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'04剣詩舞の研究(七)
一般の部
石川健次郎
剣舞「壇の浦を過ぐ」
詩舞「母を憶う」
剣舞
「壇の浦(だんのうら)を過ぐ(すぐ)」の研究
村上仏山(むらかみ ぶつざん) 
(前奏)
魚荘(ぎょそう)蟹舎(かいしゃ)雨(あめ)煙(けむり)と為る(なる)
蓑笠(さりゅう)独り(ひとり)過ぐ(すぐ)壇の浦(だんのうら)の辺(ほとり)
千載(せんざい)の帝魂(ていこん)呼べ(よべ)ども返らず(かえらず)
春風(しゅんぷう)腸(はらわた)は断つ(たつ)御裳川(みもすそがわ)
(後奏)
 
〈詩文解釈〉
 作者の村上仏山(一八一〇〜一八七九)は幕末から明治にかけての漢詩人で、仏山がかつて春雨に煙る壇の浦を通った折に、その昔の源平合戦で、この浦で入水された安徳天皇の霊を弔った作品である。
 詩文の意味は『壇の浦の辺りを見渡せば雨にかすんだ漁師の小屋が点々と見える。自分は蓑を着、笠をかぶって雨にぬれながら物思いに耽った。云う迄もなくここ壇の浦は、昔平家が合戦に敗れ、幼い安徳天皇が入水された場所である。今自分がいくらその名をお呼びしたからといって、御魂がお戻りになるわけではないが、当時のことを思うと、幼い安徳帝がいたわしく思われ、そよ吹く春風も身にしみて深い悲しみをおぼえる』というもの。
 
壇の浦海底図(錦絵)
 
〈構成振付のポイント〉
 詩文構成の上では、起承句が作者の眼で見た情景で、転結句が作者の心の中での、いわゆる心情である。この組合わせは詩の世界では“懐古”のパターンとして多く用いられ、作者の立場も大きく詩意が前面に押し出されてくる。
 しかし舞踊表現を主体に、この作品の振付構成を考えると、いくつかの問題点が出てくる。その一つは作者の立場をどこ迄振りにとり込めるか、二は剣舞作品として剣技と詩文の関係をどうするかが先決であろう。更に一の場合では、作者をどのような場所(例えば海路を舟で、又は陸路を徒歩で)に位置付けるかも考えて置かねばならない。この判断も構成振付者に課せられた問題だが、剣技の取り入れ方としては詩文中、(1)転句だけ、(2)転結句に、(3)承転句を中心にするなど、それぞれの構成案をたてる。
 次にその一例として登場人物の作者に武人の性格を持たせ、剣技は転句を中心に考えてみよう。まず前奏から刀を櫓に見立て船を操って登場、起句の途中から雨が激しくなり、扇で雨や笠の振りと、更にうず潮や早い潮(しお)の流れを三人称的な表現で見せる。承句の終わりから突風などの振りをきっかけにして、抜刀による合戦の型を転句で十分に見せ、最後に刀を奉じて坐りギバで入水の様子を見せる。結句は途中から作者に戻り、合掌のポーズで安徳帝の魂を弔い、思い入れの後、再び櫓をつかって退場する。
 また別案として、構成上ドラマ性を押えたい場合は、陸路を帯刀して、扇の笠で雨をしのぎながら登場。立ち止って思い入れの後に、承・転句を居合の型で合戦を連想させる。結句で納刀したら作者に役変りして弔いの型を見せ、再び雨の中を退場する。居合や思い入れの演技を十分に活かして欲しい。
 
〈衣装・持ち道具〉
 二役を演じるから、黒紋付に地味な袴がよい。扇はうす茶の無地など笠の見立てに無理のないものを選ぶ。
 
詩舞
「母(はは)を憶う(おもう)」の研究
頼 山陽(らい さんよう)
 
頼三陽(肖像画)
 
(前奏)
秋風(しゅうふう)吾(われ)を吹いて(ふいて)冷やか(ひややか)なり
還(また)吹いて(ふいて)木葉(もくよう)を飛ばす(とばす)
吹いて(ふいて)故園(こえん)の樹(じゅ)に到る(いたる)も
侵す(おかす)莫かれ(なかれ)慈母(じぼ)の衣(ころも)を
(後奏)
 
〈詩文解釈〉
 作者の頼山陽(一七八〇〜一八三二)は漢詩家としては「川中島」を始め多くの戦記を詠んだ作品を残し、又歴史学者としては「日本外史」等の著作も多い。しかし一方この作品の様に母に対する愛情を述べた詩作が多く、例えば「母を奉じて嵐山に遊ぶ」「待興の歌」「母を送る路上の短歌」などを読むと、その心情には心が引かれるものがある。その理由は後に廻わして、まずこの詩文の意味を次に述べよう。『冷たい秋の風が私に吹きつけて来る。そして風は更に木の葉を吹き飛ばしていく。この秋風はさぞや故郷の樹木にも吹きつけているであろうが、どうか我が母親の衣服に吹きつけて、寒い思いをさせないで欲しい。』と云うもの。
 さて山陽は幼少時に異常体質だった為、母親は常に看病につとめてくれた。そして成長し天分を見せながらも、例えば脱藩事件をおこすなど常軌を逸する一面があり、いつも父母を悩ましていた。そうした事の反省としてか、後年に父が没してからは特に母親に対する孝養が深く、そのことは前述の詩の数々に十分述べられているから参考にして欲しい。
 
秋、落葉(イメージ)
 
〈構成振付のポイント〉
 この作品は、作者頼山陽が母を労り(いたわり)慈しむ(いつくしむ)心を、秋風が吹いて来たことに寄せて述べたもので、前項に挙げた作品群の様に具体的な細かな事例はない。従って舞踊構成をする方針の一つとして、中心人物を壮年期の山陽自身にするか、又はこの詩文によれば必ずしも山陽に特定せず、母を思う子を想定(若い人でも、男でも女でも)し、最も演技者に相応しい年代層の人物を考えればよいとも云える。そこで今回は、その人物を故郷から上京した少壮期の女性にして、日々母を憶いながらの生活の一場面を描いてみよう。
 前奏から起句は、季節風が吹きまくる抽象表現を、扇(二本でも可)又は袖を使って舞台一ぱいに展開する。承句はその風を受けた女性が、全身を震わせながら帰宅して火鉢に当るような生活感を演出する。転句からは例えば熱いお茶を入れたところで、故郷の母親を思い出し、母に一服献上し、自分も一緒に飲むと云った、大人の飯ごと(ままごと)を見せたり、ふと袖口のほころびを見つけて、つくろう仕草から立上って、窓辺に寄って雨戸を閉める。結句は再び火鉢に当りながら故郷の母を憶うポーズに余韻を残して終る。承句からは特に自然体で演技して欲しい。
 
〈衣装・持ち道具〉
 前項の場合なら演者の役に適した地味な色や柄でよい。又別な構成で男子が演ずるならグレー、茶などに同系色の袴を使う。扇は風をイメージした霞模様や雲型でもよい。







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