が弦楽器を購入しようと調査を始めたときに最初に入ってきた情報が、現在東京クヮルテットに貸与している希少な「パガニーニ・クヮルテット」だったのです。
 ワシントンにあるコーコラン美術館は彫刻と絵画で有名な美術館ですが、なぜか篤志家から寄贈されたクヮルテットを2セット持っておられました。1つがその「パガニーニ・クヮルテット」で、もう一つは、ストラディヴァリウスの師匠であるニコラ・アマティのクヮルテットだったのです。それで、これは20世紀の間にはもう二度と出てこないチャンスだと判断し、1,500万ドルで購入しました。
 
1,500万ドルというと、16億円ほどですね。
 確かに16億円というと、「ええっー」という感じですが、絵画の世界に置き換えて冷静に考えてみると、素晴らしいマティスの絵をオークションで買えるくらいの値段なのです。
 そう考えると、絵に比べればトップクラスの弦楽器は演奏家の芸術的才能をさらに向上させることができますし、聴く人間も幸せになれるという、人類に与える費用対効果は大きいですからね。さらに、マティスの絵を1枚だけ持っていても、世界的コレクターとは評価してもらえません。
 でも、クヮルテットを持っているということになれば、それだけでもすでに国際的な大コレクターとして認められます。そして、それからはトップクラスの弦楽器の情報は自然に我々の財団に集まって来るようになるだろうという読みもありました。これはサザビーズにいた時の私の経験の賜物ですね。
 でも、実は財団にそれだけの手持ちのお金がありませんでした。それで親財団である日本財団に平身低頭お願いして購入出来たわけです(笑い)。それからは、年々良い楽器を買うことが出来るようになり、現在クヮルテットを含めてストラディヴァリウスが17挺、グァルネリが2挺となりました。
 
しおみ・かずこ
◎1965年、国際基督教大学(I.C.U.)在学中より通訳として活躍。卒業後、米国を中心に、国務省、カナダ政府と契約して、政府交渉及び国際会議などの同時通訳を務めた。79年に帰国して、世界最大・最古のオークション会社サザビーズの日本代表に就任。89年にはサザビーズジャパンの社長となった。92年に退社した後は、95年から財団法人・日本音楽財団の理事長、日本太鼓連盟の理事長なども務めている。著書に「いい女、いい仕事」(主婦と生活社)、「女ひとり世界の歩き方」(講談社)がある。
 
ストラディヴァリウスには、名前の付いたものも多いですね。
 歴代のオーナーの名前が付いていたり、楽器の特徴からネーミングされたものが多いですね。財団が所蔵している楽器のすべてに通称が付いています。樫本大進さんが使っているのは「ジュピター」、諏訪内晶子さんは「ドルフィン」、庄司紗矢香さんは「ヨアヒム」です。また、ジュリア・フィッシャーさんは「ブース」、エリザベス・バティアシュヴィリさんは「エングルマン」、ヴィヴィアン・ハグナーさんは「サセルノ」・・・、みんな、なにか愛称が付いているのです(笑い)。
 また、「ハギンス」というヴァイオリンは、ベルギーで開催されているエリザベート王妃国際音楽コンクールの優勝者に貸与しています。コンクールは4年ごとに行われるので、貸与期間は次のコンクールまでの4年間です。現在は、バイバ・スクリッドさんというラトヴィアの女性ヴァイオリニストが使用しています。
 諏訪内さんの「ドルフィン」は、かつてハイフェッツが使っていた楽器ですが、これは背中の木目がうねっていて、イルカのイメージなので「ドルフィン」とネーミングされたわけです。
 ストラディヴァリウスと双壁と評価されているデル・ジェズ(グァルネリ)ですが、一昨年亡くなったアイザック・スターンさんが最後の20年くらい使用されていたデル・ジェズ「イザイ」も譲り受けました。イザイというのはベルギーの国家的ヴァイオリニストで、その当時のエリザベート王妃のヴァイオリンの先生でした。イザイが亡くなったときの葬儀も国葬で、その葬列の先頭をクッションに乗せられて行進したという歴史的にも大変貴重な楽器なのです。
 
外国へ行くたび、私は楽器商の方にもコレクターの方にも、「日本人が日本人のためにやっているのではない」と説明するのです。「世界的な遺産を、みんなで守っていきましょう」と。
 
 
著名な演奏家はやはり、ずっと同じ楽器を使っている人が多いのでしょうか。それとも、次々に楽器を持ち替えたり・・・。
 これは、結婚と一緒で(笑い)、生涯の伴侶になる場合もあれば、離婚することもあるわけです。聞くところによると他の楽器に気を移し浮気をすると、自分の持っている楽器がそっぽを向くというようなことがあったりするそうで、色々ですね。
 
誰に貸与するか、ということはどうやって決めているんですか。
 日本音楽財団には楽器貸与委員会があります。委員長は指揮者のロリン・マゼールさんです。委員にはチェロのヤーノシュ・シュタルケルさん、ヴァイオリニストのチョン・キョンファさん、エリザベート王妃国際音楽コンクールの理事長ラオノア伯爵、そして日本からはチェロの吉田先生にお願いしていたのですが、残念ながらお亡くなりになったので、現在は新国立劇場副理事長の海老澤敏先生にお願いしています。
 この委員会では、推薦された候補者について話し合ったり、実際に演奏して貰ったりして貸与者を決めます。演奏家のホップ・ステップ・ジャンプの成長の過程で最後のジャンプをされる方にお貸しすることによって、それを踏み台としてさらに大きく成長して頂きたいというのが、財団の考えです。ですからお貸しするだけに留まらず、その後もその演奏家がどう成長していくかを見守ることが重要で、そのためにはコンサートも企画しています。
 
