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第2章 自治体の情報利用における問題の所在
―介護保険を事例に―
 日本では、これからの約二十五年間で六十五歳以上の人口が急速に増加するという見通しが示されている。そして、反対に、働き手として租税の多くを負担する役割を果たすことが期待されている二十歳から六十四歳までの人口は減少に転じ、少子化傾向のまま人口が推移した際に予想される現実はもうすぐそこまで来ている。「高齢化社会」の到来である。(図表2-1 20-64歳人口及び65歳以上の人口推移)。図表2-1は、今後、税制の仕組みを変えないと国家として破綻してしまうという税制論議の際によく利用されるデータであるが、同時に、これから老齢者の介護需要が大幅に伸びるであろうこと、その際に利用可能な財源の伸びが期待できないことを示している。すなわち、行政サービスを効率化に利用できるようにしなければならないことは明らかである。しかしながら、効率化を断行することによってサービスの質を落とすことは難しい。限られた資源を使って、いかに住民という顧客を満足させることができるだろうか。
 2000年4月には、地方分権一括法が施行されて、地方自治法による機関委任事務が撤廃された。法律に反しない限り、自治事務に関して条例制定権が与えられ、自治体も自己責任で決定を行う手段を持つことになった。さらに、法廷外目的税が新設され、2005年には地方債発行許可制度が廃止されることになっており、自治体が独自の資金調達を行う余地は広がっている。すなわち、自治体が自主的に条例を定め、自治体独自の施策を実施するための資金の裏づけも調ったのである。
 こうした、現在推進されつつある行政改革と地方分権によって地方自治体の権限も増していっているなか、同時に、自らの特徴にあったきめ細やかな制度の実行も求められている。そして、その実施において、ITの活用は重要な役割を果たすと考えられる。e-Japan戦略の推進の下、住民基本台帳ネットワークの整備の一環として、自治体の持つ情報のデータベース化も進んでいる。しかしながら、周囲を見渡してみても、その有効利用への取組みは非常に遅い。特に、住民の利便性を向上させ、行政サービスを効率的に供給するためには住民基本情報のデータベースを活用する必要があるが、多くの自治体において情報流は分断されたままである。多額の資金を投じて構築されたデータベースであるのに、サービスを供給するための業務プロセスのなかで有効に利用されていないのである。それはどうしてだろうか。
 この章では、規模がさまざまな五つの自治体に行った調査を基に、自治体における情報流の阻害要因を概観した後、現在生じている問題点、特に、サービスの実施の際にさまざまな個人情報が必要となる介護保険における情報流に焦点を当てて考察する。
 
図表2-1 20〜64歳人口及び65歳以上人口の推移
出典:国立社会保障・人口問題研究所 平成9年1月時点での推計
 
 ITを用いた円滑な情報流、特に、住民情報のデータベース活用を阻害するもの要因として、自治体内部に起因するものと外部に起因するものがある。以下ではそれらの要因を見て行く。
 
(1)個人情報への過敏な対応:例えば、ある申請のために所得税額の証明が必要であれば、別途その証明書を取得して添付書類として提出することが求められる。同じ役所内に格納されているはずの情報であるのに、別途申請しなければならないのである。自治体の情報化調査の際にこの理由を尋ねたところ、大概「システムとしては申請窓口のコンピュータで参照することが可能であるが、個人情報を厳格に保護しているために本人の申請による証明書添付をお願いしている」という答えが返ってくる。だが、納税証明書の添付と窓口のコンピュータ画面による参照の間に生じる差異はどれほどのものであろうか。確かに、これまでは、公的権力の乱用を防ぐために個人情報の扱いに関しても、法律や通達で厳格に規制されて「公務員の守秘義務」の遵守が求められていたが、現在その運用は自治体の自主性に委ねられている。個人情報保護条例の整備も終わり、情報を活用できる環境は整いつつある。しかしながら、実際は、住民基本台帳ネットワーク(以下、住基ネット)への反発や反対運動が全国的な広がりを見せるなかで、各自治体は情報利用、特に住民のデータベースを利用した情報流の整備に、いまだ消極的である。
(2)危機感の不在:「自治体倒産」が喧伝されているにも関わらず、現場での危機意識は薄い。しかも、情報化の推進による費用対効果が具体的に試算されていないために、その実施が進まないでいる。むしろ、市町村の職員の間では、自治体倒産の危機感よりも、IT導入による情報の共有や効率的利用が人員削減に繋がるのではないか、労働強化が進むのではないか、といった不安から従来の慣習(業務手続)をなるべく維持しようとする動機が存在する。特に、これまでの業務を見直すためには、90年代より民間で推進されている BPR(Business Process Reengineering)が必要であるが、その実施のための危機感が希薄である。
(3)市町村合併の影響:現在、市町村では、市町村の合併の特例に関する法律の期限である2005年3月をにらみながら、合併するか否か、合併するならどこと合併するのか、に関する議論の真っ最中である。市町村が合併すれば情報システムの統合が行なわれることになるので、変更を行なった直後に再度変更を余儀なくされる可能性もあり、上述の法律の期限が切れるまでは、システムを変更しにくい状況にある。
 
