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[6.0 自衛隊OBという「人財(ヒューマン・キャピタル)」を利用せよ]
6.1 商業価値を見出される元軍人たち
 欧米では冷戦秩序が崩壊して出来た「安全保障上の空白」を埋めるために、民間市場にいた元軍人たちがPMCを立ち上げたり、既に存在したPMCが元軍人たちを吸収してさらに発展する動きが出来た。これは多くの企業や個人が安全保障のアドバイス、政治リスクやテロ・リスクに関する情報収集や情勢分析、それに危機管理に関するコンサルティングを求め、世界中の小国が欧米の一流の軍事アドバイスや軍事訓練、それに戦略計画に関する助言を必要としたからである。経済のグローバル化が進み、危険で不安定な地域で活動する企業や政府機関の数が増えると、彼らはさらに安全保障に関するアドバイスを必要としたし、米軍のようになるべく軍事の中核業務だけに集中するために中核でない部門を民間にアウトソーシングしたいという動きも出てきた。さらには自国の力だけでは反対勢力を抑えることの出来ないような半分破綻した国家が、自国の安全と安定を確保するために、外部の力を必要としたのである。つまり世界に「安全保障上の空白」が出来たために、軍事にかかわるさまざまな技能や知識に対する需要が一気に増大したわけである。そしてこの「軍事にかかわるさまざまな技能や知識」を供給できる人たちは、当然軍という組織に所属していた人たちであり、「需要と供給」という経済の原理から、元軍人たちが営むPMCが成長していったのである。
 こうして見てみると、世界では「軍事にかかわるさまざまな技能や知識」が、民間市場においてごく普通の「商品」として取引されているという現実に気づくであろう。そしてこれは、「軍事にかかわるさまざまな技能や知識」を備えている元軍人たちに、商業的な価値が見出されているということに他ならない。つまり一般の人たちが「軍事にかかわるさまざまな技能や知識」を「お金を払っても買う」という時代になっているのである。
 日本がこうした世界のトレンドとまったく無縁かと言うと、そんなことはない。前述したように冷戦秩序の崩壊による「安全保障上の空白」は、我々目本人の安全をも確実に脅かしている。おそらくは自分たちが必要としているものが「軍事にかかわるさまざまな技能や知識」であるという意識はないものの、「安全」に関する助言や「危機管理」に関するコンサルティングを求める声は確実に大きくなっている。
 2003年10月5日付の「産経新聞」は、「911テロ事件以来、海外駐在員を狙った誘拐、テロへの対処だけでなく、オフィスビルの対テロ安全対策や企業内の不正会計の追跡まで、複雑化する危機に対する業務を請け負う米クロール社や英コントロール・リスクス社などの危機管理会社が、日本でも事業を拡大している」と伝え、欧米の「危機管理会社」が日本を新たな有望市場として捉えているとのニュースを伝えている。ここで出てくる「危機管理会社」は本稿で扱っているPMCの「安全保障企業」のカテゴリーに含まれる企業である。
 
6.2 リスク・マネージメントは経営者の責務
 そしてこれからの時代は、企業側が「安全」に関する助言や「危機管理」に関するコンサルティングを求める、求めないにかかわらず、こうした安全上のリスクにまで配慮するのが企業にとっての責務になっていく。その一つの兆候が「テロ保険」の出現である。欧米大企業の間ではすでにテロによる損害をカバーする「テロ保険」への加入が進められており、英ロイズ・グループなどは2003年、東南アジアを中心に数10億ドル単位のテロ保険を引き受けている。これからは企業がテロに対して適切に対応しなかった場合に、その経営者が株主代表訴訟を起こされ、その経営責任を問われる時代になっていくのである88
 またこの流れで言うと、最近イギリスやアメリカでは、上場企業は株主や投資家などに対して、企業に潜在しているリスクについて隠すことなく開示することが義務付けられている。特にアメリカの上場企業では定期的にリスクの開示が義務付けられているのである。「リスク」とは通常「危険」と訳されるが、その意味するものは「損失の発生が予期せぬときに不確実に発生する、偶然かつ外来的な事象」のことであり、企業にとってのリスクとは、「企業収益を著しく悪化させ、結果として株主利益(株価)をも損なう事象」のことである89。要するに企業の屋台骨を揺るがしかねないファクターのことで、こうした「リスク」を「開示しなさい」という欧米の流れは、やがて日本にも来ることはほぼ間違いなく、日本の企業も株価に大きく影響を与え、企業の利益に直接悪影響を及ぼすリスクをどれだけ排除・軽減できるか、つまり「リスク・マネージメント」に本腰を入れざるを得なくなるのである。コントロール・リスクス社が指摘しているように、今企業にとってもっとも大きなリスクは「ブッシュ政権が進める対テロ戦争」の行方であり、そのアメリカと共同歩調をとる日本の企業にとっても、この安全保障上のリスクは最大の懸念材料になると見てよい。
 このように「安全保障上の空白」によって「安全」が脅かされている日本の企業は、自らの企業、従業員、施設などの資産を守るためだけでなく、将来は安全保障上のリスクに対する取り組みを怠った場合、株主や投資家から責任を追及されるという二重の圧力から、その「空白」を埋めるべく「どこか」に助けを求めなければならないのである。
 