芸術品としての価値もありますが、そのメンテナンスについては、貸与された方に任されるわけですか。
 いえ、メンテナンスや修理、それに保険も財団が払っています。メンテナンスと保険のための予算は年間3,000万円ほどです。修理保全代くらいは借りている方が払うべきだと言われる方もおられますが、財団としてはどういう修理をどこで誰がやったかという記録を残しておく責任があると思います。財団が所有しているクラスの楽器は、なんと言っても世界遺産ですから。
 3カ月に1回、クリーニングのために指定した楽器商に持って行ってもらっています。ちょっとした状態のチェックは半年に1回、さらに年に1回は総合的なチェックをやっており、実際に楽器の状態がどうであるかをつねにモニターしています。請求書が楽器商から届くと、演奏家がちゃんと定期検査に行ったということが分かるのですよね(笑い)。どこで誰が何をどういう風に修理したかということを記録するためには、請求書は財団にとってはありがたい原簿のようなものなのです(笑い)。
 
これだけ素晴らしい楽器を使ってしまうと、貸与期間が切れても、返したくないと思うアーティストも出てくるでしょうね(笑い)。
 おっしゃるとおりです。やはり一番難しいのは、いつ貸与を終わらせるかということです。財団ですから永代貸与というわけにはいかず、いつかは返して頂かなくてはなりません。音楽家にしてみれば貸与が終わった時に、借りていた楽器と自分の楽器の差をどう埋めるかという深刻な問題も出てきます。
 ただ、それでも良かったと思うのは、「短期間でもよい楽器に触れると自分の楽器に戻ってきたときも良い楽器と同じ音を出す努力をするようになるものなのです。だから、たとえ短期間でも、素晴らしい楽器に触れるということは演奏家にとって素晴らしい経験になるのです」と、ジュリアード音楽院の有名なドロシー・ディレイ先生から感謝されたことです。
 
日本音楽財団のロゴ入りのプレート(上)/日本音楽財団のオフィスに飾られている、財団所有のストラディヴァリウスの歴代の貸与者たちのサイン入り写真。これからもどんどん増やしていくつもりだという(下)
 
今は欧米と日本の優れた演奏家を中心に貸与されてますが、これからはアジアや中東のアーティストが育ってくれば、よリ広がっていく可能性はありますか。
 日本音楽財団がストラディヴァリウスを購入し始めた当時、「日本人は日本人だけに貸すのだろう」と言われました。そうではないんです。こういうクラシック分野でご支援するということの根本には、西洋各国の音楽界で日本の演奏家を非常に暖かく受け入れて下さったということへの感謝の気持ちがあったのです。
 ですから、そういう意味では、最初から日本人に限らず、国籍を問わず、そのヴァイオリンの一番いい面を引き出してくれる演奏家には、どなたにでもお貸ししています。外国にも楽器を貸与しているところはありますが、例えばドイツ銀行はドイツ人にしか、またオーストリア銀行はオーストリア人にしか貸していません。
 その中で、私どもは、日本人演奏家以外にはロシアの方にも、イギリスの方にも、カナダの方にも、ラトヴィアの方にも、デンマークの方にも、アメリカの方にも、アイスランドの方にもお貸ししています。また、ヴィヴィアン・ハグナーさんも素晴らしい演奏家で、お父様はドイツ人でお母様は韓国の方です。
 
財団としては、次に購入しようと考えているものは何でしょうか。
 具体的に何か、というわけではないのです。ストラディヴァリウスの場合、ヴァイオリンが一番多くて、その次にチェロが7、80挺、それからヴィオラが一番少なくて、10挺くらいしかないのです。その少ないヴィオラのうち、6挺はすでに既成のクヮルテットに入っていますから、フリーで存在するものはほとんど無い状況です。それで、チャンスがあればヴィオラを、と考えています。あるところは分かっているんですけれども(笑い)、まだ譲っていただけるという時期が来ていないという感じですね。
 日本音楽財団が楽器の購入を始めた時期は、非常にタイミングがよかったのです。と言うのも、戦後のコレクターの世代交代の時期と重なっていました。コレクターの方はアマチュアプレイヤーであることが多く、楽器への思い入れがとても強い方ばかりです。
 そして、その方たちにとって一番気になることは、自分の手を離れた後の楽器の行く末がどうなるか、ということなのです。例えば、「孫は楽器が好きじゃない。そんな孫に譲るのが心配」という方たちが多いのです。ですから、「ここなら譲っても大丈夫」という信頼される関係を築くところから始めました。
 私たちと一緒に楽器を集めて下さっているイギリスのアンドリュー・ヒルさんも、財団がこういう考えに立っているからこそ協力してくださっているのだと思います。
 欧米には、「東洋人には売るな」というような人もいるのです。しかし、ヒルさんは、「世界の遺産は、これから保存し、次の代にちゃんと引き継いでくれるところに託すのが正しいのです」と言ってくれています。
 あれもこれもと買って、うちは何挺あります、ということを自慢しているのではなくて、どういう形で使っていて、どういう形で次の世代に継承していくか、それが一番大きな問題なのです。そのために保険をかけ、保全をし、修理もして、そして使って頂いて、そこまで考えていかないといけないのです。外国へ行くたび、私は楽器商の方にもコレクターの方にも、「日本人が日本人のためにやっているのではない」と説明するのです。「世界的な遺産を、みんなで守っていきましょう」と。







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