日本財団 図書館


平和外交かなわずハワイは奪われた
 アメリカが着々とハワイ王国を奪っていくとき、ハワイの人たちは憤慨して武力蜂起しようとしますが、最後の王女となったリリウオカラーニはそれを止めます。穏やかに話し合いでいこうと止めて(これが島国のやり方だと私は言いたいのですが)、ワシントンへ行って民主党のクリーブランド大統領と話し合います。少しは成功しましたが、結局は米国大統領が替わったらすべてがご破算です。
 はかない人生の物語としては美しいのですが、国際外交という点で言えば、彼女の外交が余りにも平和外交だからハワイは奪われたと言えるでしょう。
 ハワイはきちんと主張したり、反撃したりすべきでした。奴隷制度の国だなどと言われているとき、すぐに反論しておかなかったので、そのままズルズルと干渉を受けていくことになったのです。
 一八八四年、このころまでに白人財閥が成立して、経済を取られてしまいます。つまり、最初に文化で押さえられ、行政制度のような文明で押さえられ、次に経済界を押さえられるという順番になっています。
 ハワイ人の政治組織も生まれてくるのですが、アメリカは王権の弱体化を図る憲法を押しつけます。つまり自主独立を奪っていきます。
 女王は自分で新憲法を一生懸命つくるのです。これを発布するぞと言うと、アメリカ人たちが新憲法は嫌だとアメリカ公使に言いつけ、海兵隊が上陸する。
 彼女がクリーブランド大統領に直訴すると、この人は話がわかる人で非を認めるのですが、結局アメリカ人ドールを首班とする臨時政府がもうできていて、「我々が政権を握っているのだからアメリカ大統領の言うことを聞く必要はない。ハワイは新しい国である」と主張して、ハワイ共和国を本格的に樹立し、ドールが大統領となります。アメリカ大統領の仲介も受け付けません。まあ、本当は下でつながっていたのかもしれませんが。
 ハワイ人王党派はようやく武力決起をするけれども、鎮圧されてしまう。それどころか女王はドール大統領に対する反逆罪で、逮捕、幽閉され、「廃位します」という書面にサインをさせられます。そのうえ有罪だと言われて重労働五年。さすがに八カ月間幽閉されただけで仮釈放されますが、そのような経緯でハワイ王国はなくなりました。幽閉された女王は『アロハ・オエ』という有名な曲を作詞作曲しましたが、悲しいメロディなのはそのせいですね。
 さて配付した資料、清水馨八郎氏が書いた『破約の世界史』(祥伝社刊)は、白人を徹底的に批判した本です。こういう見方もできるという参考になりますので、一部を引用してみましょう。
 