6.3 欧米型の安全保障コンサルティング企業を設立せよ
 日本企業の利益に直接悪影響を及ぼすリスクの中でも、政治的リスクやテロリズムのリスクなど安全保障にかかわるリスクにもっとも効果的に対応できる能力を備えているのは誰なのか。国際テロリストたちの行動パターンを研究し、彼らの能力を分析し、彼らに勝つための戦略を練るのは「軍人」の仕事である。企業が「安全」にかかわるさまざまなリスクを軽減させるための助言を得るのにもっとも適しているのは「軍人」である。このため欧米では軍人たちの経営するPMCがコンサルタントとして活躍している。欧米ではこのように「軍事にかかわるさまざまな技能や知識」を備えている軍人たちに、商業的な価値が見出されているのである。日本にもこのような技能や知識を備えている人たちがいる。他でもない自衛隊員である。しかし我が国では彼らの持つ能力に「商業的な価値」を見出す風潮は今のところ見られない。
 米PMCの大手MPRIのバイス・プレジデントをつとめたエド・ソイスター氏は、「我々軍人たちの持つ能力は、アメリカ国家にとっての資産(asset)なのだ」と筆者に話してくれた。「国家が国民の税金を我々に投資して、国を守り、人を守る技術と能力をつけさせた。その資産を最大限有効に活用しようと思えば、我々が軍を退役した後も、この能力を使って働ける場を作るのは当然のことだろう」と。
 日本でも自衛隊員の持つ能力を国家の「資産」として考える姿勢が必要なのではないか。あるコンサルタントから「人材ではなく人財(ヒューマン・キャピタル)と呼ぶべきだ」という話を聞いたことがあるが、「軍事にかかわるさまざまな技能や知識」を備えた自衛隊員は、さまざまな安全保障上のリスクを抱える現在の日本にとっては、まさに貴重なヒューマン・キャピタルではないだろうか。我々が税金を投資して育てたこのヒューマン・キャピタルを、日本人と日本企業の安全を守るために最大限有効活用するのは、きわめて合理的な考えではないだろうか。
 日本の企業は上述した理由から、「安全」にかかわるリスクを軽減させるためにプロの助言を必要としている。自衛隊OBたちがPMCを設立してこの役目を引き受ければ企業の役にも立つし、ビジネス的にも運営は可能ではないだろうか。PMCと言ってもこの場合、第3章の分類で言えば「安全保障企業」にあたる。外国人犯罪の増加などで一般的な警備・警護に対する需要も急増している現状から考えれば、形態としては警備事業法に基づいた警備会社にし、業務としては通常の警備会社が提供する警護・警備サービスから国際的なテロ対策や国際政治・安全保障リスクに関するマネージメント、紛争地域における邦人警護など「軍事」の能力を最大限に活かしたサービスの提供が望ましい。従来警備事業は、警察出身者による、警察の能力を活かしたサービスが多かったが、昨今の国際テロはすでに警察の能力を超えて軍事問題となっている。自衛隊は日本国家の屋台骨を揺るがしかねない潜在的なリスクを排除するのがその究極の目的である。そのために日々訓練を重ねている。そうであるならば、企業の屋台骨を揺るがしかねないリスク対策に、彼らの能力が応用できない理由はない。
 テロ対策や安全保障問題だけでなく、取引先やパートナーの背景調査や政治・経済・競合他社に関する情報収集や分析など、企業にとっての総合的な情報担当としても力を発揮できるのではないか。またゲリラ活動の蔓延などで治安の悪い地域で、地元の有力者や闇の実力者などとの微妙な交渉事にも彼らの力を活用できるかもしれない。石油企業や商社などはそうした「裏」の仕事を請け負う存在が必要なはずだ。このような仕事を一手に引き受けることの出来る自衛隊出身者からなる安全保障企業が出来れば、国際的に活動する日本企業にとって頼もしい存在となろう。
 またこのような企業が存在すれば、日本政府にとっても有益なはずである。米MPRIやダイン・コープが米政府が表立って出来ないことを「政府に肩代わりして」いることを考えれば、こうした企業があれば政府に代わって隠密ミッションを遂行することも出来るだろう。例えば今回のイラクへの自衛隊の派遣でも、表立って自衛隊の専門調査団を派遣できないときに、このような民間企業に委託して、密かに事前の根回しをすることも出来よう。「秘密活動はよくない」などと言う輩もいるだろうが、このような表と裏、上部構造と下部構造をうまく使い分けながら外交や政治を展開するのが世界の常識である。日本の外交を強くし、日本人の安全保障を高めるためにも、このような民間の働きは重要である。
 
