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財団法人 日本吟剣詩舞振興会関連行事予定表(平成15年2月)
時間 大会名 開催場所 責任者
2日(土) 9時30分
〜18時00分
第26回
愛知県総連盟吟剣詩舞道大会名古屋地区大会
名古屋港湾会館大ホール 武田禧洲
9日(日) 9時30分
〜18時00分
第26回
愛知県総連盟吟剣詩舞道大会尾張地区大会
尾張旭市文化会館ホール 武田禧洲
9日(日) 9時30分
〜18時00分
第26回
愛知県総連盟吟剣詩舞道大会三河地区大会
岡崎市せきれいホール 武田禧洲
11日(火) 9時00分
〜16時30分
第36回
愛媛県名流吟剣詩舞道大会
松山市民会館大ホール 石丸翠風
 
一月のテレビ・ラジオ番組案内
NHK教育テレビ
新春吟詠放送(一)
「春に逢う(一)」
一月二日(木)午前六時四〇分〜同五五分
(1)和歌・あらたしき
(大伴家持)
〈吟〉河田神泉
(2)春を探る(戴益)
〈吟〉清水照鵬
(3)城東の荘に宴す(崔敏童)
〈吟〉箕輪緑崇
(4)江上の船(嵯峨天皇)
〈吟〉菅原雪山
(5)香炉峰下の山居(白居易)
〈吟〉有森芳由
北瀬美岳
渡辺翔峰
 
新春吟詠放送(二)
「春に逢う(二)」
一月三日(金)午前六時四〇分〜同五五分
(1)和歌・ときはなる(源宗于)
〈吟〉鈴木吟亮
(2)春日偶成(夏目漱石)
〈吟〉山岡哲山
(3)春風(白居易)
〈吟〉梶 凰映
(4)曲江(杜甫)
〈吟〉若原峰洲
忽那琥龍
横山寿城
(5)蘇台覧古(李白)
〈吟〉岳精流日本吟院
三河岳精会女性合吟
高木龍沙   畔柳龍紅
杉山龍和   内藤龍淨
吉澤秀風   早川慶風
杉山幸風   高木陽風
小野内花風  伊藤桂風
岩元桜風   森山悠山
岡田陽山   森島和山
野瀬美山
 
NHKラジオFM放送
「新春吟詠」(一)
一月二日午前六時○○分〜同一五分
(再放送は同日NHKラジオ第二放送、午前八時五〇分〜九時〇五分及び午後一時二〇分〜同三五分)
(1)和歌・あおによし(小野老)
〈吟〉山中梅鈴
(2)三樹の酒亭に遊ぶ
(菊池渓琴)
〈吟〉平形鴻成
(3)江南の春(杜牧)
〈吟〉伊東昂峰
(4)母を奉じて嵐山に遊ぶ
(頼山陽)
〈吟〉北川哲水
(5)親を夢む(細井平洲)
〈吟〉星野紫虹
(6)山中幽人と対酌す(李白)
〈吟〉高橋摂匠
 
「新春吟詠」(二)
一月三日午前六時○○分〜同一五分
(再放送は同日NHKラジオ第二放送、午前八時五〇分〜九時〇五分及び午後一時二〇分〜同三五分)
(1)和歌・春の野に(山部赤人)
〈吟〉福永瀧霊
(2)春暁(日柳燕石)
〈吟〉吉見芳蘭
(3)春初感を書す(安積艮斎)
〈吟〉益中鵬山
(4)汪倫に贈る(李白)
〈吟〉宮田実龍
(5)胡隠君を尋ぬ(高啓)
〈吟〉小林瀞玉
(6)春の花を尋ぬ(菅三品)
〈吟〉山下岳徨
 
「邦楽のひととき」
一月十六日(木)午前十一時○○分〜同三〇分
(再放送、一月十七日午前五時二〇分〜同五〇分)
(1)和歌・春くれば(源実朝)
春暁(孟浩然)
〈吟〉小林北鵬
(2)和歌・春ここに
(佐々木信綱)
春流(北条時頼)
〈吟〉杉山翔鴻
(3)社友小集(福沢諭吉)
梅花(王安石)
〈吟〉犬飼聡風
(4)花朝澱江を下る(藤井竹外)
海に泛ぶ(王守仁)
〈吟〉大木詠岳
(5)時に憩う(良寛)
望湖楼酔書(蘇軾)
〈吟〉米本耿泉
(6)金陵の鳳凰台に登る(李白)
〈吟〉臼井寛洲
 
文学博士 榊原静山
清代(その二)
――「全唐詩」九百巻を編集させた康煕帝――
王士禎(おうしてい)(一六三四―一七一一)幼名は士禎といい字を貽上(いじょう)、漁洋山人と号し、山東の人で刑部尚書という役につき、神韻を主とし、絶句が得意で特に“唐賢三味集”という書を作り、盛唐の詩入四十二人の中からものしずかな叙景の妙を得たものを、多く選んでいる。
 
康煕帝(こうきてい)康煕帝は唐代の詩をすべて集めようとして四万八千九百首を皇帝、后妃、諸臣の詩、聨句、逸句、僧道、外国、神仙、鬼怪、諧謔、雑体といった順におさめた“全唐詩”九百巻という膨大な詩大集を編集させており、皇帝自身の“雨中望呉山”という詩が大変味のある作である。
 
