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まえがき
 この研究報告書は、「日本の専守防衛策」研究プロジェクトの成果物である。同プロジェクトは、拓殖大学国際開発学部教授の吉原恒雄氏により2003年7月より10月まで実施された。
 
 ワーキングペーパー・シリーズは、研究活動について関係各位に報告するとともに、より多くの方々にもその問題意識と成果を共有していただけるよう作成されたものである。
 
2004年3月
 
「専守防衛」策と日本の安全
−自衛を全うすることが可能か−
吉原恒雄
 
 核時代においては先制攻撃を待つことは非常に危険なことであり、かつ、時には国家の存立に致命的になることすら立証されている。法は法を遵守するものに対して無慈悲ではあり得ない。1
−J. N. Singh−
 
序論 漸く出始めた「専守防衛」見直し論
言葉だけで概念がない「専守防衛」
 北朝鮮の核武装の動きに触発されて、我が国の防衛体制を見直す機運が盛り上がりつつある。第二次世界大戦後の我が国の防衛論議は、自衛隊違憲論、日米安保条約反対論をめぐるものだった。そこでの議論は自衛隊、安保条約の存否であり、その内容は憲法や条約の法解釈論に終始した。遺憾ながら、本来の防衛政策論議は皆無だったといっても言い過ぎではない。当然の結果として、国家の属性である防衛機能を限られた経費で如何なる優先度で整備するか、防衛力を有事に如何に効率的に運用するか、そのための法制整備を如何にするかという、政策的視点からの本来の防衛論議、つまり政策論議は全く行われなかった。こうした法解釈論議の過程で、その存在を否定する主張から自衛隊、安保条約を弁護するために生まれたのが、「専守防衛」という“言葉”ないしは“表現”である。
 「専守防衛」という“言葉”はあるが、合理的な軍事戦略に裏付けられているわけではなく、従って確固たる“概念”がその背後にあるわけではない。それにもかかわらず、「専守防衛」が防衛政策として成り立ち得るのか、軍事的合理性があるか否かについての理論的検証は全く行われなかった。国会での政府答弁の中で使用されているうちはまだよかったが、昭和45年、中曽根防衛庁長官当時に出された初の『日本の防衛』(防衛白書)で、「わが国の防衛は、専守防衛を本旨とする」と記述したことを受けて、いつの間にか国家防衛の基本方針として定着してしまった。現在では、この「専守防衛」を“国是”と表現する向きも少なくなく、批判を許さない政治状況が生まれていた。2
 ところが、冷戦が終結して10年余、国際社会が構造変革し、日本が防衛努力を手抜きしてもその安全の多くを米国に依存可能な国際環境は消滅してしまった。それに加えるに、冷戦後の国際構造変革の一環として核拡散防止条約体制が形骸化し、これを受けて北朝鮮の核武装化の動きが顕著化した。これらの情勢を踏まえて、漸く日本の安全保障を政策的視点から考えようとする動きが出てきた。この状況下で、安倍晋三・内閣官房副長官(当時)や額賀福志郎・元防衛庁長官などから、極めて抑制的なものではあるものの、「専守防衛見直し論」が提起されるに至った。石破茂・防衛庁長官が強調しているように、「(専守防衛で)本当に我が国の平和と独立を守れるかという検証をしなくては、安全保障は成立しない」といえる。3だが遺憾なことには、マスメディアや学界・論壇がこれを受けて、提起された問題を検証しようとする動きが全くなく、ただ過去の惰性の中で安全保障問題を処理しようとしている。『読売新聞』だけは専守防衛問題を「社説」で取り上げている。この中で、「思考停止に陥ってはならない」と指摘し、見直し論に「耳を傾け、現実的な論議を深めたい」としている。4しかし、紙面でキャンペーンを展開する様子はない。
 
言霊信仰の悪影響
 日本の古代人は言葉を「言霊(ことだま)」と称し、言葉には神霊が宿っており霊妙な働きがあると信じていた。そして自国を「言霊の幸(さき)はう国」「言霊の助くる国」ともいい、言葉が国家・国民に幸いをもたらしたり、助けてくれると考えていた。国家防衛意思を考える場合、言葉はその基盤となる国民のアイデンティティ確立に大きな働きをする。フランスに敗れたドイツの再建のために、哲学者、フィフィテが『ドイツ国民に告ぐ』の中で言葉の問題を取り上げているのはこのためである。しかしながら現在では、日本ほど言葉を粗末にしている国はない。それでいて、言霊思考の悪い面だけが残っている。その典型は「平和」という言葉を唱えれば、平和が実現されると信じている者が多いことだ。特に安全保障絡みでその傾向が強く、「平和憲法」「非核3原則」などとともに「専守防衛」もその代表的なものである。
 一部野党の防衛否定論に対して政府が国会対策上の必要から使用し始めた「専守防衛」という言葉を、理論的に検証することなく「平和憲法を具現化した専守防衛」が日本の安全を保障し、万が一侵略を受ける事態になっても守ってくれると考える。当然の結果として、現在の国際情勢やその中で日本の置かれている状況を考えず、地道な安全確保のための努力どころか、考えることすらしないのが現状である。
 そこで本稿では「専守防衛」について、(1)その語義、(2)登場の経緯、(3)見直し機運の背景、(4)その歴史的事例、理論的妥当性−について、逐次検証したい。その際には、国家が国際社会で民族国家として存続していくためには、いずれの国家にも共通の国家機能、それを踏まえた国家機関、法制、法解釈が不可欠との見方を前提とする。これは個別国家のレーゾン・デトール−国家の独自性を決して否認するものではなく、それを大前提としての議論であることはいうまでもない。これらの立場に立って、「専守防衛」の問題点を浮き彫りにするとともに、日本の安全保障政策、防衛戦略の基本についてあるべき姿を明らかにしたい。
 

1USE OF FORCE UNDER INTERNATIONAL LAW”, p.20.
2 2003年(平成15年)6月7日付『産経新聞』「主張」。
3 2003年(平成15年)6月23日に開かれた『新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会』総会での発言。6月24日付『朝日新聞』朝刊。
4 2003年(平成15年)5月26日付「社説」。







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