 一八九七年、アメリカのハワイ王国の奪取は、明らかに一方的な侵略である。当時ハワイには日本人移民が二万人余(当時の島の人口の半分)を占めていたが、アメリカ人は約七〇〇〇人で日本移民の三分の一にすぎなかった。
 アメリカ人は顔に墨を塗ってハワイ人に化けてクーデターを起こし、王制を倒し、内乱をでっち上げ、これを鎮圧すべく、アメリカ軍艦ボストン号を派遣し、そこから陸戦隊を上陸させた。そしてこれを制圧すると女王を退位させ、ハワイ諸島に仮の共和国政府をつくり、その後でアメリカに併合してしまったのである(一八九八年、明治三十一年)。
 この手のこんだアメリカの謀略を予感して、ハワイ女王は、日本移民が多いのだからと、明治天皇に援助を求めてきたが、いまだ当時の日本には、米国に刃向かう力がなかった。
 アメリカは、フィリピンを占領するときも、フィリピン民族独立軍のアギナルド将軍の協力を求め、スペイン撃退後はフィリピンを独立させることを約束した。ところが、スペインが敗退降伏すると、アメリカは約束を反故(ほご)にして、明治三十一年、これを米国領に併合すると宣言した。
 裏切られたアギナルドは、怒ってアメリカ軍と戦ったが、力尽きて降伏した。その時も、アギナルドは日本に援助を求めてきたが、力およばず、一九〇二年(明治三十五年)に鎮圧されてしまった。スペインは「パリ条約」によってキューバを放棄し、プエルトリコ、グアム、ミッドウェー、ウェーク、フィリピンをアメリカに割譲させられた。
 つづいてアメリカは、パナマの重要性に着目し、秘密工作員をコロンビアに潜入させ、パナマをコロンビアから分離独立させることに成功した。一九〇三年(明治三十六年)のことである。
 操り人形に等しいパナマ共和国との協約により、アメリカはパナマ運河を建設し、一九一四年(大正三年)、これを完成させた。アメリカは条約により運河の永久租借権を獲得し、軍隊を派遣した。ハワイ奪取と同じ手口の謀略で目的を果たしたのである。
 パナマ運河の開通により、アメリカはフロンティアと覇権をいよいよ本格的に太平洋に乗り出すことになった。かくてアメリカの次の目標は、必然的に日本打倒に向かうことになった。こうして日露戦争直後から、アメリカは、日本を仮想敵国とする。「オレンジ計画」を着々と進めて日本に迫ってきたのである。太平洋の覇権を握るには、どうしても日本を降伏させねばならなかったからである。やがて起こる大東亜戦争、アメリカが呼ぶところの「太平洋戦争」は、アメリカの野望を果たすための西部劇の最後の延長戦になったのである。
 アメリカは西部劇の延長としてアジア太平洋の覇権に乗り出したが、その目的を果たすためにライバル日本を挑発し、戦争を仕掛けてこれを降伏させようとした。米国の遠大なオレンジ計画(日露戦争直後、米のセオドア・ルーズベルト大統領の、日本を仮想敵国として、いかに挑発、降伏させるかの大計画)の成果が「太平洋戦争」であった。
(一三二ページより引用、傍点は引用者)
 
 同じハワイの歴史を書いても、清水先生が書くとこのようになるとは知っておくべきことです。
 
アメリカはイラクの次にどこを狙うか
 歴史の勉強をすると、侵略のやり方にはまったく同じ手口が何回でも出てきます。
 ですから、今回のアメリカのイラク攻撃も、今後ポスト・バグダッドがどうなるかという予測も、歴史に学べば簡単です。当たるかどうかはともかく、試作品ならばすぐつくれます。
 アメリカは今、軍事力で何でもできる。何でもできるなら、もらえるものは今のうちにもらってしまえというのが人情です。その欲をみずからどう抑えるかが問題ですが、欲を抑えないで、野放しにしたら、アメリカは次に何が欲しいでしょうか。
 スエズ運河に決まっていますね。だから「ついでだ、エジプトを倒そう。エジプトはここが悪い、あそこが悪い。したがって、エジプト人のためにムバラク大統領を追放しよう」となります。スエズ運河をアメリカのものにしようとなれば、そうなります。ムバラクは極悪非道だというPRが出てきたら、次の狙いはエジプトだなとわかりますね。そういう予測と仮説ができます。
 すなわち、まず先に想像力、想像力のためには歴史の勉強、そして自分なりの仮説を持って経過を見ていると未来予測ができるわけです。
 ちなみに、歴史の勉強をするのなら、日本は世界で一番たくさん良い本があるのです。日本語は世界で一番便利な言葉です。世界各国のあらゆる本が全部日本語に翻訳されています。英語では世界はわかりません。なぜなら、イギリスやアメリカの悪口は書いていない。多少は書いてありますが、自分たちに都合のいいように捻じ曲げて書いています。特に自分たちがやってきた、略奪の歴史についてはそうです。一度それを認め、謝ってしまったら、もう世界中から集中砲火で、住める場所がなくなってしまうからですね。
 さて、以上ハワイが自分の国を失う話からどんな教訓が得られるでしょうか。文化侵略に注意せよ。話し合い主義はダメ。自国の中にも内応勢力がいる。かねて頼れる同盟国をつくっておくべきだ。日本は頼りにならない。島国は鎖国が一番。砂糖の利益に目がくらんだ自分が悪い。併合されたが悪くなかった。今はアメリカ人のほうがハワイの生活をマネしはじめた―その他いろいろ。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION