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第4章 オランダにおける最近の安楽死の実態
 世界で初めて制定されたオランダの安楽死法(要請による生命終結及び自殺幇助(審査手続)法)は、その施行(2002年4月1日)後約1年半を経過したが、私がオランダ滞在中の2003年9月現在で、施行後の安楽死の実態の調査結果が公表されたものはなかった。したがって、同法施行後の安楽死の実態をそれ以前のそれと比較して検討することは、今しばらく待たなければならない。
 そこで、ここでは、最近、イギリスの権威ある医学雑誌、「The Lancet」誌に掲載されたエラスムス大学(ロッテルダム)のファン・デル・マース(P. van der Maas)教授および自由大学(アムステルダム)のファン・デル・ヴァル(G. van der Wal)教授による研究成果を足がかりにして、最新のオランダにおける安楽死実務の実態を瞥見してみることにする。
 同研究は、オランダだけでなく、ベルギー、デンマーク、イタリア、スウェーデンおよびスイスの欧州六か国の医師を対象とし、同六か国で2001年6月から2002年2月までに死亡した者に関する2万件以上にのぼる死亡証明書をベースにして行われた。これほど多くの国で実施された安楽死実務に関する研究はかつてなかった。また、研究の対象となった医師の匿名性が確保されたため、実態の調査が可能になったのであって、そうでなければ、実態は隠蔽されていたであろう。両教授は、5,600人以上の医師との面接を精査し、500人以上の医師との間で詳細な面接を行った。
 オランダにおける安楽死および自殺幇助の件数は、長年にわたり増加傾向にあったが、1995年以後、年間約3,800件で安定している。しかし、安楽死または自殺幇助の要請があったのは、2001年を例にとると、9,700件に及ぶ。そのうち、実際に、安楽死が実行されたのは3,500件、自殺幇助がなされたのは、合計3,890件なのであり、これは全死亡件数の2.7%に該当する。
 このように、オランダにおける安楽死・自殺幇助は年間3,800件で安定しているが、問題は、公式に報告されている件数を大きく上回っているという点である。立法化された地方審査委員会は、同法施行前の1998年から事実上運用されてきたが、2001年に、同委員会に対して報告されたのは2,054件で、実施された全安楽死のうちの54%にとどまる。以前に比べれば報告件数が増加してはいるが、安楽死または自殺幇助を実施した医師の半数近くが報告をしていないのは、この制度が十分に成果を挙げているとはいえないことを意味する。安楽死法の施行初年度である2002年の安楽死の報告件数は1,882件と、2001年の2,054件を下回ったとのことである。法施行前より安楽死の絶対数が減少したと思えないし、安楽死の報告を躊躇する理由も考えられないので、これはどうしたことであろうか。今後、どういう推移を辿るかにつき、注目する必要がある。
 2001年に実施された安楽死・自殺幇助3,800件の医師別分訳は、ホーム・ドクターが2,925件、専門医が775件、看護医が100件である。ホーム・ドクターが圧倒的に多いのは従前と変わりない。安楽死・自殺幇助実施についての報告書は、ホーム・ドクター60%、専門医30%、看護医41%である。要請なしに実施された安楽死は900件(全死亡件数の0.7%)にのぼるが、これはほとんど報告されていない。
 安楽死の半数近くは80歳以上の患者に対して行われ、安楽死要請の五分の四は癌患者からされた。
 生命終結措置(断命措置)には、安楽死、自殺幇助および患者の同意なき断命措置がある。最後のグループに属する患者は、通常、安楽死の要件として必要な生命終結の要請を表明することができないものである。オランダの医師は他国の医師に比べて断命措置をとることが多い。ベルギーの医師の2倍、イタリアの医師の30倍の頻度である。断命措置の数値の相違は、主として、オランダでは安楽死が実施される頻度が高いことに起因する。オランダでの安楽死の実施率は、ベルギーの8倍、イタリアの60倍であり、スウェーデンでは安楽死の事例は見当たらない(イタリア、スウェーデン、デンマークでは、安楽死・自殺幇助が禁止されている)。自殺幇助については、オランダにおいても比較的広く見られるが、スイスではよりいっそう頻繁に行われている。ベルギーおよびデンマークでは自殺幇助は稀であり、イタリアおよびスウェーデンは自殺幇助は見当たらない。
 以上のように、安楽死等の取り扱いについて、国ごとに違いがみられるが、医師は患者の苦痛および症状が死亡結果をもたらすことを認識しながらも、積極的に生命終結措置をとろうとするのではなく、むしろこれらを治療しようとする選択をしており、この点については各国とも共通している。
