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第5章 戦略と提言
1. ゆがんだ対台湾政策
 折り込みのアジア経済力地図が示すように、東アジアにおける台湾の存在は意外に大きい。そして本来なら、経済の大きさは外交にも反映されることが自然の姿であろう。しかし、“アジア政治地図”の上では、台湾は存在しないに等しい。その不自然さは、台湾を独立した政治単位とみなすことを拒否する中国の政治圧力に、他の諸国が屈しているために生じている。とりわけ日本を含め、アジア諸国は、2250万の台湾人が国際社会で孤立させられている現状を改善したいと願っている。そこでまず、日本がその方向で先導者の役割を果たすことの是非、功罪を考えてみたい。
 
《受身外交からの脱却》
 戦後の日本政府及び与党は、長期的視野に立つ日本外交の基本原則を明示したことはなかった。いわゆる平和憲法前文の「国際社会において名誉ある地位を占めたい」とする理念と同第9条の武力放棄条項は現実の国際政治には通用しない、たんなる空念仏にしかすぎなかった。しかし、戦後の日本外交は冷戦下、つねに米外交に包み込まれて、独自外交を展開する余地に乏しく、緊張感を欠き、自然と受身外交の慣習が身についてしまっていた。
 冷戦後、日本は独自外交路線を確立する自由度を獲得したのに、そうしなかった。相変わらず、米欧や中露の外交攻勢に反応するだけの外交に終始している。そして、その受身外交は日本国家の尊厳を貶め、軽蔑の対象にすらなっている。21世紀を迎えたいまこそ、受身外交から脱皮するよい機会である。
 日本が積極外交に転ずるに当たり、まずあるべき「21世紀日本外交の原則」を確認しておきたい。それは、戦後半世紀にわたって培われた自由・民主主義、平和共存の理念を基盤とする、次の4原則に集約されるだろう。
(1)日米安保条約が機軸−米英主導によるイラク戦争で、日本人の国連信仰がゆらいでいる。日本の安全を託すべきは国連よりは日米安保条約であり、日米信頼関係である。
(2)アジア太平洋地域諸国との協力強化−戦後、日本がこれら地域の経済発展に貢献してきた実績を生かし、地域諸国の自由と民主主義をいっそう促進させるために、積極的に寄与すべきである。経済発展と社会の自由化・民主化は裏腹の関係にある。一方、社会主義市場経済と称する中国は、共産党独裁の旗を降ろしていない。アジア太平洋地域における平和秩序確立のために、米国と協力して中国の政治民主化を促すことは、日本の使命といえるだろう。
(3)非核・軍縮路線−この路線は日本の戦後外交における比類のない実績である。核兵器廃絶は困難としても、その削減へ向けて国際世論を動かし、武器輸出を自制している立場から武器輸出大国に対しても、その輸出抑制を働きかけるなど、非核・軍縮路線を21世紀の倫理的指導理念として打ち出し、世界をリードすべきである。
(4)日本民族固有の歴史と伝統の堅持−国際化時代、とは言っても、欧米の価値観と日本のそれとは異なる。日本には2000年にわたって培われてきた、民族固有の宗教観、そして歴史と伝統がある。これを次世代に引き継ぐだけでなく、むしろ、その日本の美徳を世界に広げることを考えてもよい。欧米のキリスト教価値観とイスラム世界の価値観が衝突している。一神教の宿命である。多神教的日本の、ないしは東洋の価値観・理念、たとえば競争よりも調和と共生を、といった考え方が新たな世界秩序構築に役立つだろう(李登輝台湾前総統によれば、新渡戸稲造の「武士道」の精神)。日本精神と呼ばれる理念を堂々と打ち出すことが、国際社会で日本が自信を取り戻し、尊敬を得る道につながる。
 以上の原則を踏まえ、積極外交を展開する場として、日本と台湾の関係を取り上げたい。
 
