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5. 大堀秀夫
伸芽会教育研究所名誉顧問
 
(2003年5月30日研究会実施)
 
□講師のお話
◎“異常な子供たち”とマニュアル世代のお母さんたち
 
 幼児がどう変わったかという質問がよくあるのですが、とにかく普通の子供がいなくなった、ということです。昔に比べて、親が子供を私物化するというのでしょうか、一種のファッション化というのでしょうか、時代の空気に流されて、子供の将来を見据えて育てるということがないのです。ですから、われわれのいちばんの狙いは、まず、普通の子供に戻すところから始めることなのです。
 では、普通の子供というのは、どうやってできたのかというと、結局は、路地裏の遊びの中で、小学校のお姉さんが隣の幼児を背におぶってとか、あるいは幼児が木登りすれば、小学校のお兄さんが助けてやるとか、幼児がいたずらをすれば、お兄さんやお姉さんたちから叱られるといった中で育ってきたわけです。つまり、昔は地域で子供を育てるというものがありました。ところがいまは、電車の中で子供が暴れていても注意をする大人がいなくなりました。
 ということは、子供の親たち自身がいまだに子供で、礼儀を知らないということです。例えば、幼稚園の帰りの親たちを見ていますと、親同士でおしゃべりに夢中で、幼稚園の先生にろくに挨拶もできないのです。一体、どっちが親なのか子供なのか分からない。
 そうなりますと、まず親の教育からしなければなりませんが、これは、戦後の教育不在や民主主義のあり方から遡って見直さないと、どうにもならないということになります。どうしても“異常な子供たち”が増えてきているわけです。例えば、楽しい会話の中でも、まったく上の空で一切口もききませんし、そうかと思うと、少しもじっとしていられない子供もいます。最近では子供ばかりでなく、大学生でもそうなんですが。(笑)
 それで、こうした傾向は30年ぐらい前から見え始めています。浅草にも私どもの教室があるのですが、昔は、その教室で父兄と話をした後などは、何もいわなくても父兄が必ず教室を掃除して帰ったものです。しかし最近では、おむつを捨てていこうが、牛乳のパックを捨てていこうが、平気です。「カネを払っているのだからいいじゃないか」という風潮もありますね。(笑)
 その頃からでしょうか、お母さんが子供の前でお父さんの批判をする。お母さんがお父さんを尊敬していないというのでしょうか、その辺の影響が子供にも出てきているような感じがします。
 また、そうしたお母さんたちは、すぐマニュアルを求めるわけです。例えば、音楽会や父兄会のときにはどういう服装で行ったらいいのかとか、ですね。みんな人に頼るというのか、『an-an』や『JJ』に答えを求めるわけです。非常に残念なのは、自分の足で探さないで、雑誌などの情報をそのまま信じるということです。
 お母さんたちは、情報処理能力をつけないままに育ってきたわけです。テレビや携帯電話やインターネットが出てくると、情報ばかりが溢れますが、それをどう自分のものにするかという決断で戸惑っていますから、どうしてもそういった雑誌に頼り、それを鵜呑みにしてしまうのです。
 子供たちの教育にしても、最初は自分でできないと思ったけれども、一所懸命やってみたらできたとか、自分で発見する喜びがあると、それが自分のものになっていくのです。昔の子供たちの生活には、そうしたことが自然にあったんですね。例えば、兄貴のお古のおもちゃの自動車をもらったが、車輪がないと、それで材料を探してきて、車輪らしきものを自分で一所懸命作って動いたときの喜びとか、そういうものがあったわけです。しかし、いまはお古のおもちゃなどは捨ててしまう時代です。やはり、こうしたことも元に戻らないと駄目ですね。
 最近の子供たちの教育環境の中で、特に目に付くことを申しあげておきます。
 “ゆとり教育”の掛け声のもとに、学習指導要領が改訂されて学習内容の3割削減などということがやられたのですが、これを、塾が儲けるために強力に利用したわけです。「3割も削減されるんだから、勉強しなければ学力が低下しちゃうよ」ということを、商売の道具に使うのです。すると、お母さんたちはちょっとした煽りに弱いというか、生活費を削っても子供を塾へ行かせてしまうところがあるのです。やはり、マニュアルで育った世代なんですね。
