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結論
 やむを得ず採用した「専守防衛」策がいつの間にか国家の安全保障、防衛の基本政策になり、“国是”といわれるようになって、批判することがタブー視されてきた。北朝鮮の核武装への動きが、図らずもこの「専守防衛」策見直しの契機となった。日本のあらゆる分野で「これまで恙なく過ごせたから、今後も現状を変える必要はない」との惰性的な態度が横溢している。特に安全保障分野では、この傾向が甚だしい。だが、万古不易の“政策”などはあり得ない。すべての政策は内外情勢の関数であるからだ。ある時点で最適の政策も、内外情勢が変化すれば最悪の政策になることがある。政策は内外情勢の変化に応じて変更することが必要であり、「専守防衛」策はその代表的なものである。
 また、成文憲法を聖典視し、それに合致していればよいとする傾向も強い。しかし、憲法を含むあらゆる法は、手段であって目的ではない。国家が存続していて初めて、成文憲法も効力を持つのである。それゆえ、我が国の国家学、憲法学に大きな影響を与えたG・イエリネックの指摘しているように、「あらゆる法は、国家の存在という事実にその越えるべからざる限界をもつ」のである。51今必要なのは政策論議であって、憲法解釈論議ではない。
 さらに、大東亜戦争(米国の呼称は「太平洋戦争」)時の戦争体験と、その後の米国を始めとする連合軍の占領下での米国流歴史解釈を基準に防衛問題を考えることは不毛であり、国家の前途を危うくする。フランスの社会思想家、A・トクヴィルの指摘しているように「歴史から誤った教訓を引き出すことは、歴史を無視するよりも悪い」といえる。
 また、防衛問題、安全保障問題を論議する際に何時も持ち出されるのは、米国やアジア諸国の反応である。国際世論を無視すべきではないが、それを最も重視して政策を決定するのは自殺行為である。国際世論は、必要があれば働きかけて変更すべきものである。我が国では、外交・安保政策策定に中国の顔色を窺う習性がある。しかし、中国など諸外国が日本の安全に責任を持ってくれるはずはない。それどころか、情報戦の一環として他国の世論に働きかける「積極工作」という方法が、古来用いられてきた。その点で、古代チャイナの『十八史略』には教訓に満ちた、以下のような話が載っている。
 秦は韓を破った勢いで趙国を攻めたが、廉頗(れんぱ)という有能な将軍がいたため攻めあぐんだ。そこで秦は趙王の奢に括という兵法好きの息子がいるのを思い出し、積極工作員を趙国内に送り込み、「秦は兵法の大家である趙王の息子、括が司令官になって軍を率いるのを恐れている」との噂をばらまいた。それを伝え聞いた、親ばかの王は、母親や宰相の「括は兵法書をよく読んでいるが、実戦経験がないから」との反対を押し切って括を司令官に据えた。ところが、案の定、括は秦の白起将軍率いる軍に敗れて殺され、部下の兵40万人は生き埋めにされたという。国際世論なるものを重視して外国や外国人の主張に従っていると、趙と同じ目に遭うこと請け合いである。
 国家の安全保障確保に安楽な王道はない。諸外国同様の方法で、政治目的と調和しながら軍事的合理性を追求することが肝要である。「専守防衛」策は、著しく軍事合理性に反する政策であり、21世紀の国際社会での国家の安全保障政策、防衛政策として不適である。諸外国と同様に、国家の安全は自衛力を主体にして、足らざるを同盟による軍事支援に頼る方法を採用すべきである。そのために必要なことは『国防の基本方針』の改定であり、「専守防衛」策の放棄である。
 
著者紹介
 
吉原恒雄
 1940年、大阪府生まれ。関西学院大学経済学部卒業後、時事通信社入社。政治部記者、海外部次長、編集局デスク兼時事総合研究所研究員などを経て、1995年、県立広島女子大学国際文化学部教授。1999年より拓殖大学国際開発学部教授(国際政治学、安全保障論、日本政治論)。
 

51 『一般国家学』(学陽書房)p.290.







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