6.4 地方自治体の危機管理は自衛隊OBに任せよ
 自衛隊出身者を日本にとってのヒューマン・キャピタルと位置付けて、日本人の安全保障を高めるための方策を考えるとすれば、彼らを企業だけでなく地方自治体などの危機管理専門家として採用することも望ましいであろう。実は阪神大震災以来、そうした方向には進んでおり、現在各都道府県に1名くらい自衛隊OBを防災課のような部署に採用しているところが多い。たいていは課長レベルの採用になっており、地震などの災害が起きた場合の自衛隊と自治体の連絡係、調整係そして防災訓練の企画や運営などを任されていることが多い。しかしたいていは「防災」という枠内に留まっており、彼らの持つ軍事のノウハウが本当の意味で活かされているとは言い難い。
 自然災害は自治体が抱える安全保障上のリスクの一つに過ぎず、テロ対策を含め「安全」にかかわるリスクのトータルなマネージメントを、自衛隊OBによるPMCに委託してはどうか。北海道などでは不審船の進入を想定した消防、警察、自衛隊共同の訓練などが実施されており評価できるが、こうした取り組みをなるべく多くの自治体へ広げる必要があるだろう。万が一テロが起きた場合に住民はどこにどうやって避難するのか。どこの道路をどこまで封鎖するのか。家族とはどうやって連絡をとるのか、などなど具体的なシュミレーションを含めた対策は、自衛隊の能力を抜きには立てられないだろう。それこそサリン事件のようなテロ事件が起きたとき、対応できるのは日本で自衛隊しかいないのだから。
 日本人の安全保障上のリスクを軽減させるためにも、地方自治体は危機管理の分野で自衛隊OBの持つ能力をもっともっと活用すべきである。
 
6.5 まとめ
 日本が現在脅かされている「安全保障上の空白」を、国家はすべて埋めることは出来ない。そうであるならば、民間でその穴を埋めなければならない。民間でその穴を埋めることが出来る能力を備えているのは自衛隊出身者であり、彼らの存在を「ヒューマン・キャピタル」と位置付けて、最大限活用するのが合理的な道である。企業の「安全」にかかわるリスクを軽減させるための戦略的なコンサルティング、市民の安全を守る警備、紛争地や危険地域で活動する邦人や施設の警備、地方自治体の総合的な危機管理を請け負うコンサルティング、そして政府が表立って出来ない国外での隠密任務の遂行など、彼らの能力はもっともっと日本人の安全のため、日本国家を強くするために活用できるはずである。また自衛官が退官してからも、民間で現役時代の能力を活かした仕事が出来るという環境が整えば、現役の自衛官の士気も高まることは間違いない。
 欧米におけるPMCの事例から、我々は自衛隊OBというヒューマン・キャピタルを民間で活用する道があることを学んだ。日本人の安全が脅かされている。「軍国主義の復活」などという寝言を聞いている暇はない。この時代に彼らが持っている価値を認め、積極的に民間で活用する受け皿をつくるべきである。PMCという新しい民間企業の枠組みを活用し、一刻も早く日本人の安全保障を高める新しい道を切り開くべきである。
 

88 「イラク派兵でうごめき始めたテロリズム保険」(WEDGE、2004年2月号)
89 マーシュ・ジャパン株式会社、マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティング株式会社著「明日のリスクは見えていますか?」(文芸者、2002年)pp. 46-50







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