《非情な台湾切り捨て》
 台湾は日本に最も近い隣国の一つであり、この国民ほど親日感情を持っている国は他にない。にもかかわらず、日本政府は1972年、台湾の中華民国と断交、大陸を支配した中華人民共和国と国交を開いた。以後、台湾とは公的な関係はない。しかし、東京には台北駐日経済文化代表処、台北には交流協会が設置され、ビザ発給も行い、非公式ながら大使館・領事館機能を果たしている。もっとも、日本政府は台湾の要人に対して、容易に入国ビザを出そうとしない。
 「台湾は中国の一部」とする北京政府の主張は、実態を伴わず現実味に乏しい。台湾には中華人民共和国の支配はただの一度も及んだことがない。しかし、中国政府は、1999年の台湾中部大地震の際は、世界各地からの救援申し出、義捐金などについて、中国政府を経由せよ、と声明し、2003年春の台湾のSARS(急性重症呼吸器症候群)騒動でも中国は台湾のWHO(世界保健機関)への直接アプローチを拒否した。台湾を統治しているとの虚構の世界を他に押し付けてきたのである。
 
2. 日本の遺産
《ゆがめられた歴史観》
 極東軍事裁判で連合国は、第二次世界大戦を日独伊など枢軸国の侵略に対する連合国側の正義の戦争と規定、台湾統治、朝鮮併合も日本の侵略として断罪した。日本国内のいわゆる進歩的文化人や左翼陣営、日教組なども極東軍事裁判史観に同調して保守政権攻撃の“錦の御旗”としたものである。その結果、日本の台湾、朝鮮半島統治も植民地主義として非難された。
 その極東軍事裁判史観に縛られ、朝鮮、台湾に対するいわゆる植民地統治の功罪を日本政府も国民一般も、客観的に評価する努力を怠っているのではないか。確かに、清国からの台湾割譲や朝鮮併合は今日の国際ルールからすれば、そして、台湾住民、朝鮮住民からすれば、外国人による異民族統治であり、正当化できるものではない。しかし、日本の行動の当否は当時の国際環境の視点に立って判断しなければならない。
 当時は欧米列強による弱肉強食の中にあって、日本はその国家の存亡をかけて苦闘していたのである。日本とタイを除いて、アジア全体が欧米、すなわち米国、英国、ロシア、ドイツ、スペイン、フランス、オランダ、さらにはポルトガルの植民地にされていた。したがって、日本の侵略、植民地主義の非を難じるならば、それら欧米諸国も日本と同等か、それ以上の非を認めなければならない。極東軍事裁判は戦勝国の侵略・植民地主義は不問にして、敗戦国だけを裁く、裁判の名に値しない報復行動だった。
 
《親日国は日本の大切な遺産》
 もちろん、だからといって日本の台湾、朝鮮の統治が美化されるものではない。その歴史的負い目は甘受しつつ、統治の実態を振り返ってみる。
 台湾では日本統治時代、日本語が強制され、霧社事件などいくつかの反乱事件も起きたが、統治時代を知っている台湾の老人たちの対日感情は驚くほどよい。それは、たとえば、10年に及ぶ治水事業で15万ヘクタールの灌漑地を造成した八田與一や、土地の住民から慕われた警官、教師など献身的に台湾に尽くした日本人が台湾人の心を開かせたのであり、その遺産が現在の台湾人の親日的な空気を今に伝えているからである。
 とはいっても、かつて日本人として生き、日本に親近感を抱く台湾の日本語世代は次第に舞台から退きつつある。大陸から中共軍に追い出されて台湾に逃れた国民党の蒋介石政権時代、日本語が禁止されて反日教育が行われたことと、1972年の日台断交により、日台関係が疎遠になったこともあって、中年から下の世代は日本語ができず、日本への関心もこのままではうすらぎかねない。
 フィンランド、ポーランド、トルコなど歴史的な親日国は日露戦争で日本が勝利したことに起因している。これら諸国は帝政ロシアに侵略され、国土を奪われるなど、ともに苦しんだ歴史を持っている。
 日本周辺では、日本が第二次世界大戦を戦ったおかげで早期独立することができたインドが大変な親日国である。そして、それ以上の親日国が隣りの台湾なのである。いわゆる植民地統治を行い、皇民化教育を強制したにもかかわらず、である。このプラス遺産は何物にも代えがたい貴重な宝である。
 司馬遼太郎の『台湾紀行』で紹介された「老台北」こと蔡焜燦氏はその著書『台湾人と日本精神』の中で次のように述べている。
 「台湾人の祖先は、数百年前に大陸からやってきた漢民族だった。その後、台湾島に暮らす南方系原住民と通婚を重ねながら独自の文化を築き上げ、独特の民族性を育んできた。そしていまからおよそ百年前、日本統治時代の五十年間に受けた教育によって、中国人とは異なる倫理観を会得した民族が“台湾人”なのである」
 
