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3. 憲法解釈と自衛権への誤解
国際的に通用しない政府の自衛権解釈
 「専守防衛」策は「憲法の精神を踏まえたもの」と説明されている。このため「専守防衛」は、現行成文憲法絡みで自衛権についての誤った解釈によって生み出されたという面もある。政府の有権解釈は「憲法第9条は独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではございませんで、自衛のための必要最小限度の武力を行使することは憲法第9条のもとにおいても認められておりますし、自衛のための必要最小限度の実力の保持は同条によって禁止されていない」というものである。16
 そして自衛権発動の条件として(1)我が国に急迫不正の侵害がある、(2)これを排除するために他の適当な手段がない、(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべき−ことの3点を挙げている。17もっとも、自衛権の及ぶ範囲として、領土、領海領空に限らず「自衛権行使の限度内での公海、公空に及ぶ」としている。18だが、保有が禁止される兵器として「性能上、専ら他国の国土の壊滅的破壊のためのみ用いられる兵器(例えば、ICBM、長距離戦略爆撃機等)については、いかなる場合においても、これを保持することは許されない」との見解を打ち出している。19
 簡単にいえば、この有権解釈は憲法上では自衛権しか認められていないから、自衛隊の保有できる兵器や行使手段、戦略・戦術が制約されるというものである。従って、現行憲法下での防衛政策は「専守防衛」しかないということになる。しかし、現在の国際社会−国連体制下では、いずれの国家の武力行使も大幅に制約されており、自衛権行使と集団的武力制裁に限定されている。これは日本だけではないのである。
 この自衛権(right of self-defense)を解釈する際は、以下の諸点に注意する必要がある。第1に、自衛権は国内法(刑法)上の正当防衛権に由来しているが、本質的には国際社会の概念である。その解釈は国際社会の通説に従うべきであり、その行使に際しては国際法を遵守すべきである。第2に、自衛権も一種の権利ではあるが、民法上の権利とは大きく異なる。民法上の権利は、債権者は債務者に契約履行を要求する権利があり、債務者はそれに従う義務がある。だが、侵略国は被侵略国が自衛権を行使しても、それに従う義務は全くない。自衛権といわれるが、それは寛恕(excuse)に近いものであるからだ。
 第3に、自衛権の行使国に恩恵が与えられ、侵略国家にハンデが課されるわけではない。侵略国、自衛国のいずれも、同じ国際武力紛争法(International Law of Armed Conflict)<戦争法(Law of War)・戦時国際法(International Law of War)>というルールに従って戦うことになる。
 
“必要最小限”なる条件はない
 政府の自衛権に関する有権解釈は、刑法上の「正当防衛権」そのままである。国内社会では法の支配が確立しているために正当防衛権の行使は大きく制約されているが、その代わり国家権力によって違法者に制裁を課してくれる。ところが、国際社会では、“世界政府”ないしは“国際権力”に相当する国際権力機関は存在しない。集団安全保障体制である国際連合は存在するが、その中核機能を果たす正規の国連軍はこれまで一度も編成されたことがない。衆目の一致するところ、今後も編成される可能性は全くない。従って、国家の安全確保は、自力救済(self-help)か同盟国による軍事支援に依存するしかないのが現状だ。いずれにしろ、自衛権行使には正当防衛権に課せられているような厳しい制約はない。
 自衛権行使の際の制約は、一般国際法(慣習国際法)上では(1)緊要性(necessity)の原則の遵守、(2)比例性(proportionality)の原則の遵守、(3)国際武力紛争法の遵守、(4)原状回復を超えての行使の禁止−の4点が条件とされている。集団的自衛権の行使については、同盟条約の有無に関係なく、被攻撃国の支援要請が必要との国際司法裁判所の判決があるが、支援要請の必要はないとの有力な解釈もある。国連憲章上では(1)武力行使の発生(armed attack occurs)、(2)国連安保理が国際社会の平和と安全の維持のために必要な措置をとるまで、(3)自衛権行使国はその行動を安保理に報告−の3点が行使条件とされている。20
 有権解釈ではしばしば「必要最小限」なる表現が使われているが、これは憲法上の表現ではない。諸外国の国際法学者で、日本政府が使っているような意味で「必要最小限」との表現を用いて自衛権を説明するものはいない。国際法学者の間で最も権威があるとされる『ENCYCLOPEDIA OF PUBLIC INTERNATIONAL LAW』は、自衛権について「許容される武力行使は必要最小限に制限するというのが国連憲章51条の解釈に要請されている」と、「必要最小限(necessary minimum)」という表現を使っている。だが、この意味はその直後に触れている通り、「自衛は原状の回復に制限され、自衛権行使の際に採用される諸手段は、それによって自衛権が生じた侵犯に、必要にして比例したものでなければならない」ということである。21前記の一般国際法上の条件を「必要最小限」という表現で説明しているに過ぎず、日本政府のように保有軍備・兵器や防衛政策・戦略に制約を課すような意味を持たしているわけではない。
 