(1)プライバシー侵害への不安:公共機関には、他人に知られたくない個人情報も多く保管されているため、「個人情報保護」に厳重な注意が必要であることは自明である。さらに、個人情報保護法案の成立を受け、自治体は法的にも個人情報ファイルの安全確保措置が求められている。しかし、A市では、住基ネットのデータベースを作成した請負業者が約21万人の住民情報を名簿業者に売っていたことが発覚した。B市では、住民情報を不正に利用してストーカー行為をした行政職員が処分されている。個人情報管理における自治体の不祥事のほかにも民間の企業における漏洩事件も後をたたない。こうした不正利用が相次いで表面化したことによって、住民は個人情報の扱いに関して不安を抱いている。
(2)住民合意の不在:(1)の要因にも起因しているが、自治体が情報を共有したり有効活用したりすることによるメリット(費用対効果など)が明確に示されていないことが、住民の合意を得にくいものにしている。プライバシーの侵害への恐れなど、実際に起こっている事実に対して、それを上回るだけのメリットを示されなければ、情報を有効に活用する合意どころか感情的な反発を生んでしまう。住基ネット離脱を求める世論の圧力が強いのは、こうしたことも起因していると思われる。
 
 以上のような阻害要因によって、自治体内での情報利用・情報共有は推進しにくい状況にある。しかしながら、自治体の窓口を何度も往復して様々な証明書を取得しなければならないなど、そのために多くの無駄が生じているのも事実である。さらに、自治体が住民に対してサービスを行うときに、実際のサービスを供給するのは民間業者である場合もある。その場合の情報流はどうなっているのであろうか。以下では、自治体、民間業者、住民という三つの主体が関わる具体例であり、サービスの充実には家族構成や年収、病歴などの広範囲な個人情報が必要な介護保険における情報流を検討する。
 
 介護保険法に基づいた介護保険は、社会保障の仕組みを活用することで、それまでの「措置」としての対応とは違った、利用者の意見や希望を尊重した利用者本意の「サービス」を受けられるようにするための制度である。制度の詳細は専門書に譲ることにして、介護保険制度の情報流を検討するために、ここではその概要を説明する。
 
 介護保険サービスを利用するためには、まず住所のある市区町村(介護保険の保険者)に要介護認定を申し込むための申請手続きが必要である。要介護者(被保険者)本人か、若しくはその家族が、六十五歳以上の第1号被保険者全員に交付されている介護保険被保険者証に主治医の意見書をつけた申請書を市区町村の介護保険の申請担当窓口に提出して、申請手続きを行う6
 保険者である市町村は、(1)被保険者を特定し、(2)保険料を決定して徴収し、(3)申請に応じて要介護認定を行い、(4)要介護認定を受けた人にサービスを提供するという役割を担う。そこで、市町村は申請者のもとに要介護認定調査員を派遣して状態を調査し、介護サービス調査票に記入させる。そして次に、この調査票の基本項目をコンピュータにかけて、申請者が、(1)要介護の状態、(2)要介護には至らない、要支援の状態、(3)第三者の支援を必要としない自立した状態、の三つに分類する。これが一次判定である。さらに、市町村が運営する介護認定審査会において、一次判定の結果が妥当かどうかの二次判定を行う。最終的に、市町村は一次判定と二次判定の結果をもとにして最終的な要介護認定を実施し、その結果を申請者に申請から三十日以内に通知する。
 
 要介護の認定を受けると、認定された要介護者は介護度に応じて介護サービスの利用が可能となる。そのためのケアプラン(介護サービス計画)を作成するのは、要介護者若しくはその家族か、ケアマネージャである。すなわち、ケアプランを誰が作成するか、もしくは作成するかどうかさえも選択可能であるが、現状は、ケアマネージャを選定してケアプランを作成するケースがほとんどのようである。ケアマネージャは、要介護者や介護を行っている同居家族の心身の状況等に応じた適切な居宅サービスや施設サービスを利用できるように、市町村の担当者や居住地周辺でサービスを行う事業者それに介護保険施設などと連絡・調整を行う。いわば、介護支援アドバイザーであり、要介護者に必要な援助に関する専門的知識と技術を要求される。7
 

6 介護保険制度の被保険者は四十歳以上の全ての国民であり、六十五歳以上の人は「第一号被保険者」、四十歳から六十四歳までの人は「第二号被保険者」に分類される。介護保険によって介護サービスの供給が開始されるのは第一号保険者資格を得た後であるが、筋萎縮性側索硬化症など15種の特定疾病により介護(支援)が必要と認定された場合は、第二号被保険者も介護サービスの対象となる。
7 ケアマネージャの資格を得ることができるのは、「医師、歯科医師、薬剤師、保健士、看護士、理学療法士、作業療法士、社会福祉士、介護福祉士等の国家資格者および介護の実務経験をもつ者のうち、業務従事期間が五年間(一部十年間)以上ある者が、都道府県知事またはその指定した者が行う実務研修(原則として一回三日間で、前期・後期の二回実施)を終了して介護支援専門委員名簿に登録されている者」と定められている(施行令三十五条の二、介護支援専門員に関する省令一条)







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