雨中望呉山
康煕帝
檻外青山縦自収 檻外(らんがい)の青山日を縦って(はなって)収む
繁花初露葉新稠 繁花(はんか)初めて露われ(あらわれ)葉あらたに稠し(しげし)
更教点染煙雲色 更に煙雲の色を点染せしめ
添得窗前翠欲流 添え得て窗前(とうぜん)翠(すい)ながれんと欲す
 
(語釈)呉山・・・浙江省の杭州にある山。
繁花・・・花が沢山あること。
 
(通釈)そぼ降る雨の中に窓をはなって呉山を望めば、新緑の山は花のしげった木々に彩られて山に満ち、さらにもやが立ちこめ煙雲の色をつけくわえ、実に何ともいえない風景。ほんとうに翠色が天地に流れるような風景が窓の前に見られる――。
 清代には、ほかに漢詩作法に大切な“佩文韻府”をはじめ、こうした“唐詩三百首”六巻(塘退士編(こうとうたいしへん))、“唐詩選”は初唐、盛唐の作品を中心に集めてあるが、これは全唐詩の中から三百首を選んで唐代三百年を通観して古詩、絶句、律詩に分けて編集している。
 また“古詩源”十四巻(沈徳潜の編)、これは上代から隋まで古詩九百八十首を二十の時代に分けて編集し、この古詩源に準じて張王殻が“古詩賞析”という書を出して、上代から隋まで古詩七百五十一首にそれぞれ評釈をつけるなど、後世、漢詩研究のための重要な書がこの時代にたくさん出ている。
 
『雨中望呉山』
 
乾隆帝(けんりゅうてい)また乾隆帝も詩を愛し、自作の“従軍行“もなかなかすぐれた作である。
 
従軍行
乾隆帝
 
三邊烽火照軍營 三辺の烽火(ほうか)軍営を照らす
十萬丁男夜練兵 十万の丁男(ていだん)夜兵を練る
使腰間懸寶剣 但腰間(ようかん)に宝剣を懸けしめば
丈夫何處不成名 丈夫何れの処か名を成さざらん
 
(語釈)三辺・・・辺塞。烽火・・・のろし。
壮男・・・壮年の男子で兵役に服する者。
 
(通釈)辺塞の烽火は軍営を照らし、十万の壮丁は夜教練をしている。さて腰間の宝剣があればどこでも功名を立てることができる――。
 乾隆帝の時代には乾隆の三家といわれる袁枚(えんばい)、士詮(しょうしせん)、越翼(ちょうよく)、が出ているが、中でも袁枚が最も秀でている。
 
『従軍行』
 
袁枚(えんばい)(一七一六−一七九七)字は子才といい号は簡斉と称し杭州の銭塘の人で、清朝の地方役人として働いたが、四十歳で役を辞して、今の南京の西にある小倉山に随園という園を作って、そこに寓居して悠々詩詠の生活を楽しんだ。当時彼の名を慕って大官や商人まで沢山の人々がさかんに来て、風流を学んだといわれる。彼の説は自然の流露をとうとび、性霊説を主とし、技巧を捨てて清新な作風をたてた。随園詩話二十六巻がある。“赤壁”の詩もなかなかの傑作である。
 
赤壁
袁枚
 
一面東風百万軍 一面(いちめん)東風(とおふう)百万の軍
当年此処定三分 当年此の処三分を定む
漢家火徳終焼賊 漢家の火徳(かとく)ついに賊を焼き
池上蚊竜竟得雲 池上(ちじょう)の蚊竜(こうりゅう)竟に(ついに)雲を得たり
江水自流秋渺渺 江水(こうすい)自ら流れて秋渺渺(びょうびょう)
漁燈猶照荻紛紛 漁燈なお照らして荻紛紛(てきふんぷん)
我来不共吹簫客 我は来りて簫(しょう)を吹くの客と共にせず
烏鵲寒声静夜聞 烏鵲(うじゃく)の寒声(かんせい)静夜(せいや)に聞く
 
(語釈)赤壁・・・今の湖北省嘉魚県にある古戦場で、後漢の献帝の時、魏の曹操が八十万の大軍をひきいて南下し呉の孫権と蜀漢劉備の連合軍と対戦したが、曹操の軍が全敗したのが史上有名な赤壁の戦である。一面の東風・・・この赤壁の戦の時に、孫権の将瑜が東南の風を利用して曹操の軍の船に火を放って、連合軍を大勝させたので、東風と言っているのである。定三分・・・魏と呉と蜀漢との三国で天下を三分したこと。火徳・・・漢代に流行した五行思想にもとづいて火の徳の相をいう。池上蛟竜・・・仮空の動物の竜のことであるが、古語に“蛟竜雲雨を得れば遂に池中の物にあらざるなり”という言葉があるので、この語があるのである。烏鵲寒声・・・曹操の作った歌に『月明らかに星稀に烏鵲南へ飛ぶ』という語があるので、ここに引用したもの。
 
(通釈)赤壁の合戦に百万の魏の曹操の軍船を焼いて、大勝利を得て天下を魏と呉と蜀漢の三国で分けて平定することになった。これは漢室が火徳の相を持っているので、火攻めの策が功を奏したもので、ちょうど池の蛟竜がついに雲の力を得て天下に雄飛する準備ができたのである。そうした古戦場を訪れ、秋たけなわの今、この風景に対して見れば、ひろびろとした江水は昔ながらに流れ、いさり火は紛々として荻草の上に乱れている。私は昔の蘇東坡のように簫の吹ける友だちと一緒に来ていないので、ただ独りでかささぎが淋しく鳴いて飛び過ぎてゆく音を聞きながら、懐古の情に耽るのみである――。







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