ストラディヴァリウス物語
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文 寺西基之◎音楽評論家
text by Motoyuki Teranishi
ストラディヴァリウスとはストラディヴァリのラテン名で、イタリアの弦楽器製作者アントニオ・ストラディヴァリ(1644?〜1737)が自ら製作した楽器のラベルにこうラテン語で署名したところから、彼の手で製作された名器の名称となった。その活動の舞台となったのはイタリア北部の町、クレモナ。クレモナは以前からヴァイオリンをはじめとする弦楽器製造の中心地で、厳しい徒弟制のもとで学んだ製作者たちが優れた楽器を世に送り出していた。
このいわゆるクレモナ派を確立したのがアマティ一族で、その礎を築いた16世紀のアンドレア・アマティが今日の弦楽器の形状を完成させたといわれる。彼を引き継いで従来の技術を前進させた2人の息子アントニオとジロラモの後、ジロラモの息子のニコラ(1596〜1684)が一族の頂点を築く。曲線や膨らみに工夫を凝らし上品な音色を持つニコラの楽器は、当時の製作者に大きな影響を及ぼした。
このニコラ・アマティの一番弟子こそ、ほかならぬアントニオ・ストラディヴァリだ。十代の頃からニコラのもとで修行を積み、楽器製作技術の確固たる基礎を身につける。しかし、師を模倣してその技術を継承するというだけでは物足りなくなり、彼は1680年に自身の工房を構えた。ブレシャ(クレモナよりさらに北に位置するもう一つの弦楽器製作地)の代表的な名工マッジーニの力強い響きを持つ楽器の影響も受けながら、独自の製作法と理想の楽器を求めていくようになる。
それは試行錯誤の連続だった。明け方から夕方まで仕事場でわき目もふらずに製作と実験に励み、たとえ出来のよい楽器ができてもそこで満足せずにさらに高いものをめざすといった厳しい職人精神の持ち主であったストラディヴァリは、多数の弦楽器(ヴァイオリン、チェロ、数は少ないがヴィオラも)の製作を通して、その形状、胴の膨らみ、板の厚さ、素材、仕上げのニスなど、様々な要素とその組み合わせの可能性を多角的に探ることによって、自分の理想を追求していく。
その活動を振り返ると、模索期の1680〜90年代(この時期にも優れた楽器を残している)に続く、1700年頃から1720年頃までが黄金期と言われる。黄金期のものは、以前より広い幅と深い胴のくびれを持った優雅で美しい形をしているのが特徴で、材質は木目の揃った楓(かえで)材で、厚さも微妙な幅が考慮され、さらに音色にも関わるといわれるニスには今日でも解明できない秘法の調合法が用いられている。甘美さと豊かさを併せ持った音を出す名器ストラディヴァリウスは、このような様々な要素の精妙な組み合わせのうちに生み出された。それは理想と完璧さを求めた類い希な職人魂の賜物だった。1720年以降の後期においてもストラディヴァリの技術は衰えることなく、90歳を超えた最晩年まで製作を続けたと伝えられている。
クレモナ派でもう一人忘れられない名工が、グァルネリ・デル・ジェズ(1698〜1744/デル・ジェズとはイエスズ会の意で、本名はバルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ)である。楽器製作で知られたグァルネリ一族の中でも最高の製作家で、一般にグァルネリの名器といえば彼の作った楽器を指す。彼は、円熟期のストラディヴァリの楽器やブレシャ派のマッジーニの楽器の影響を受けつつも、それらとは異なった独自の個性を持つヴァイオリンを追求した。奔放な性格と生き様も災いして、1735年頃をピークとするその最盛期は短かったが、力強い音色を特徴とする彼の数々の楽器は最高級の名器としてストラディヴァリウスに並び称されている。19世紀の超人的なヴァイオリンの名手パガニーニもグァルネリの楽器を用いていた。
さらにクレモナのヴァイオリン製作の技術は、主にアマティらの弟子によって各地へと伝わり、17世紀後期から18世紀前半には様々な優れたヴァイオリンが作られた。ミラノのグランチーノ一族やテストーレ一族、ナポリのガリアーノ一族、ヴェネチアのドメニコ・モンタニャーナやマッテーオ・ゴッフリレール、フィレンツェのカルカッシ一族、また各地で活躍したグァダニーニ一族など、その名を挙げたらきりがない。しかし、1747年にストラディヴァリの弟子カルロ・ベルゴンツィが死去し、さらに1762年にヴェネツィアのピエトロ・グァルネリが没したことで、イタリアのヴァイオリン製作の黄金時代は終焉を迎えた。
18世紀後期から19世紀にはむしろフランスに中心が移り、ニコラ・リュポ(1758〜1824)、弓の改良で知られるフランソワ・トゥルト(1747〜1835)、楽器商としても知られたジャン=バティスト・ヴィヨーム(1798〜1875)らの製作者が現れる。しかし、一つひとつ個性的な楽器を作り上げることより大量生産の方が重んじられる時代の状況もあり、ヴァイオリン製作のかつての輝かしい時代が蘇ることはなかったのである。
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