先制自衛権を認める有力学者の解釈も
 また、我が国の外務省は国連憲章第51条の「armed attack occurs」を「武力攻撃が発生した場合」と過去形に訳しているが、これは誤訳というべきである。憲章の規定を過去形にしなかったのは、武力攻撃が切迫している場合も含むためである。なお、憲章51条の解釈については、英国のボウェット教授や米国のマクドーガル教授のような米英両国を代表する国際法の権威が、「武力攻撃」は自衛権行使の唯一無二の条件ではなく例示に過ぎないなどとの解釈を踏まえて、先制自衛(anticipatory self-defense)を容認している。22
 要するに自衛権は「個別的、集団的自衛権を行使する国に、正義の戦争を行い、これを勝利に導き、かつ敗れた侵略国に平和条約を課す権利を与える」(クンツ教授)だけである。23つまり、それは単に権利を付与されるだけであり、侵略国撃退を保障しているわけではないのである。もし自衛権の行使であるがゆえに、日本政府の解釈のように軍事政策・戦略や保有可能な軍備・兵器に制約が課されるとしたら、国際武力紛争法以上に何の制約も課せられない侵略国は必ず勝利することになる。これでは国際法は自衛権行使国の手を縛り、侵略国に味方することになる。自衛権の行使については、現実の国際社会では柔軟に運用されており、日本政府のような制約的解釈をしている国や学者はいない。このため、憲法上、自衛権の行使しか認められていないとの立場から、「専守防衛」策以外の政策はとれないとの見方は根拠がないといえる。
 いずれにしろ、日本政府は「必要最小限」なる日本独自の制約を自衛権行使に課し、その結果、自縄自縛となっている。あらゆる権力を行使する場合には、自制とともに道徳的配慮が必要である。しかし、それは政策策定や行動の際に指導者が心得ておくべきことであって、法で定める問題ではない。
 
4. 惰性が「国防の基本方針」に反映
“自衛”ではなく“他衛”が『国防の基本方針』
 警察予備隊、保安隊は基本的には治安維持機関であったが、自衛隊は治安維持任務を副次的に持っているものの、基本的には「侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務」としている「防衛機関」−軍隊(armed force)である。ちなみに、いずれの国家の軍隊も副次的任務として治安維持任務を課せられている。この自衛隊は1954年(昭和29年)7月1日に発足したが、国家防衛に関する基本政策の策定が遅れたのは、首相を防衛問題で補佐する国防会議の発足が遅れたからである。国防会議の発足を受けて1957年(昭和32年)に『国防の基本方針』が定められた。再建した国軍の基本戦略を定めるのに大した議論もなかったのは、「その年(1957年)の2月25日に成立した新内閣の首相、岸信介氏が、東南アジア6カ国と米国を訪問するというスケジュールのため」だったという。つまり、“訪米みやげ”のため、決定を急いだのだ。24
 1957年(昭和32年)に国防会議、閣議で決まった『国防の基本方針』は短い前文と4項目の方針で成り立っているが、重要なのは以下の第3、4項目である。
三、国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。
四、外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。
 この『国防の基本方針』を分かりやすくいえば、効率的な自衛力を漸進的に整備するものの、国家の安全は安保条約に基づく米国の軍事支援を主とし、自衛隊を従として確保するということである。国軍再建後、あまり年月が経過していないこともあって、防衛力が脆弱であった点を考慮しても、一国の安全保障政策、国防政策の基本指針・戦略としては異常な内容である。
 