3. 日台関係強化戦略
 日台関係強化は、21世紀日本外交が従来の受身・あいまい型から積極外交への明確な転換を示す最も効果的な戦略の一つとなるだろう。その戦略は、日台FTA(自由貿易協定)締結交渉、台湾のWHO(世界保健機関)参加への根回し、さらには台湾国連加盟積極支援活動をも視野に入れるべきものである。日本政府がそうした行動をとった場合、日中関係は悪化するだろう。長年、国家間の緊張を避けたがり、妥協と先送りをこととしてきた日本の政治家や外務官僚が、容易に踏み切れない発想である。
 さて、日本がそのような積極外交を決断した場合、想定される事態はどうか。日本の国益についての功罪、中国の反発や対抗手段がどれほどのものか、日本の反撃手段はあるとしたらどれほどのものか? アジア太平洋地域において、日本の積極外交がどのような影響をもたらすか。少なくとも外務省は絶えずそのようなシミュレーションを繰り返していなければならない。それがプロたる外交官の務めだからである。
 たとえば、次のようないくつかのイニシアチブを試みるとどうなるだろうか。
(1)李登輝前総統夫妻に無条件で入国ビザを発給する。この場合、中国の非難は無視してよい。李氏を迎え入れた米英、そしてチェコの先例によれば、中国は形だけの抗議にとどめている。陳水扁総統の米国入国では格別のことは起こらなかった。
(2)台湾、香港とFTA 交渉に入る。WTO(世界貿易機関)の枠内での交渉である以上、中国の抗議には、WTOに苦情を言え、と突っぱねる。
(3)台湾のWHO参加実現のための根回しを積極的に行う。SARS(重症急性呼吸器症候群)騒ぎの後、中国は台湾のWHOオブザーバー加盟を拒否した。国境を越えた問題を中国は政治化したのである。来年の加盟申請には、日本の安全にかかわるこうした問題で、中国の横暴な言動を許してはならない。
 以上のケースなら、中国も形式的な対抗手段で済ませるだろう。次は、台湾の国連加盟支持問題である。
(4)毎年、台湾と国交のある中南米諸国によって、台湾の国連加盟申請が行われ、毎年、議題として採択されずに却下されている。時期を選んで、日米、そしてヨーロッパなどが事前に談合して、台湾加盟工作を推進する。その際、台湾加盟は台湾独立を意味するものでも、将来、中国との統合を妨げるものでもないことを説明する。東西ドイツそれぞれが国連に加盟していたが、それはドイツ統一の妨げとはならなかった。また、北朝鮮と韓国は双方、「南北統一」の旗を掲げながら、ともに国連加盟国である。
 さて、中国はどう出るだろうか。安全保障理事会の承認がなければ、台湾は国連に入れない。そして中国は拒否権を行使するだろう。しかし、たとえ台湾の国連加盟が拒否されたとしても、国連総会の議論を通じて、中国の不当さが公になることに、意味がある。
 2250万の人口を擁し、世界第17位のGDP(国内総生産)を誇り、世界の安定と平和秩序に寄与したいと願っている台湾を国連から締め出している不自然さは、万人が認めるところであろう。日本政府は適切な機会を捉えて、欧米諸国との共同歩調のもと、台湾の国連への復帰が実現できるよう、積極的な外交戦略を練っておくことは必要である。
 21世紀日本の新たな外交を確立し、それが世界の日本に対する畏敬の念を呼び覚ます効果をもたらすよう、効果的な戦略として、台湾との関係強化を積極推進することを以下6項目に絞って提言する。







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