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剣詩舞の研究
石川健次郎
特集・振り付け再考(一)
 
熱気溢れるコンクール会場
 
振り付けが変った
 平成15年度の「全国剣詩舞コンクール」は群舞を残して9月14日に全国大会を終了した。
 さてこのコンクールは、25年前の昭和53年に第一回が開催されて以来、その指定吟題の剣舞、詩舞の振り付け内容が次第に変化を見せるようになり、その大きな特徴としては、先ず“詩文中心”の「振付」云い替えれば歌詞の文句に直接的な動き(当て振り)から、歌詞には特に忠実でなくても、詩文の意味に眼を向けて、最も詩文で云いたいことを舞踊動作に振り付けると云った傾向が見えてきた。
 云いつくされた事例だが「剣舞」の例としては『川中島』(不識庵機山を撃つの図に題す)の転句、遺恨十年一剣を磨きの場合、歌詞に振り付けした例としては、抜刀した刀を砥石の上で一心不乱に研ぎ(とぎ)磨く動作を見せた。然し詩文の意味に振り付けた例としては、上杉謙信が始めて武田信玄と戦(いくさ)を交わして以来10年の歳月を待ったと云う事から、剣舞としては激しい剣技で必殺・必勝の技を演じる方が詩文の心を十分に伝えることができると云う意見に傾いて来た。
 
剣舞「豪雄義経」長坂理絵さん
 
 次に「詩舞」の例を述べよう。これも有名な、杜牧の『江南の春』の起句、千里鴬啼いての場合、まず歌詞に振り付けた例として、千里と云う数量を指を折って数え、鴬啼いては、鳥が鳴きながら飛んで行く、と云った様子を見せた。然しこの詩を詠んだ作者の気持としては決して適切な舞踊表現とは思えない。作者の杜牧が、春の長江下流の広大な農村風景を描写した心に相応しい振り付けを考えれば、まず両手を広げ、舞台一ぱいに広い野原を表現する。勿論、扇を使えば一層効果は上る。(ここ迄は三人称)、次の鴬啼いては作者自身(一人称表現)になって、飛ぶ鳥の姿を眼で追い、鳥の声を聞くと云った振りで詩文の心を伝える事が一般化して来た。
 
詩舞「白鳥は」高岡美恵さん
 
詩心を探る
 コンクール作品の内容が、時代の流れとともに色々な面で変ってきた傾向は、演技者達の基礎技術が向上して来た事から、彼等は上達した基礎技量を下敷にして、技巧としての表現力を身につけて、剣詩舞作品としての内容に一段の向上を見せて来たことである。別な云い方をすれば、それが芸術的な表現力として、振り付けによる詩心表現の研究が格段の進歩を見せて来た。
 こうしたことは、舞踊作品を作る上での究極のテーマであり、それだけ奥の深いものがある。
 コンクールの審査規定にも記されているように、要約すれば「作品の振り付け意図が芸術的に表現されているか」又は「演技者がそれらの感情を豊かに表出しているか」の二つにしぼられる。そこで次に、構成振付と詩心表現の関係を探ることにしよう。
 一般論として漢詩などに述べられた詩文の意味は、詩文の字句や単語の配列がストレートに詩の心を述べている場合もあるが、多くは文字の意味を引き合いに出す譬え(たとえ)が多く、真意は表裏の関係であったりする。つまり詩文の字面(じづら)(文字配列の見た目の感じ)と詩心の関係は、本誌「剣詩舞の研究」の“詩文解釈”で多くを述べているところだが、前述したように、この字面に振り付けする、俗に云う“当て振り”の傾向は、上位コンクール作品からは次第に姿を消し、反対に詩心に対する解釈が一段と深くなって振付に反映して来たのである。
 そこで問題となるのが剣詩舞における詩文の解釈の仕方である。
 舞踊化すると云う目的がある以上、舞踊化しにくい解釈で詩心を引き出しても、それは無意味なことであり、この問題についても本誌の“構成振付のポイント”で毎回提言しながら研究の参考にしているが、舞踊化するための詩心を具体的な形で並べ立て(構成)そして振り付けすると云う筋道を考えると、そこには幾通りもの模索が生まれてくるのである。斯くしてこの問題は前述した如く近年優れた成果が次第に見えてきたのは、振付指導者の努力のたまものであろう。
 
振り付けのテクニック
 世間には“口下手(くちべた)”と云われる人がいる。豊かな知識を持ちながら、話術と云うか、はなし言葉の持ち合わせが少ないために、十分に真意が伝わらなくて損をする人である。
 これは詩心表現に於ける構成と振付の関係によく似ていて、即ち大変に詩心を把握した構成が出来ても、それを舞踊化する振付の具体的な“振り”やそれをつなげる手法を持ち合わせてないために、十分な成果が発揮できない作品になってしまうのである。そこでこの問題を解決するために、振付にはどの様な表現技法があるのかを次に述べよう。
 一般論として日本舞踊や最近の詩舞などの舞踊表現の一つで「舞」と称する水平旋回動作や精神的内向性で品格のある“能”を模した動きがある。次に「踊り」と称して人間の本能的な喜びや怒りなどを跳躍的でリズム感のある動作で示すもの、そして「振り」と称して日常的な見たり聞いたり、喜怒哀楽の感情を写実に表わし、またそれらの行動の物まね、扇などを使った見立ての描写、花鳥風月などの風景描写など、それに諸々(もろもろ)の剣技表現などを、何時でも対応できるように、そして何が一番適しているかを選び出せるように、振付者自身の引き出しの中に、よく整理して置くことが必要である。
 
振り付けに生命(いのち)を
 上手な演技者は、その感情表現について幾通りものポイントをおさえているが、そのテクニックとは振付と云う動作に生命(いのち)を与えることでドラマの俳優達とも共通したものがある。次に剣詩舞の場合で考えてみよう。
〈全体のムード〉その作品全体が持つ雰囲気、例えば喜怒哀楽のどれに該当するか、厳粛さ、迫力的、情緒的と云ったものを心の拠り(より)所として、振り付けに活力を与える。
〈人物像〉その演じる人物(役柄)の性格や境遇をはっきり認識して、それに準じた役作りをすることが大切。但し演技者が実在の人物と体形に相当な違いがある場合とか、歴史上の人物で実体がよく掴めない場合は、詩心にもとづいて演技者にふさわしい人物を創り上げる。
〈目配り〉“目は口ほどにものを云い”と諺(ことわざ)にあるが、感情表現で特に注意すべきは“目”である。前項の喜怒哀楽や人物に、ついて“目”の影響力は大きいが、剣詩舞の場合は、その振り付けの動作に同調する視線の動き、極め付ける目付け(めつけ)の効果、また動作に先行する目遣いの作用が、如何に振り付けの流れを充実させ、然も理解させる力になる事が立証される。
 
コンクールの講評をする筆者
 
〈演技の強弱〉「メリハリの利いた上手な人だ」と云った演技者の誉め(ほめ)言葉があるが、感情表現のテクニックの仕上げは演技のメリハリであろう。演技者は作品について“何が云いたいのか”“何を伝えればよいのか”は理解しても、それらの演技の山場をどこに置くか、特に剣詩舞の短い時間での演技では、その力の配分(演技のメリハリ)を演技者はしっかり心がけなければいけない。







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