 あるいは、女性週刊誌が、誰々さんの子供はどこそこの学校へ入ったというと、その学校が脚光を浴びるわけです。お母さんたちにいちばん刺激になったのが、“紀子さんブーム”で、眞子様がお生まれになったときに、学習院の小学校の倍率が20倍ぐらいになったことがあります。そうするとまた、マスコミが私どものところに来て、「今度は誰々さんの子供が学習院に入るから、また爆発的ブームになるだろう。学習院に入るためにはどうしたらいいんですか」などということを聞き、それをまた記事にする。とにかくそんなことばかりやっているわけで、お母さんたちはまた、それに付和雷同するのです。
 それから、最近は結婚しない男女が増えています。それで昔は、「シックス・ポケット」といわれていたのが、いまは、「テン・ポケット」になっています。どういうことかといいますと、昔の家庭の財布は、ご夫婦とご夫婦のそれぞれのお父さん、お母さんの合計で6個あったものが、いまは、結婚しないおじさん、おばさんが加わって、10個あるということです。「弟に子供ができたから、かわいくてしょうがない」というわけです。(笑)
 つまり、子供を入れたい学校がいい学校だとなれば、多少おカネがかかっても、意外と何とかなるということなのです
 また、おじいさん、おばあさんが、なんでおカネを出すかというと、おカネを出せば孫が遊びに来てくれるということでもあるんです。逆にいえば、悲しいかな、それぐらいのことをしないと、お孫さんは寄り付かない時代になってしまった。(笑)
 昔は、大家族の中で、特に地方を見るとよく分かるのですが、それぞれの年寄りの役割があったわけです。つまり、おじいさん、おばあさんも当然のことのように子供たちの教育や躾に参加していたのです。それで、年寄りは年寄りで生きがいがあって、「ああ、孫が立派に育った」と。それが核家族化してしまって、そうしたこともなくなってしまいました。
 そんなことで、“異常な子供たち”が出来上がってしまった。はっきりいえば、親自身が一人前になっていないからです。自分の感情の赴くままに子供を育ててしまうから、子供自身も、どれがいいことなのか、どれが駄目なことなのかよく分からないために、いろんな面白い現象が出てくるのです。
 私がよくいいますのは、とにかくもう少し客観的に子供を見てあげなさいということと、絶対に他人と比較しては駄目ですよ、ということです。例えば、わが子の成長をきちっと日記につけて、わが子の状態を客観的に把握することに努力をする、とかしてもいいのではないでしょうか。
 私どものところへ来る人たちのいいところは、「そういうことをしていたら、合格しませんよ」といいますと、割合、素直になるんです(笑)。だいたい父兄面接では、学校側がそういうことを聞くわけですから。「どういうふうにお育てになりましたか」「将来どういう方向に進みたいのですか」と。それと、「何故、わが校をお選びになったのですか」といったことを聞きたいわけですからね。それに対して、本人の教育方針と、学校側の教育方針が一致していなければ、学校はとりませんね。つまり、家庭のことを細かく見られるのです。それは、いままでの家庭での躾や教育はどうだったのか、なのです。
 やはり大切なことは、「将来どうしたいのか」という視点であって、いまの親は、目先のことだけ考えて、それが欠けているのです。
 私が最近のお父さんやお母さんに感じる非常に悲しいことは、人の子供がやって自分の子供にそれをやらせないと、何か乗り遅れてしまうのではないかという強迫観念にいつも捕われていること。それから、お父さんの場合、仕事が忙しいせいか、つねに自分と子供が部屋で向き合っていなければという不安感みたいなものもあるのかもしれません。
 子供にとって、遊びというのはやはり必要なんですね。たしかに外に出れば交通公害で、公園へ行けばとんでもない男が出てくるかもしれない。それはわかるのですが、親とだけ向き合っていては、社会との協調性とか適応性、そして、いちばん大切な自主性といったものがまず身についてこないのです。昔の子供は、隣近所の遊び仲間や兄弟も多かったせいで、そういう中でもまれて、自然にそうしたものが培われたわけです。
 ですから、子供たちには非常に気の毒な面もあって、時代の流れの中で子供たちを取り巻く教育環境も大きく変化してきました。繰り返しになりますが、やはり、昔のよかった点は元へ戻す必要があるのではないかと思うのです。







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