新規範発見塾
(通称 日下スクール)
vol. 14
KUSAKA SCHOOL
本書を読むにあたって
「固定観念を捨て、すべての事象を相対化して見よ」
―日下公人
これからは「応用力の時代」であり、常識にとらわれることなく柔軟に物事を考える必要がある。それには結論を急がず焦らず、あちこち寄り道しながら、その過程で出てきた副産物を大量に拾い集めておきたい。
このような主旨に沿ってスクールを文書化したものが本書で、話題や内容は縦横無尽に広がり、結論や教訓といったものに収歛していない。
これを読んだ人が各自のヒントを掴んで、それぞれの勉強を展開していただけば幸いである。
(当第14集は、2001年11月から6回分の講義を収録している)
第69回 「新しい戦争」の正体
(二〇〇一年十一月十五日)
戦闘、戦術、戦略、政略、国益
今回は「戦争学序論」という大層な題をつけました。最近世界はきな臭くて、一般の関心も高まっているので、日本でもだんだん議論が沸き起こってくると思います。
ところが、議論をする人がもうだいたい戦争を経験していないのです。私は七十歳で、いまや経験があるほうになってしまいました。そんな私の立場から、何か話をしてみたいと思います。
私の体験は、小学校一年のとき戦争が始まり、だんだん身近に迫ってきて、中学校三年のときはほんとうに爆弾、焼夷弾が身の回りに降ってきました。私の妹も、家内もグラマンに狙われ、機関銃弾の掃射を浴びました。私もそうです。降ってくる爆弾と機関銃弾に狙われるのとでは全然恐さが違います。
私の家のすぐそばの工場では月光や紫電改をつくっていました。その工場の人に二階を下宿として貸しましたから、紫電改の図面は二階に腐るほどありました。戦後は、戦記物を買いそろえました。家の中は戦記物がいっぱいです。ガダルカナルもラバウルも行ってきました。あるいは世界各地の戦争博物館を、旅先にあれば必ずたずねました。そこでじっと座り追体験するのをやってみました。
そのようなことを、ずっと四〇年ぐらい続けてやっています。ですから、戦争については実際の体験や追体験も含め、ずいぶん長い時間かかわり、考えてきました。
さて、戦争論はまずは戦闘から始まるわけですが、そこには何段階かあることはご存知でしょう。
向かい合って殴り合いをするような戦闘、これはバトル(battle)です。これが二〇人対二〇人ぐらいになりますと、戦術、タクティクス(tactics)が発生します。タクティクスには何通りもあります。正面突破、包囲、迂回、いったん退却などです。そのどれを選ぶかは、もう一段高い立場から決まります。それが戦略、ストラテジー(strategy)です。
したがって、まずストラテジー(戦略)があって、それに合わせてタクティクス(戦術)を選ぶわけです。
しかし、さらにその上に政略というのがあります。ポリティックス(politics)です。このポリティックスにあわせてストラテジーを選び、ストラテジーにあわせてタクティクスがあり、一番下の兵隊は向かい合ってバトルをします。
では、一番上にあるポリティックスのもっとその上はなんですか? 日本人はそこまで考えません。これが非常に平和な、二〇〇〇年間も独立と統一を守ってきた日本人の意識です。
政略の上にあるものは、ナショナル・インタレスト(national interest=国益)です。したがってポリティックスの目的は、国益、ナショナル・インタレストの追求です。ただし、政治家は多くの場合、もっと崇高な戦争目的を掲げます。正義の実現とか神の意志とかの「大義」を言います。
戦争は設計してやるもの
ハンス・モーゲンソーという国際政治学の元祖みたいな人が『ポリティックス・アマング・ネーションズ』という有名な本を書きました。「国と国との間の政略」という意味で、彼はこういうことを一九四一年から言い出しました。
その主張はずっと一貫していて、噛み砕いて言えばこんなことです。ナショナル・インタレストのために国家があるのであって、正義だとか、人道だとか、自由だとか、人権のために国家があるのではない。そんなことは余裕ができたときに言えばいいことである。あるいは世界の国々を仲間に引きつけるための宣伝に言うことである。国民が幼稚なとき燃え上がらせるために掲げるスローガンである。大統領はそんなことを本気になってやっていてはいけない。ナショナル・インタレストを考えてやりなさい、という主張です。
彼の弟子で有名なのがキッシンジャー、その流れをくんで有名なのはオルブライト元国務長官。その流れにパウエル国務長官も来るわけです。国務省にいる人はたいてい最初にこの本を勉強しているはずです。
ところで、ある外務省の人に「ほんとうに戦争について考えるなら、この本に行き着くはずだが、外務省で国益や戦争について詳しい人はいますか」と聞いたところ、「いない。戦争の本を読んでいると、あいつは暇だと思われて出世がとまる。あるいは、右翼だ、タカ派だとレッテルを貼られる。今は英米べったりと決まっているのだから、余計なことを考えてもしょうがない」という答えでした。そこでさらに「では、アメリカとの外交問題は何があるのか」と尋ねると、「それは経済外交だ。それが出世コースだ」と教えてくれました。世界の常識では戦争を考えない外交や国家などは想像外ですから、この話は日本の国家機密です。もっとも相手は信じないから、こうして洩らしてもいいでしょう。
さて、モーゲンソーの本の中でこんなことが書かれています。「一国の指導者は、自分の国を、進めば著しく困難が増加し、退けば著しく不名誉になるような場所へ引っ張っていってはならない」。まあ、言われてみれば当たり前のことです。深みにはまるなということです。
人が深みに入るのは、思い詰めるからいけないのです。だから大統領は思い詰めてはいけない。声高らかに言ってはいけない。心の中はソフトで、柔軟で、現実的で、いつでも撤回できるようなことをしゃべっている―それが大人の政治家だというのです。
日本語で言えば「深みにはまるな」という簡単な一言ですから、日本の一般庶民はみんな知っている。大学でわざわざ教わることもない話である。だから私は、アメリカ人は日本人より幼稚で、常識がない、学歴とか資格を自慢するのがその証拠である、と思っています。日本には普通の知恵として、モーゲンソー程度の教えはいくらでもあります。
・・・話題がそれましたが(笑)、政略とかナショナル・インタレストのレベルできちんと発言した日本人の例は、かつてはいくらでもありますが、最近はないんです(笑)。困ったものです。その辺の言論からもう戦争は始まっていて、武器を使う戦闘までおりてくるのはずっと後なのです。
すなわち、戦争は設計してやるものです。それで『戦争設計学入門』という本を書いたことがあるのですが、日本ではこんな話はなかなか理解してもらえません。外国は戦争を設計してやるのが常識です。もっとも、最近のブッシュ大統領にはいささか心配な点があります。
それはともかく、さらに言えば、正義とか人道とかに振り回されるな、もっと現実的なところから考えよ、というのもいかにも学校的な教え方です。
実際は上下往復するのです。下りのコースを言えば、最初にナショナル・インタレストがあって、それに合うように外交をし戦略を考えつつ軍備をそろえます。軍隊と経済力と国際信用ができ上がると、次はそれを総動員すると何ができるかと考えます。それが上りのコースで、もしA国の半分ぐらいは獲れると思えば、それを実行してどんな得があるかと考えて、ナショナル・インタレストへ話が戻る。そしてA国との戦争を想定しての戦備一式、訓練、指揮、部隊配備の見直しへと具体的におりてきます。このようにいつも上下していなければいけないのです。
それらを総合して考えようというのが、戦争学の入り口といったところでしょう。
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