自衛隊の攻撃機能欠如の理由
 国連体制の下でも、加盟国の安全は個別的、集団的自衛権(同盟)、集団安全保障機能の3本立て守る建前になっている。ところが現実には、国連の集団安全保障機能を担う正規の国連軍は一度も編成されたことはなく、今後編成される可能性も皆無である。従って、独立国家の安全は先ず個別的自衛権の行使で守り、足らざるところを同盟国の支援で補うというのが国際社会の現状である。それにもかかわらず、このような異常な内容になったのは、占領体制下の惰性と「専守防衛」思想が反映したためといえる。同時に、これは米国の対日戦略にも合致していた。
 1958年(昭和33年)からの4次にわたる「防衛力整備計画」、1978年(昭和53年)からの「防衛計画の大綱」、1996年(平成8年)からの新「防衛大綱」や、「防衛計画の大綱」の裏付けとされた“基盤的防衛力構想”および「大綱別表」のいずれも、この「専守防衛」が反映した『国防の基本方針』を踏まえたものである。それは現在に至るも一度も改定されたことはない。このため、自衛隊には、未だに弾道ミサイル、爆撃機など攻撃能力がない状況が続いている。
 ところが、国家の安全は主として米軍によって確保する『国防の基本方針』を堅持する一方で、日米間の防衛協力体制は全く確立していなかった。米国と西欧諸国の間では、北大西洋条約(NATO)の具体的な裏付けとなる体制が確立しており、それを受けて常設の統合軍を編成し、統合司令部(joint command)も存在している。だが、日米間には「日米安保条約」という紙切れがあるだけで、安保体制はむろん、米韓間にあるような連合司令部(combined command)さえ存在しない。
 坂田防衛庁長官の就任によって漸く日米防衛協力が政治課題となり、1975年(昭和50年)頃からやっと米側と日米防衛協力の話し合いが始まった。この結果、日米当局者間で、1978年(昭和53年)に「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」に合意した。この中で、日本への武力攻撃があった場合、「自衛隊は主として日本の領域及びその周辺海空域において防勢作戦を行い」、「米軍は自衛隊の能力の及ばない機能を補完するための作戦を実施する」ことを確認した。「自衛隊の能力の及ばない機能」とは、攻撃能力のことである。「補完」という表現を使っているが、自衛隊には攻撃能力が欠如しているので、現実には攻勢作戦は専ら米国が行うことになっていた。ここでも「防勢は自衛隊、攻勢は米軍」という基本は不変であった。
 つまり、第二次世界大戦後の日本では独立国家として自国の安全を“主として”自衛力で守ることは、一度も目標とされたことはない。換言すれば、今日、世界で第3、4番目といわれる防衛費を支出しながら、米軍の支援がなければ独力で国家防衛ができない状態にあるのだ。それは規模の問題ではなく、機能面での能力欠如に基づくものである。
 
5. 「自主防衛論」への弁解
裏目に出た自主防衛論
 この『国防の基本方針』−「専守防衛」策に異を唱えたのは、佐藤内閣の防衛庁長官(当時)だった中曽根康弘氏(後に首相に就任)だけである。同氏は改進党出身であり、保守合同後の自民党では“保守傍流政治家”と位置付けられている。改進党自体が「自衛軍」の名称にこだわるなど再軍備に積極的な政党であったが、中でも中曽根氏は防衛問題に一家言を持っていた政治家であった。その主張は「自主防衛論」という表現で知られている。同氏が、“他主防衛”を表明しているに等しい『国防の基本方針』の改定に行き着くのは理の必然である。
 時あたかも、ニクソン・ドクトリンが発表され、米国は自助努力をしない国を支援しない方針が打ち出され、これにつれ、在日米軍も削減が開始された時期であった。防衛庁長官に就任した中曽根氏は自主防衛論を改めて展開し、それに沿って『国防の基本方針』の改定を唱えた。しかし、野党はむろん、与党の自民党内にも保守本流政治家を中心に反対論が強かった。その理由は“平和主義”や非武装論を踏まえたものから、米国やアジア諸国への気兼ねまで様々だった。自主防衛論−『国防の基本方針』改定への保守本流政治家の反対理由は、米国に対日不信感を持たせるというものだった。それは自主防衛がナショナリズムの盛り上がりを招き、当時の安保条約延長をめぐる反米思想の高まりもあって、米国から「日本の米国離れ」と思われかねないというわけだ。
 
「専守防衛」の言葉だけが残った自主防衛論
 そこで中曽根氏は米国など諸外国から誤解を招かないようにするため、1970年(昭和45年)3月23日の参議院予算委員会で、「自主防衛5原則」を打ち出した。その骨子は(1)憲法を守り国土防衛に徹する、(2)防衛・外交の調和一体化をはかる、(3)文民統制を徹底する、(4)非核3原則を堅持する、(5)日本の防衛は安保体制で補完する−である。さらに、同年10月に第一回の『日本の防衛』(防衛白書)を出したが、この中で「専守防衛を本旨とする」ことを銘記した。政府文書で明確な形で「専守防衛」という表現が用いられたのはこれが初めてであり、「専守防衛」という“言葉”が国民の間に定着する契機となった。
 中曽根氏が「自主防衛5原則」や、「専守防衛」の表現を記載した「防衛白書」を発行したのはほかでもない。自主防衛体制を確立する目的で、つまり諸外国と同じように国家の安全は主として自衛力で確保するという体制を作るため、『国防の基本方針』を改定することに狙いがあった。ところが、事志と違って『国防の基本方針』の改定はならず、5原則や「専守防衛」の言葉だけが残ってしまい、その後の日本の防衛体制確立の足を引っ張る結果になったのである。
 なお、竹田五郎・統幕議長が退官直後の1981年(昭和56年)2月に『宝石』誌の対談で、「専守防衛では日本を防衛しにくい」として、「専守防衛」批判をしたことがある。だが、最高ポストに自衛官だった人物の問題提起も無視されて、今日に至ってしまった。
 

16 1986年(昭和61年)11月20日、衆議院内閣委員会での味村法制局長官答弁。
17 森清議員の質問主意書に対する政府答弁書(1985年[昭和60年]9月27日付)。
18 春日正一議員の質問主意書に対する政府答弁書(1969年[昭和44年]12月29日付)。
19 小林進委員要求に対し、政府が衆院予算委員会の提出した資料(1978年[昭和53年]2月14日付)。
20 拙文「『集団的自衛権行使違憲論』批判」(『広島女子大学国際文化学部紀要』新輯第1号、1996年[平成8年]2月、広島女子大学)。
21 (4)<N-Z>pp.213〜124.North-Holland Publishing Company.1982.
22 D.Bowett, “Self-Defence in International Law”, University of Manchester. pp.187〜192. M.McDougal & F.Feliciano, “International Law of War”, New Haven Press. pp.232〜241. J.Stone, “Conflict Through Consensus”, The Johns Hopkins University Press, pp.47〜50.
23 J.Kunz, “Individual and Collective Self-Defense in Article 51 of the Charter of the United Nations”, “AMERICAN JOURNAL OF INTERNATINAL LAW”, Vol.41.p.873.
24 読売新聞戦後史班編『再軍備の軌跡』pp.410〜410.読売新聞社。







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