 しかし、医師は患者の苦痛に対応して生命終結措置を決断する際、患者の自決権などの文化的な関係要素は、ヨーロッパ諸国のような隣接する国相互間ですら、著しく異なっている。これが本研究に携った両教授の結論である。
 
第1節 現況
 上述したように、オランダは安楽死を事実上合法視する態度から、遂に、法律上合法視するに至ったが、それに比べ、わが国の安楽死をめぐる動きは、甚だ低調である。
 まず、わが国の医療実務界では、以前として安楽死をタブー視するムードが強い。安楽死問題は見て見ぬふりをしようという傾向があり、オランダのように、安楽死に関する国家レベルの実態調査がなされておらず、民間でもそれがなされたということを聞かない。したがって、実際には、少なくとも消極的安楽死、間接的安楽死は行われているであろうのに、医師の手によるものであると否とを問わず、安楽死の実態は把握されていない。
 安楽死の事案が刑事裁判の対象になったのも10件未満で、そのうち医師が安死術を施したのは1件のみであり、かつ、そのすべてが違法とされて、合法とされたものは1件もない。
 学説上は、刑法理論上の一論点として、安楽死はこれを合法視する場合があるか、あるとして、その根拠、態様、要件は何かにつき、かねてよりさまざまな見解が飛び交い、未だ定説といえる見解をみない。どちらかというと、生命の短縮を伴わない本来的安楽死か、拡げても消極的安楽死、間接的安楽死までを合法視しようとする見解が強い。
 マスメディアも、安楽死についての知見の程度が低い。前述したように、1993年のオランダの法改正は、遺体処理法の一か条を改正し、従来すでに行われていた実務慣行としての医師による安楽死の報告を法的に義務づけただけであるのに、あたかも安楽死を全面的に合法化する安楽死法が誕生したかのようなミスリーディングな報道をしたし、また、安楽死は、犯罪構成要件的には、明白に犯罪行為であるのに、安楽死問題を記事にするときに新聞、テレビ等の多くが、「安楽死か犯罪か」というように安楽死と犯罪とを択一的に表現するなど、読者や視聴者に誤解を与えかねない報道の仕方をしている。
 安楽死についてのオランダとわが国との間にこのような大きな懸隔が生じている理由としては、次のようなことが推測される。
 1. 「安楽死」から連想される社会的弱者排除の危惧―積極的安楽死を肯認すると、(医師の)死への援助の義務化を招き、ひいてはその乱用により、ナチスの安楽死政策のように、生命軽視への道にくさびを打ち込み、重症の心身障害者や奇形児は生存に価しない生命として、安楽死の名のもとに、社会から抹殺するジェノサイド(大量虐殺)への道を開くことにならないかという危惧がある。すなわち、安楽死が認められると、それを望まない人に対してまでそれは実行されるのではないかとの危惧の念を持つ人々、とくに社会的に弱い立場にある人々から激しい抗議行動が生ずる。前述したオランダの安楽死のドキュメンタルテレビ番組が放映された際、同番組に登場した患者(安楽死者)と同一の疾病に罹患していた視聴者を中心に抗議が殺到したのは、この危惧感の表れである。
 2. 医療関係者の外部の干渉に対する拒絶反応―かつて医療の現場では、医師がすべてを決定することができたが、安楽死問題はそれを不可能にしかねない。安楽死が行われていることを実証的に検討するということは、医療の現場にメスを入れることを意味するが、これは医療関係者だけによって構築されてきた医療現場の秩序と聖域を乱すことになり、これには医療関係者の強い反撥が生ずる。インフォームドコンセント(IC)法理の導入により、医師が独断で患者の治療方法を決定するということがありえなくなっているが、日本ではなお、ICの導入それ自体に反対する医師が少なくなく、ICは判例法理にとどまっている。
 3. 医師・医療に対する社会一般の不信感―医師は社会的に高い位置に置かれ尊敬されてきたが、他方で、医師に対する漠然とした不安感を抱く者も少なくない。この不安感は二つの原因から生まれる。一つは、2.で述べたような、医師が独断で全てを決し、患者に十分な情報提供を行ってこなかった過去の経緯からして、医療関係者に対する不信感が根強く存在すること、二つは、人類が過去に経験したことのない領域に進みつつある現代医療の方向性それ自体に対する懸念である。
 これらは、安楽死の問題を、積極的に冷静な議論の場にのぼらせることを困難な状況に追い込んでいることを意味する。







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